農園便り

雑誌「珈琲と文化」2024年4月号 原稿

 
 
おめでとう、新社会人諸君。君たちの前には多くの可能性が広がっている。私の半生を振り返れば、仕事が辛くとも、不安におびえても、理不尽と思うことがあっても、目標に向かって努力していた頃が楽しかった。諸君は今、そのスタート地点にいる。羨ましい限りだ。
私は大学卒業後、金融機関に就職した。今はどうかは知らないが、当時は日本的な新卒一括採用・年功序列・終身雇用制度が盤石で、最初の十数年は平社員だが、同期との差もなく社内資格(階級)が上がる仕組みだった。
上司に言われた。「三十五歳までに多くを学んで自分の仕事のスタイルを確立しろ。三十五歳を過ぎたら、自分の持ち味は変えられない。そのスタイルで勝負しろ。」そしてNY支店にいた私は三十五歳で、申し訳なくも転職して終身雇用制度を飛び出た。
日本は正社員が保護され、非正規雇用者には冷たい。米国は逆。ブルーカラーや事務員の雇用は保護されるが、ホワイトカラーはExempt(適応外)といわれ保護の対象外だ。成果が良ければ給料は上がるし、悪ければ解雇。勤務時間に制限はなく残業代は出ない。
私の転職先は当時アメリカ最大の投資銀行メリルリンチのNY本社だった。メリルにも階級があったが、成果主義だから階級と年収は一致しない。当時は下からAssociate、 Senior Associate、 Assistant Vice President(AVP)、 Vice President(VP)、Director(課長・部長)、 Managing Director(部長・常務)、 Executive Vice President(専務)、 President(社長)、 Chairman(会長)と出世の道は険しい。
メリルに新卒で入社するとAssociateから始め、二年くらい下働きをしてSenior Associate。何割かはこの辺りで一旦辞めてMBAに行く。MBAで好成績を収めれば、どこかの投資銀行にAVPで滑り込める。二~四年でVPになり、単独で取引先と交渉するようになる。ここまでで半数以上が脱落するし、この時点で既に三十歳前後。そこからは実力と努力と運次第。成果が上がれば出世するし、業績が悪ければ解雇される。なかには四十歳代前半でExecutive VPになる人もいる。彼らエリートはやがて次期社長か、引き抜かれて他社の社長に収まる。
米国の会社はスペシャリスト集団だ。自分の専門分野を磨いて転職をしながら出世していく。自分で選んだ部署・ボスの元で自分の選んだ仕事をする。嫌なら転職するし、向かなきゃ解雇される。一方、日本の銀行では数年ごとに配置転換される。私の場合は十三年間で事務、ディーリング、融資、営業など多数の分野を経験させられた。様々な分野を広く浅く経験するジェネラリストとしての訓練を積む。転勤を繰り返し、新たな仕事を早く習得して、そつなくこなす能力が問われる。
日本のサラリーマンが米国で転職しようとして、「自分は一流大学を出て一流企業に勤めてます。命じられれば何でもこなせます」とアピールしても無駄だ。その時、ボスが求めている技能・アイデアを持つ人が雇われる。
私の場合は、メリルの重役との世間話で、今後はこういうスタイルの投資に需要が増えると思うと言ったら、ちょうど社内にそれを始めようとしている人がいるから彼と一緒にやらないかと誘われて転職することになった。
かくして彼(ボス)と私の社内ベンチャーは始まった。新事業なので、私は何でも屋。本業の資産運用の他に事務も経理も法務も営業もやった。幸運にも事業は軌道に乗り、私はManaging Directorに昇進した。人材を雇う予算ができて、公認会計士や弁護士を含め二十人以上の人材を集め、私は資産運用に専念できるようになった。日本のジェネラリストはジョブ型の米国では通用しないと云われるが、私の場合はジェネラリストであることが幸いした。日本にいれば平凡なサラリーマンなのに、米国企業では珍しかった。
メリルには野心家が集まる。マッシュルームのように次々と新規事業が芽を出すが、事業として軌道に乗るのは僅か。次々と解雇される。世界中から才能が集まる中、才能に乏しい私は、がむしゃらに働くだけが取り柄。残業すればするほど、時給に換算した給料は下がる。回りからはCheap Asian Labor(アジア人低賃金労働者)とからかわれた。
運よく事業は成功し出世もしたが、がむしゃらに働き続けたら四十二歳で癌になった。死んでは元も子もない。深く反省し、四十四歳でリタイアした。
のんびり暮らせるハワイへ移住した。たまたま買った家にコーヒー畑が付いていたことからコーヒー栽培を始めた。そして、私はYamagishi Coffeeの会長を称している。妻が社長。ただし社員は我々夫婦のみ。妻はコーヒー摘みが好きで、コーヒーを摘んでいると幸せだそうだ。だから私より妻の方がコーヒー摘みが断然上手い。速いし、きれいに摘む。実力は彼女の方が上なのに、なぜか私が会長だ。でも、彼女には社長兼CPOというカッコいいタイトルを授けている。Chief Picking Officer。
暫くして気が付いた。私にとって美味しいコーヒーとは、コーヒーの木を健康に育て、健康に完熟した実だけを丁寧に摘んだコーヒーだ。これは2023年6月の日本コーヒー文化学会総会の講演で述べた。YouTubeにあるので、興味のある方はご覧いただきたい。このことを発見して、コーヒー栽培、コーヒー摘みに、がむしゃらにのめり込んだ。
収獲の最盛期には地元の人を含め、メキシコ人などのピッカーを雇う。妻はスペイン語ができるので、彼らの会話をこっそり聞いては解説してくれるから面白い。新顔のピッカーが、少し離れて摘んでいる私のことを「あそこにいるチーノ(中国人、スペイン語では東アジア人全般を指すらしい)は誰だ?」と古顔のピッカーに尋ねた。古顔が「あれがパトローネ(農園主)だ」と説明すると、ビックリ顔。少し間をおいて「この農園は賃金をちゃんと払ってくれるのか?」と心配そうに相談していた。農園主がコーヒーを摘む農園はほとんどない。あっても、自分で摘まなければならないほど金に困った農園主は賃金の支払いにも滞るというのが、彼らの思考経路らしい。
確かに農園は赤字だが、賃金の支払いに滞ったことはない。自分が中心になって摘む以外に美味しいコーヒーを作る方法が見つからないので、自ら摘んでいるだけだ。
メキシコ人達と一緒に摘むと妻が一番速い。さすがCPO。「うあー、あのムチャチャ(お嬢さん)速い!」と、大男たちが「Vamos! Vamos!(頑張ろう)」と声をかけあう。しばらく大男らの尊敬を集めた彼女だが、やがてセニョーラ(農園主の奥様)だと判って、またビックリ。だが、彼女はスペイン語で「私は元は弁護士(Abogada)です」と自己紹介したつもりが、Avocado(食物のアボカド)と発音してしまい、アボカドちゃんになってしまった。
ピッカーには、きれいに摘むようお願いしている。摘める量が減るうえに、他の農園ではそんな面倒なことは要求されないので、嫌がられるが、その分賃金を多めに払う。それでも、我々は彼らより朝早くから摘み始め、夕方遅くまで摘む。しかも、速くきれいに摘む。圧倒的な実力を見せれば、彼らもついてきてくれる。
私はハワイでも相変わらずCheap Asian Labor。がむしゃらスタイルだ。だが、そんなことを十年以上続けたら、腰痛がひどくなった。周りの農園主や医者からは収穫は人に任せろと言われるが、それで美味しいコーヒーを作る自信はないし、美味しくなければ楽しくない。諦めて自家消費分だけに大幅に規模を縮小した。人生二度目のリタイアだ。
自分のスタイルは変えられない。もっとスマートにやってみたいものだが、結局、二度目のキャリアも同じように体が悲鳴を上げて諦める結果になった。
新社会人諸君、君たちはどういうスタイルで生きるのか。君たちの未来が羨ましい。
2024年4月 山岸秀彰
2025/01/16   yamagishicoffee
山岸コーヒー農園は小規模ながら品質追求のコーヒー栽培をしています。
コナ・ルビーはクリーンな味わいのコーヒーです。
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