農園便り

鳥のヒナの救済にはハエたたき

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今年はハワイも猛暑。そのせいか、コーヒー豆の成熟も早く、例年より早く収穫が始まった。
収穫中にコーヒーの木の根元に鳥の雛を三羽発見。木の先端を見ると鳥の巣が傾いている。兄弟揃って落ちたらしい。

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まず、傾いた巣を真っ直ぐに戻した。
人間の匂いが付くと良くないとよく言われるので、手で直接触らないで、ハエ叩きでヒナをすくって巣に戻した。足の爪で網にしがみつくので簡単に高いところまで持ち上げられる。

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すると、親鳥のつがいが戻ってきた。
キンノジコというスズメ目の鳥で、畑に沢山いる。
手前の頭がオレンジ色のが雄。後ろが雌。

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近くの木のコーヒーを摘みながら観察していると、親鳥は戻したヒナに餌をあげ始めた。
無事に育ってもらいたいものだ。

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2015/08/14   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年8月号

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 最近はコーヒー業界でも、ワイン業界の用語を借りて、テロワールやマイクロクライメットなどの言葉が使われる。同じ品種を同じ産地で生産しても、畑によって土壌、斜面、風向き、日の当たり方などが違うため香味が異なる。畑それぞれに個性があり、良い畑からのコーヒーを選ぶ必要があるという考えだ。

 ある丘があったとする。一般論として、その丘の麓の平らな畑(1日中太陽が当たる)と、丘の東向き斜面(午前中に太陽が当たる)と西向き(午後に太陽が当たる)では成長具合が違う。品質としては、午後の太陽、午前の太陽、一日中の順番と言われる。日差しの柔らかな順だ。余談だが、コナはハワイ島西海岸の山の中腹に位置するため、すべて西向き斜面で午後の太陽。しかも、午後は曇り。コーヒーに最高の環境だ。

 ワインのことはよく知らないが、確かにボルドーやバーガンディーなど、畑によって等級があり、その等級が変更されることはほとんどない。テロワールが重要なのだろう。

 なぜかは分からないが、うちのコーヒーは他のコナよりも甘い。テロワールに感謝だ。しかし、私が目標とするクリーンなコーヒーを生産するには、テロワールは決定的要因ではない。むしろ、農園主と従業員が、どれだけ真剣に働くかが、質の良し悪しを分ける。

 クリーンカップには、完熟した健康な実だけを摘むことが最も重要だが、きれいに摘もうと決意しても課題が残る。コーヒーは全ての実が健康で育つものではない。幾ら金と時間をかけても畑の実が全て健康に熟すことはない。そういう種類の植物なんだ。だから、コーヒー摘みは不健康な実を選り分けながらの作業となる。過度に不健康な畑では、たとえきれいに摘もうとしても、健康な実だけを選んで摘んでいくことは不可能だ。結局、とりあえず収穫して、乾燥後にサイズ選別機、比重選別機、色選別機など、機械による欠陥豆の除去に頼ることになるが、機械では限界がある。     

 不健康になる要因は、病害虫被害、栄養不足、水不足、気温、過度の直射日光などさまざま。一番上の写真は、今年の7月中旬の近所の畑の様子。すぐ隣なので、うちと同じテロワール。畑全体が黄色く見える。収穫時期前なのに、実も黄色や赤に変色している。十分に完熟する前に、栄養不足と害虫被害により本来よりも早く変色したものだ。中央の写真はよりアップで撮ったもの。葉は死にかけ、実はオレンジ色に干からびている。ティピカ種はひ弱なので、コナでは大多数の畑がこんな感じで、一般的な光景だ。これほど弱っているのに、他の産地よりも上品な味わいを出すのだから、ティピカ種の力は計り知れない。いろいろ工夫して、もっと健康な割合を多くできれば、比類なき絶品になる。

 一番下の写真は同じ日の私どもの畑。葉も実も濃い緑色で健康である。ティピカの畑をここまで緑に健康に保つのは難しい。肥料を多くやれば良いというものでもない。過度な施肥は悪影響。私の畑でも通路沿いの風と日差しの強い場所などは黄色く木が弱る。しかし、それを最小限に留めようと工夫している。手間がかかるので、ティピカ種を育てる産地は年々減少し、今ではコナとブルーマウンテンぐらいだ。 

 確かにテロワールは大切だ。テロワールの概念を強調し、その違いによる香味の特徴をアピールできる。楽しくて病み付きになりそう。しかし、私はクリーンカップ至上主義。クリーンさを他の評価基準よりも優先する。クリーンカップのためには、畑を健康に育て、完熟した健康な実だけを摘む。その観点からは、自然環境の優劣より、人の努力の方が重要となる。

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2015/08/02   yamagishicoffee

デング熱 死の覚悟の値段

6月上旬にデング熱で入院した。もう、すっかり回復した。ご心配をおかけしました。

さて、デング熱で入院した際には、最初にハワイ島の病院では黄熱病の疑いありという診断を受け、ホノルルの大病院へ小型ジェット機で搬送された。もし、黄熱病であれば、ハワイでは初の症例となるらしく、病院や医師たちは興奮気味であった。

小型ジェット機でホノルルの飛行場に到着し、ジェット機から救急車に乗り換える際に、ホノルルの救急車のスタッフは、病院にメディアが詰め掛けて黄熱病患者の質問をされると困るので、ハワイ島から同行してきて、患者(私)の様態に詳しいハワイ島のスタッフに同乗してくれと頼んでいた。「えー。病院に着いたらテレビに映ちゃうの?今日はちょっと顔色が悪いから嫌だなあ」と思いながら熱でブルブル震えていると、病院に到着した。メディアはいなかったが、警察官が待機していた。さすがは、致死率6割の黄熱病。

救急車から降ろされ、隔離病室へ担ぎ込まれたあと、入院の手続きのために事務員が来て、様々な質問を受けた。輸血に必要な書類にサインをした。意識がなくなった場合に備えて、妻を代理人に指定するサインもした。次に、チャップリンと話をしたいかと聞かれた。私のつたない英語の知識ではチャップリンというと、映画のチャーリー・チャップリンしか思い浮かばない。ちょび髭、山高帽にステッキを持った人が入ってきて、慰問のパフォーマンスでもしてくれるのかと思ったら、チャップリンとは病院にいる牧師のことらしい。

その時は、よく意味も分からず、私はキリスト教徒ではないのでとお断りをした。退院後、よく考えると、あれは、高熱にうなされた致死率6割の黄熱病を疑われている患者に対して、何か言い残すことはないかと問われたのだ。あそこは、死を覚悟する劇的な場面だった。でも、本人はまったくその気はなく、チャーリー・チャップリンのことしか頭に残っていない。

 

さて、今回の入院に掛かった費用の請求が来た。総額で85,000ドル(1千万円以上)。救急車とジェット機による搬送が64,375ドル(約790万円)。入院費が16,000ドル(約200万円)。その他、薬代や医者への支払いなど諸経費が嵩んだ。アメリカは国民皆保険制度ではないので、個々人が医療保険を購入する。私の加入しているプランは夫婦で月額700ドル(約8万6千円)を支払いをしている。これでもハワイは安い。NY時代はこれが月額2,200ドル(約27万円)だった。今回の医療費総額85,000ドルのうち、私が負担するのは5,500ドル(約70万円)。差額は医療保険会社が面倒を見てくれた。オバマケアによって、医療保険加入は義務となったが、未だに未加入の人は多い。実際に医療保険に入っていなければ、おちおち病気にはなれない。医療は、かくも費用の掛かるものである。日本人は海外旅行する場合は、必ず、旅行保険を買ってください。

さて、それに比べて日本の医療制度である。日本の医療制度は、実にのん気だ。救急車は無料だから、タクシー代わり。(私は790万円も払ったのに。)その上、病院もお手軽に行ける。しかも、入院期間が長い。アメリカに比べると過剰医療だ。アメリカは命の危険がない限り、入院はさせてもらえない。癌の開腹手術だって、入院は手術の3時間前。術後は様態が安定したら数日で退院。後は自宅療養。医療保険会社がコスト削減の為に過剰医療を牽制している。つまり、医者が無駄な医療をしたら、医療保険会社が払ってくれない。日本の様に、いつまでも入院していたら、費用が嵩むばかりだ。

ちなみに、トヨタの米国人役員が鎮痛剤のオキシコドンを日本に持ち込み逮捕され、彼女は職を失った。アメリカでは意外感をもって、報道された。「エー?なんで?オキシコドン飲んだら逮捕されちゃうの?」という感じだ。手術後、アメリカでは、痛かろうがなんだろうが、命に別状がなければ、オキシコドンやハイドロコドンなどの強力な鎮痛剤を処方され、家に帰される。私だって、オキシコドンぐらい飲んだことがある。膝のじん帯移植手術後に処方された。もちろん、入院はさせてもらえず、近くのホテルに数日泊まって通院した。

 それでもって、日本の医療は自己負担額はほとんどない。ただみたいなものだ。当然、健康保険組合は赤字。国家の財政赤字に付回される。結局、ほとんど、ただ同然で入院して、実際の費用は将来の世代が負担することになる。はっきり言って制度が壊れているが、それを直そうという気運は高まらない。国民皆保険制度を採用している北欧諸国だって、国民の健康を守る義務は国家にあるが、その国家を財政的に守る義務は国民ひとりひとりにあることが常識として国民によく理解されている。金は払わないがサービスは欲しい、負担は将来の世代に先送りだなんて無責任なのは日本だけだ。ギリシャなんか、日本ほど財政事情は悪くないのに、いろいろ改革しようと議論している姿を見ていると、責任感が強いなあと感心する。

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2015/07/17   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年7月号

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 先月号に記したとおり、コーヒーの評価において、私はクリーンカップ至上主義だ。クリーンでないから、人はコーヒーが飲めない。雑味が多いから砂糖やクリームを入れる。私は消費国でクリーンカップの理解が浸透することを切に願う。さすれば、コーヒー業界の健全な発展に資するとともに、産地の人々の生活改善に繋がると思う。

 一説ではコーヒーは関連する従事者の数が最も多い産物らしい。農園、収穫、乾燥、精選、港、輸送、商社、問屋、焙煎、小売店、コーヒー店やレストラン、コーヒー関連商品など多くの人の手を経るが、クリーンカップの源泉は焙煎でも抽出でもない。コーヒーを健康に育て、きれいに収穫し、きれいに乾燥させることが鍵。中でも収穫が最も重要。

 多くの産地でコーヒーを摘むのは一日数ドルで雇われた季節労働者。彼らに、きれいに摘むインセンティブはない。もし、きれいに摘んでくれれば、クリーンなコーヒーができる。だが、彼らの取り分は微々たる額だ。ハワイで労働者を雇うと最低でも一人一日120ドル程度。さすがはアメリカ。人件費は高い。ところが、中米では一日3ドル程度。

 仮に、日当3ドル(約360円)の人が一日200ポンド(約90キロ)の実を摘んだとする。200ポンドの実からは約1,500杯のコーヒーが作れる。一杯当たり24銭がピッカーの懐の渡る勘定になる。喫茶店で一杯500円とすると、0.24/500=0.05%がピッカーの取り分。消費税8%の1/160だ。中には手摘み完熟などと解説が付くものもある。たった0.05%の部分がそのコーヒーの最大の特徴、セールスポイントなのだ。

 数多のコーヒー関連の従事者の中で、品質上最も重要な仕事をするピッカーの取り分が最も少ない。しかも、ピッカーの仕事が肉体的に最も過酷だ。一日200ポンドのコーヒーを毎日5ヶ月間も摘み続けることがどれほど辛い作業か理解できる日本人は少ないだろう。コーヒーを南北問題の象徴として人道的議論をする以前に、コーヒー業界として品質の向上を求めるならば、最も過酷で、かつ、品質管理上、最も重要な部分に0.05%はお粗末だ。これが企業なら潰れる。

 消費国の関係者が産地へ視察に行って、赤だけをきれいに摘むよう「指導」したという話をよく耳にする。一杯24銭しか払わないで、よくそこまで言うなと感心する。ピッカーにすれば、その程度じゃ、やってらんねーよ、というのが本音だろう。だって、私が一日120ドル(約14,400円)払っても、きれいに摘んでもらうのは難しい。

 クリーンカップは、かくも不安定な構造の上に成り立っている。だから、クリーンなコーヒーは珍しい。ほとんどの人がクリーンなコーヒーの何たるかを知らない。

 人道的観点からフェアートレードが注目される。「コーヒーを一杯飲んだら1円を産地へ送ります」。すばらしい試みだが、ピッカーの取り分が24銭から124銭に5倍に増えた話は聞かないし、第一、ピッカーにきれいに摘むインセンティブは働かない。

 指導や人道的動機も大切だが、やっぱり人を動かすのは金だ。経済的合理性だ。まず、消費国でクリーンカップの理解が進むことが重要。すると人々はクリーンなコーヒーに高い値段を払うようになる。きれいに摘むピッカーの価値が上がる。きれいに摘むピッカーの収入が増える。摘み方で収入に違いがでることを体で理解できる。すると益々コーヒーの品質が上がる。クリーンカップはコーヒーの品質向上とピッカーの生活向上の鍵だ。

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2015/07/01   yamagishicoffee

デング熱その後

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ハワイ州保健局の職員の指示に従って、写真のように、家の周りに沢山あったGiant Spider Lilyを切った。葉っぱの根元に水が溜まり、蚊の発生の原因となる。蚊はデング熱の媒体である。

 

退院1週間後の血液検査の結果が出た。相変わらず、肝機能の数値は悪く、白血球・血小板も足りない。毎日9時前には疲れて寝てしまう。毎日10時間は寝ている。

 

先週水曜日に一日かけて、畑の雑草の刈り取りを行った。久々の農作業で疲労困憊。翌日は全身疲労と筋肉痛が重なり、朝からヘトヘト。腰が立たない。ところが、その日は、ブラジル旅行の前から予定していた遠方からの友人とのゴルフ。恐る恐る出かけてみた。スコアーはボロボロだったが、カートで18ホールを回ることが出来た。病み上がり後のゴルフは格別に嬉しい。よく妻はディナーの後に、ケーキは別腹と言うが、私の場合はゴルフは別腰なのだ。ところで、今年のUS Openで病気にも関わらず最後まで優勝争いをしたJason Day の頑張りには共感できた。Dustin Johnsonの最後のパットは気の毒すぎる。



さて、数年前にWHO(世界保健機関)が発表したデング熱患者の血液検査の調査を見て驚いた。デング熱のウィルスに感染しても発症しない人、軽度の発症のある人、そして、デング・ショック・シンドロームといわれる重度の発症患者に分けて、肝機能の数値を示している。これによると、私が入院・退院した頃の肝機能の数値は重度のデング・ショック・シンドロームの数値を遥かに超えている。相当あぶない状況だったらしい。医者もあの数値でよく退院を許したものだ。肝臓の状況からすると、まだ、入院していた方が良いとは言われたが、とにかく私は家に帰りたかった。

 

農作業やゴルフを始めた今でも、肝機能は重度の範囲に入っている。退院時よりは数値は3分の1に下がったが、入院時よりも3倍高い。いまだに重症ということらしい。回復期の疲労は大敵らしいので、畑仕事は1日4時間以内に抑えて、ぼちぼちやっている。重いものを持ち上げると、右のわき腹が痛む。医者が肝臓が腫れていると言っていたことを思い出すと、余計に、わき腹が痛む気がする。気にしないようにしている。

 

デング熱には4種類あり、私が罹ったのはタイプ1。めでたくタイプ1の免疫は獲得したが、違うタイプの免疫はない。しかも、次に違うタイプに罹ると、初めて発症する場合よりも重篤になるらしい。ハワイにはデング熱のウィルスを持つ蚊はいないとされているが、万一の事を考えて、蚊に刺されないようにする必要がある。前述のようにGiant Spider Lilyも切った。

 

しかし、従来から畑仕事をしていると、顔中を蚊に刺される。もう、慣れっこになっているが、それではいけない。虫除けスプレーやクリームを顔に塗って、蚊に刺されないように注意が必要。

 

農作業をしていない時でも安心はしていられない。家でゆっくり読書をしている時に、妻にいきなり顔をひっぱたかれた。めがねが飛んで歪んでしまった。顔に蚊がとまっていたと彼女は主張するが。。。。。。

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2015/06/22   yamagishicoffee

ブラジル旅行顛末 2015年6月

201506Queen-hospital.jpg5月19日から妻とブラジルへ行った。友人と会い、その後、コーヒー農園視察ツアーに参加した。コナとブラジルでは気候が随分違うので、コーヒーの生産の仕方も違ってくる。それぞれの気候にあった生産の方法があり、とても興味深いものであった。

 ブラジルといえば、フルーツと肉。そこで、毎日の食事もフルーツ、肉、フルーツ、肉、フルーツ、肉、肉、肉、にく~、というような食生活を続け、無事ツアーは終わった。

5月31日に帰国。ところが、帰国直後から、体中が痛く、食欲がなく発熱が続き、寝込んでしまった。

 緊急病院に行こうかと思ったが、アメリカの病院では39.4度以下(103度)は受け付けない。実際、NYに住んでいたとき、高熱が出たことがあった。東京へ出張する前日。たまたま、飛行機の席がファーストクラスにアップグレードされた。生まれて始めてのファーストクラス。これを逃すわけにはいかないと、無理をして出張の準備を進めた。夕方、家に帰ると熱が40度を超えた。さすがに、病院に行った。すると、待合室で3時間以上も放って置かれて、ついに熱が41度を越え42度に近づいている。倒れて歯をガチガチいわしていたら、やっと看護婦がやってきて、「どうしてもっと早く来なかったの?」などと言われながら、中に入れてもらった経験がある。うわごとのように、「明日のファーストクラスには乗れますか~?」と医者に質問していたらしい。当然、出張はキャンセル。うかつに病院に行って酷い目に合った経験がトラウマになっている。

 6月4日に、耐え切れずに、病院に行った。体中が痛くて、下痢と熱があり、しかも、咳がでない。これはただのインフルエンザではないと感じていた。

検査の結果、高熱のうえ、白血球と血小板の減少に肝機能の低下があり、なんらかのウィルス性疾患で、中でも、黄熱病が疑われるとの診断だった。

ほとんど体の抵抗力がなくなっており、輸血が必要なほど危険な状態だったので、急遽、その夜に、ホノルルの大きな病院へエアー・アンビュランスで空輸された。

もし黄熱病ならハワイ州で初の症例だと医者たちは少し興奮気味。

飛行機のパイロットと看護師も黄熱病の予防接種を受けている人を非番にもかかわらず呼び出して運んでもらった。

ハワイ島のワイメア空港まで救急車で運ばれ、そこから小型機でホノルル空港へ。飛行機の中は集中治療室のような設備。ホノルル空港へ着陸する際には、私の乗った小型機は最優先で滑走路へ直行。その間、大勢の観光客を乗せた大型飛行機が飛行場の周りを何機も待機・旋回しているのは壮観であったと妻は言うが、私は担架の上で、ガタガタ震えているだけで何も覚えていない。

ホノルルの病院では、すわ、黄熱病かと、隔離病棟が用意され、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の役人までが待機していた。

珍しい患者だということで、連日、次から次へと、医者やインターンや医学生が見にきて、はっきり言って、人生で今が一番人気者という状態。

何人の医者の訪問を受けたかは、覚えていないが、どの医者も病室に入ると「君かあ、珍しい患者というのは」と言いながら同じ質問をしてくるので、こっちは閉口気味。

でも、こんなに人気があるなら、小学校の図書館にある子供用の偉人伝の本になって、野口英世の隣に置いてもらえる日も近いかもと、高熱で薄れる意識の中で思ったものだ。

 3日ほどたつと熱も下がり、だいぶ楽になった。マスクをすれば、病室の周りを歩いてもよいとのお許しが出たので、散歩に出かけた。廊下を挟んで隣の部屋には屈強な付き人が付いているのでよっぽどのVIPがお忍びで入院しているのか。隣人に恵まれたと思っていたら、彼も散歩に出てきてビックリ。足に鎖を付けて手錠をかけてのお散歩。どうやら、刑務所で心臓発作になって、運ばれてきたらしい。

 8日の晩になって、検査の結果が出て、デング熱と診断された。なーんだ。デング熱ならハワイでも年に2~3人は発症するわ、と、急に人気がなくなった。白血球も血小板も正常値に戻った。肝臓の数値は一向に改善されないが、デング熱ならば大丈夫と、9日には、退院することになった。退院する際に担当の伝染病専門医が、とっても嬉しそうな顔で部屋に入ってきた。私が急速な回復を遂げたことが、そんなに嬉しいのかと思ったら、「ハワイでは、デング熱は年に2~3人くらいしか発症しないのに、今日、これからまた一人デング熱患者が搬送されて来るんだよ。今度はタイからの帰国者だって」と、とても嬉しそう。 

 そして、ハワイ島に帰ってきた。いまだ、体中、湿疹だらけだが、もう熱はない。肝臓の回復は遅れているが、徐々に回復するらしい。1~2ヶ月程度は疲れが残るらしい。すでに、蚊に刺されても他に感染する可能性はない。うちの農園が、代々木公園のように閉鎖されることはないだろう。それでも帰宅翌日には衛生局の検査官が3人もやってきて、蚊やぼうふらが湧いてないかの検査をしていった。近所の家々にも訪問して注意を促したようだ。だから、デング熱は近所にすぐばれた。

 黄熱病もデング熱も蚊が媒体で感染する。ブラジル旅行中は長袖、長ズボン。半そでの場合は虫除けのスプレーをして、虫刺されには充分注意をしていた。事前に肝炎と腸チフスの予防注射をしていったし、サラダや生水は避けていた。ところが、実はブラジル旅行の始めの頃、5月24日にサンパウロのホテルの室内ジムで運動中に蚊に刺された。それが刺された唯一だ。うかつにも半ズボンをはいた。サンパウロではデング熱が大流行、100人に1.5人の割合で感染するほどの大流行だそうだ。それでも、ブラジル滞在中は発症せずに済んだ。実際に感染しても8割くらいの人は発病しない。ところが、さすがに、帰りの22時間のフライトは体にこたえたようだ。帰国直後から体調が悪化し、今回の顛末となった。とっても貴重な教訓となった。何が教訓って、健康のためにジムに行くのも命がけということ。ちがうか。。。

 しばらくは自宅療養します。

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2015/06/12   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年6月号

201506-Sugar-300x225.jpgSCAA(Specialty Coffee Association of America)はコーヒー豆の質を評価するための基準を設けている。その評価項目には、香り、均質性、クリーンカップ、甘さ、風味、酸味、こく、後味、バランス、全体評価などがある。それぞれの項目を点数化し、それを足し合わせて総合評価とする。

 コーヒーは農産物だから、産地・気候によって味が異なる。実に多様だ。SCAAの評価基準は多様な特徴を評価するのに役立つ。客観的な基準を作り、共通の言語を確立して、近年のサードウェーブの隆盛に貢献した。しかし、生産者である私は、この基準には違和感を覚える。なぜなら、クリーンカップが多くの項目の中の一つとして扱われているから。私はクリーンカップを他の項目よりも、重要な項目と考えている。

 クリーンとは異臭がない上に、渋み、えぐ味、苦味などの雑味がないこと。世間にはコーヒーの飲めない人、砂糖・ミルクなしでは飲めない人が多い。これは、大抵は雑味が強い(クリーンでない)からだ。他の評価項目、つまり、香り、酸味、バランス等々が劣るから飲めない訳ではない。正しく育てたコーヒーは雑味がない。さわやかで透明感があり、ブラックでも飲みやすい。ゴクゴクと飲める。これだけ多くの人をコーヒーから遠ざけている雑味を表す指標が他の項目と同等に扱われるのはどうしたことか。

 雑味の強いコーヒーを飲むと、歯を磨きたくなる感覚が口の中に残る。煙草を吸うと、口の中に嫌な渋みが残るのと似た感じだ(ちなみに、私は25年前に渡米を機に禁煙した)私は学生時代から、粋がってブラックで飲んだ。コーヒーに砂糖やクリームを入れるなんて味覚がお子様なのだとさえ思っていた。今にして思えばとんでもない。雑味だらけのコーヒーが一般的だったのだ。砂糖やクリームを入れる人こそ、まっとうな味覚の持ち主だ。最近は良質のコーヒーが浸透しつつあるが、まだまだ、砂糖・ミルクなしでは、とても飲めない雑味の強いコーヒーが巷に溢れているのは残念なことだ。

 そして、クリーンカップこそが、農家がいかに上質のコーヒーを作ろうと努力しているかを表す指標だ。他の評価項目は、畑の立地条件、その年の気象条件に左右される。お天道様のご機嫌しだいで味が変わる。しかし、クリーンカップはそういった自然環境頼みの項目とは一線を画す。コーヒーを健康に育て、健康な実だけを丁寧に収穫し、きれいに乾燥させる事がクリーンカップへの鍵だ。農家の努力の結晶だ。

 なかでも、重要なのは収穫。しかし、収穫は殆どの産地で、季節労働者か機械が行っている。農園主が自ら収穫をする農園は稀だ。それは、コーヒー摘みが肉体的、精神的に辛いからだ。コナの収穫の主な担い手はメキシコからの移民。極端な例では、コナの農園ではメキシコ人が摘み、メキシコの農園ではグアテマラ人が摘み、グアテマラの農園ではホンジュラス人が摘む。誰もコーヒーなんか摘みたくない。

 季節労働者は摘んだ重量で賃金を払われるから、きれいに摘むインセンティブは働かない。クリーンカップは、かくも不安定な構造の上に成り立っている。だから、クリーンなコーヒーは珍しい。ゆえに、多くの評価項目の1つに格下げしないと、多くのスペシャリティーコーヒーが足きりされる。これでは商売にならない。

 うちでは農園主の我々が主になってコーヒーを摘む。クリーンなコーヒーを作りたいから。ここ数年、コーヒー摘みばかりしているから、ゴルフの調子が悪い。村の長老、87歳のモーリス木村さんにさえ笑われる惨状だ。実に嘆かわしいが、モーリスさんは、うちのコーヒーだけは褒めてくれるから良しとしよう。
 

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2015/06/02   yamagishicoffee

SankeiBizの記事

SankeiBizに紹介されました。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/150510/ecd1505100704003-n1.htm
ニッポンコーヒー戦争と銘打った4回連載の特集記事で、私の農園は、その第4回です。
第1回: ブルーボトルコーヒーなどのサードウェーブ
第2回: コンビ二の100円コーヒー
第3回: 既存店の対応
第4回: 山岸コーヒー農園

業界の有名各社と並んで紹介されて、恐縮です。
記事にもありますが、私どものコーヒーを日本で
ネットで直販します。
6月開始予定です。

コーヒーの農園直販は珍しいと思います。
今年は試験的な販売なので、残念ながら少量しかありません。


 

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2015/05/11   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年5月号

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 ウォール街で働いていた頃、ヨーダとあだ名された。映画スターウォーズのキャラクターで年齢800歳を超えるジェダイの親玉だ。なんでも、小さい体で、変な英語を喋り、いつも顔色が悪く緑色だから。そのうえ、私が育てた後輩や弟子たちの多くが、その後、業界のスタープレーヤーになったので、ヨーダだそうだ。

 しかし、昨年は労働者探しに難儀した。品質にこだわるあまり、うるさい事を言いすぎかも。ヨーダを真似て”Try not.  Do or do not.  There is no try”(頑張りますではダメ。結果が全てだ)と言えば、ウォール街の若者はしびれるが、コナでは単にうるさいオヤジだ。

 昨季はコナ全体で大豊作。先月号のように、収穫作業をするピッカーが村全体で不足した。私のところもピッカーが集まらず難儀した。最後の手段で、モーリス木村さんに助けを求めた。かつて、彼には農園拡大を反対されたので、いまさらお願いするのはためらわれたが、もう、全ての人に断られて、彼が唯一の希望だった。(You are my only hope)

 彼はコーヒー農園で育った日系三世が中心のゴルフ会のメンバー。平均年齢80歳以上だが、週2回のラウンドをこなす。皆、すこぶる健康。コーヒーで散々苦労してきた彼らは、もう、二度とコーヒー摘みだけは御免だと日頃から笑い飛ばしている。その彼らにコーヒー摘みを手伝ってくれと声を掛けたが、あっさり断られた。  

 そこで、一計。2袋(約90kg)を摘んだら、私の所属するプライベートコースでゴルフとランチとビール飲み放題の条件で募集したところ、たちまち10数人が集まった。 

 約束の朝、薄暗いうちから彼らは来た。だが、畑への階段を下りてくるのを見て、嫌な予感がした。その年齢で、転倒すると一大事なので、彼らは普段から階段を下りる際は、少し斜めに構え、片足ずつ、慎重に下りる。やっぱり無理だ。危険すぎる。こんな岩だらけの斜面の畑に連れ出したのは間違いだったと後悔した。

 アンティーク物の収穫用バスケットを腰に付け、よたよた坂を下りてきた。しかし、コーヒーの木に向かった途端、人が変わったように生き生きと摘みだした。しかも速い。彼らこそヨーダだ。普段は杖を突いてよたよた歩くのに、ライトセーバーを手にした途端に、10回連続で宙返りし、敵と戦うヨーダそのものだ。なんたって、10数人の平均年齢は80歳以上。合計経験年数は800年を超える。ヨーダに引けを取らない。

 速いうえにきれいに摘む。きれいというのは、摘んだバスケットの中は赤く熟した実だけで未熟・過熟の実はなく、摘み終わった木には赤い実は残っていなく、地面には実が落ちていない状態。クリーンカップの秘訣だ。これまで、フィリピン人・メキシコ人など何人ものピッカーを見てきたが、これほどきれいに摘む人々を見たことがない。

 中には、「コーヒー摘みは大学卒業以来だから65年ぶりだ」という人がいる。それでもきれいに摘む。昔はコナの小中高校は、コーヒーの収穫に合わせて、9月から11月を夏休みとしていた。子供たちは5歳になるとコーヒー摘みを手伝った。さわやかな酸味を誇るコナコーヒーの名声は彼らのきれいな摘み方によって築かれたのだ。

 自転車や水泳と同じで、子供の頃に覚えたことは、体が覚えている。実際に、5歳から30歳までコーヒー摘みをして、その後40年摘んでいない人のほうが、30歳から始めて40年間摘み続けている人よりも、きれいに摘むのだ。  

 「この頃、神経痛に悩まされていたけど、久々にコーヒーを摘むと、体調もいいなあ。ワハハハハー」と言いながらビール片手に帰っていった。お陰で、収穫はいっきに進み、何とか苦難の4週間は乗り切れた。この村には、まだまだ才能が眠っている。

”May the picking force be with you” 

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2015/05/01   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年4月号

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収穫はすべて終わり、4月からは新シーズン。先シーズンの収穫は8月から3月まで及んだ。同じ木を3~4週間ごとに収穫し、合計で畑を11周した。その真ん中の10月から11月にかけての2周がピークだった。通常は一つの枝に緑の未熟の実と赤の完熟の実が混在しているなかで、赤だけを摘む。ピーク時には、枝によっては、赤く熟した実が鈴なりになり、その枝をバラバラと一気に摘むことができる。とても楽しい。日系人の町コナではそのような状態をSakari(盛り)と呼ぶ。

 通常の年は標高の低いサウスコナが最初にSakariになり、徐々にノースコナに移り、さらに標高の高い畑に移っていく。それにつれて、ピッカー(コーヒー摘みをする労働者)も南から北へ移動していく。コーヒーベルトの北端にあるうちの畑はいつも一番遅く、サウスコナよりも2ヶ月も遅くなることもある。ところが、昨年はサウスコナもノースコナもうちの畑も10月中旬に同時にSakariとなった。しかも、2年連続で雨が多かったために、どこも豊作。10月は町全体でピッカーが足りなくなった。

 9月まで収穫の手伝いに来てくれていたフィリピン人家族も彼らの畑が忙しくて、うちには来られそうにない。すると、とあるメキシコ人がやってきて、彼のチームを雇ってくれと頼んできた。これは渡りに船。フィリピン人家族には10月は自分の畑に専念してくださいとお断りして、メキシコ人チームを雇うことにした。

 ところが、約束の日の朝、メキシコ人チームは来なかった。連絡も取れない。たわわに赤く実ったコーヒー畑の真ん中に、我々2人はポツンと取り残された。とにかく摘まねば。この日から私と妻の苦難の日々が始まった。

 2人だけでひたすら摘む。夜明けから日暮れまで12時間摘み続ける。昼食は10分。しかも、家まで駆け足。アニメのシーンで、遅刻しそうな人がパンをくわえて疾走するのは定番だが、これまで、実際にそんな光景を見たことない。まさか、自分がやる羽目になるとは。夜は作り置きしたカレーを毎日食べ、その後、風呂に入ること3回。9時には倒れるように寝る。しかし、体じゅうが痛くて夜中に何度も目が覚める。   

 新しい畑はまだ植えて2年なのに大豊作。48列あるが、一日に2列しか進まない。その上、既存の畑が手付かずで残っている。知っている全てのピッカーのグループに電話したが、どこも忙しい。知り合いの農園主に電話しても、どこもピッカーが足りないと悲鳴を上げている。もう、お手上げだ。このままでは、実が過熟し発酵してしまう。我々の疲労も限界。もう、体重も3キロ減った。力がでない。

すると、友人の農家が、見るに見かねて3日間だけピッカー達を貸してくれた。大いに助かった。いっきに作業が進んだ。しかし、3日目に途中でさらわれた。ちょっと目を離したうちに、他の農園から法外な労賃で引き抜かれ、連れて行かれてしまった。仁義なき戦いだ。大農園ではSakariの時期に摘み遅れて実を腐らせると、数百万円・数千万円の単位で損が出る。みな必死だ。


 急遽、カナダに住む妻の両親を呼び寄せた。時差ぼけの中、気の毒だが、着いた翌日から手伝ってもらった。しかし、ちょっと目を離しているうちに、どこからともなく人が現れ、「君たちはどこのチームの人間だ?うちの畑で働かないか?」と、両親まで、さらわれそうになった。末期的だ。アロハの精神はどこへいったのだ?

 もう打つ手がない。すがる思いで、あの人に応援を頼んだ。モーリス木村さん。新しい畑を買う前に、コーヒー畑の拡大は止めなさいと、何度も私を諭した村の長老。あれだけ忠告を受けていながら、いまさら助けを求めるのは情けないが、そんな余裕はない。

 その模様は来月号で。

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2015/04/01   yamagishicoffee