今年も日本の夏は暑かったと伺った。申し訳ないが、我が家は涼しい。私の住むコーヒー畑は標高六百メートル。海沿いのリゾート地よりも五度近く涼しい。年間を通じて、二十七度を超えず、十五度を下回ることもない。コーヒー栽培に適した気温だ。それは人間にとっても快適。家にクーラーはないし、夜は羽毛布団で寝る。ここは楽園である。
今年の夏はスズメの雛を保護した。ヤシの木から巣が落ちて、一羽の雛は死んでいたが、二羽はまだ息があった。以前にも、コーヒーの木の上の巣から落ちた雛を巣に戻したりしたが、今回は巣ごと落ちている。親鳥が助けに来るかと放置したが、夕方になっても来ないので、家に保護した。生後数日らしく羽毛もない。翌日、一羽は衰弱しきって、次第に呼吸が遅くなり、もうだめかと思ったが、電気カーペットで温め、こまめに餌をやったら回復した。翌週、もう一羽は餌をのどに詰まらせてパタンと倒れて動かなくなった。あわてて餌をかき出し、心臓あたりを指でポンポン叩いたら奇跡的に蘇生した。すっかり雛が生活の中心となった。
三週間で飛べるようになったので外に放したが、一日に何度も戻ってきてピーピーと餌をねだる。もー、かわいい。だが、戻って来る時間は日によって違うので、家で待っていなければならない。そんな面倒くさい仕事は妻に丸投げして私はゴルフだが、妻はハマった。ピーチクとパーチクと名付け「ピーチク・パーチク~♪ピーピーピー♪チクチク♫」と可愛い歌まで作って世話をしている。六月末にコペンハーゲンでのコーヒー展示会に行く予定が、彼女は「コーヒーよりこっち。だって、餌をあげなかったら死んじゃうんだよ」と、北欧旅行をキャンセル。確かに旅行より、肩に乗ったピーチク、パーチクと「ピー、チクチク」と会話している方が楽しい。おおきくな~れ☆萌え萌えキュン。
そういえば、我家のコーヒー畑には、文鳥やキンノジコやカージナルなどの小鳥が多い。朝は鳥の鳴き声で目を覚ます。鳥たちは朝は元気にさえずる。その元気につられて眠気が覚めてくる。贅沢な目覚まし音だ。昼でも耳を澄ませば常に小鳥のさえずりが聞こえる。雨が降らない限り鳥の声が途切れることはない。種類により鳴き声は様々だが、雛のピーピーと餌をねだる大きな声は共通。初めて気付いたが、畑や家の周りの大きな木のほとんどから雛が餌をねだる声がする。コーヒー畑がこれほど新たな命の揺籃となっているのは驚きだ。畑は鳥の歌で溢れていて、人の心を豊かにする。
視覚的にも美しい。コーヒー畑は色彩も豊かだ。緑は多彩で色々な緑色がある。コーヒーの実はルビー色。遠望すると空と海が青い。雲は白い。また、朝の畑は朝露で濡れている。芝の朝露に朝日が当ると光線の加減で七色に光る。ハワイの虹もよいが、朝露の輝きも美しい。
水平線にも緑がある。私の家と畑は真西を向いていて、目の前の海に夕陽が沈む。水平線に雲のない日は赤い夕陽が沈む瞬間に緑色に光る。グリーンフラッシュだ。ハワイではこれを見ると幸せになると言われる。
世間によくある質問に、最後の晩餐に何を食べたいかというのがある。人生でこれが最後なら、何を食べたいかという意味だろう。
私は山岸コーヒーを飲みたい。標高六百メートルの我家のラナイ に座って、畑に集まる鳥のさえずりに耳を傾け、頬に心地よい風を感じながら、コーヒー畑の向こうに広がる海を見下ろす。青い海と空と、それを隔てるクッキリとした、なんとなく丸みをおびた水平線を眺めながら、自分で摘んだコーヒーを飲みたい。そして、飲み終わった後に、遥か西方の水平線に沈む夕陽は、西方極楽浄土におられる阿弥陀如来。夕陽が沈む瞬間に輝くグリーンフラッシュは、極楽浄土への青信号。もう、何もやり残したことはない。こんな最後の晩餐を想起させる景色だ。
さて、昨年末、京都と奈良に行った。京都の紅葉は美しかった。紅葉で有名な瑠璃光院へ行った。書院二階の大きな机に庭の紅葉が映り込む。机に向かって座ると、机に映った紅葉と庭の本物の紅葉が継ぎ目なく見えて、この世と思えないほど美しい。
惜しむらくは、朝の開門前から長蛇の列。机の前は押し合いへし合い。人混みに圧倒され後ろへ下がると、青いラピスラズリが飾ってあった。瑠璃石である。アフガニスタン産の見事な瑠璃石。ラピスラズリはフェルメールの絵画の青の顔料に使われた貴重な石だ。
私の浅い仏教知識では、瑠璃といえば瑠璃光浄土。西の彼方には阿弥陀如来がおわす極楽浄土。東の彼方には薬師如来の瑠璃光浄土があるという。瑠璃光浄土は瑠璃色に包まれた清浄な浄土らしい。
ところで、南山城の浄瑠璃寺の浄土式庭園では、庭園の西側の本堂に九体阿弥陀如来像が祀られた西方極楽浄土の世界、庭園の東側には東方瑠璃光浄土の主の薬師如来を安置した三重塔がある。その三重塔は朱色だ。また、薬師如来を本尊とする奈良の薬師寺も朱色に塗られ瑠璃色が使われていない。不思議だ。
大乗仏教の仏教芸術はガンダーラ地方で発達した。ガンダーラは現在のアフガニスタンからパキスタンにかけての地域。瑠璃石、すなわち、ラピスラズリの産地である。また、隣国のサマルカンドは青の都。青が聖なる色とされる文化地域である。その地で発展した大乗仏教が、瑠璃光浄土は瑠璃色の世界とするのであれば、それはラピスラズリの青の世界であろう。実際に、薬師如来のサンスクリット語のभैषज्यगुरुやBhaiṣajyaguruをネット検索すると、青い薬師如来の映像が多く出た。やはり、チベット仏教など西域では薬師如来は青の世界の住人らしい。中国を経て飛鳥時代に日本へ薬師如来が伝来した頃には、ラピスラズリを産しない中国・朝鮮・日本では瑠璃色はなじみが薄かったのだろうか。奈良時代に薬師寺を朱色に染めたのも何らかの理由があったのだろう。
さて、紅葉の美しい瑠璃光院は、瑠璃光の名を冠しているが、薬師如来が本尊ではない。浄土真宗の寺院なので、本尊は阿弥陀如来。瑠璃光院の名前の由来を不思議に思ったところ、その場に住職がおられたので尋ねた。
ご住職のご説明によると、阿弥陀如来が教主の極楽浄土は七宝に彩られた美しい世界。すなわち、金、銀、瑠璃、玻璃、しゃこ、珊瑚、瑪瑙などの美しい色に満ちた世界である。七宝とは伝統工芸の七宝焼の語源でもある。そして、薄暗い寺の中(現世)から、苔で覆われた庭を見ると、急に明るい浄土世界に出た感覚がする。そして苔の朝露が朝日に輝き、瑠璃色に見えることがあることが、瑠璃光院の由来との説明を受けた。
なるほど、この庭園の本領は朝日に輝く苔の朝露か。朝から並んで、押し合いへし合い、紅葉の写真を撮っている場合ではない。ポイントを外していた。朝露を撮らなきゃ。
そこで気が付いた。たとえ京都に行かなくても、ハワイのコーヒー畑で芝の朝露に映る七色の光の中に極楽浄土の瑠璃光や七宝の輝きを見ることができるともいえる。
加えて、極楽浄土には六種類の鳥がいて、鳥の声が聞こえるという。これらの鳥は、仏法を説き弘める為に阿弥陀仏が姿を変えて現れ出て下さったものだそうだ。なんと常に鳥の声を浴びている我家のコーヒー畑と同じではないか。ピーチクとパーチクは阿弥陀様の化身で、彼らの発する「ピー、チクチク」はありがたい説法であったか。なるほど心が洗われる。北欧旅行をキャンセルしてお世話する気になる訳だ。
伺ったところ、極楽浄土とは、寒からず暑からず、気候は調和し、七宝に美しく輝き、仏の妙説のような鳥声が聞こえる場所らしい。おそらく、昔の人にとって、そんな住み心地の良い所に住みたいという、理想の場所を表したものであろう。そしてそれは限りなくコーヒー畑の気候に近い。コーヒー畑こそ、ホモサピエンスにとって理想の気候、極楽浄土の様な所ということに改めて気付いた涼しい夏であった。
ピー、チクチク。ありがたや。
2024年9月 山岸秀彰