コーヒーの花が咲いた
コーヒーの花が咲いた。
このところの雨に刺激されたようだ。
今シーズン最初の開花。
これから5月まで、雨が降るたびに咲く。
2~3月頃に満開に咲くのをコナスノーという。
ちなみに、今日も雨。農作業はお休み。
コーヒーの花が咲いた。
このところの雨に刺激されたようだ。
今シーズン最初の開花。
これから5月まで、雨が降るたびに咲く。
2~3月頃に満開に咲くのをコナスノーという。
ちなみに、今日も雨。農作業はお休み。
コーヒーの収穫も終盤。
今日はお礼肥えをした。消耗した樹勢を回復し春の開花に向けて栄養を蓄えるためにこの時期に行う。
ところが、この時期コナは乾期。雨が少ない。施肥のタイミングを計っていたところ、今日は朝から雨が降る雰囲気満々。収穫は諦めて、午前中に慌てて肥料を撒いていたら雨が降り始め、肥料が地面に吸収されて任務完了。満足満足。
午後は休憩。ビールを飲みながら、ゴルフのタイガーウッズの復帰戦をテレビで観戦したら、松山英樹選手が優勝。なんて素晴らしい一日。
どうしてコーヒーはこんなに安いのだろうか。朝起きてボーとした頭を覚ますためにコーヒーを買う。出勤前にコンビニに立ち寄り100円。会社で客のわがまま放題に耳を傾けるには頭がすっきりしていないとだめ。どうしても朝の100円は欠かせない。
朝の100円のおかげで、わがままな客を顧慮するのみならず、無茶苦茶な上司を忖度し、訳のわからん部下を斟酌しながら、業務を勘考することができる。カフェインを注入しながら、1日中こんなことを繰り返すと、もう頭がパンパン。交感神経がビンビン活動して、帰っても寝られない。だから、朝と同じようなボーとした頭の状態に戻すために、どうしても帰りがけにビールをとりあえず一杯。600円。なかなか一杯ではボーとできないので、どうしたって2~3杯は飲んでしまう。すぐに2000円くらいになる。
顧慮と忖度と斟酌と勘考を繰り返すサラリーマンにとっては、コーヒーもビールも日々を無事にやり過ごすための道具、つまり、交感神経と副交感神経のスイッチを操作する道具なのに、どうして頭のスイッチを入れるのと切るのではこんなに値段が違うのだろうか。
一方は、南米の山奥で人が日の出から日暮れまで一粒ずつ手で摘んで、ロバに載せて、山を降りて、トラックに積んで、皮むきして、乾燥して、精製して、港まで運んで、船に載せて、大西洋を北上して、パナマ運河を通って、太平洋を端から端まで横断して、通関して、卸して、焙煎して、配達して、抽出して、たったの100円。しかも、味だって100円の割にはかなりお得。凄いでしょう?
もう一方は、ユーミンの曲「中央フリーウェイ」によると、中央道を八王子方面へ向けて走ると調布の先で「右に見える競馬場、左がビール工場♪」。あんなにそばから来るのにどうして6倍も20倍も高いんだろう。
そもそも、コーヒーはそんなに安くないとだめなのか。スイッチを入れる機能のほうが切る機能よりも、サラリーマン生活上よっぽど重要だと思うのだが。やはり、コーヒーは生産過程のどこかで手を抜いている。そして、不当に搾取されている人がいる。
コーヒーの最大の生産国はブラジル。コーヒーという植物は、そもそも森の中や山の斜面に植えて手で収穫するものだったが、ブラジルでは品種改良により大平原でも育つコーヒーを植えて機械で収穫する。まったくゲームが変わった。人間が手で摘むのとは違って、暴力的に効率が良い。何百倍も早く収穫できる。機械だと完熟も未熟も過熟も一緒に収穫するので、完熟実だけを手摘みするのには品質では敵わないが、生産コストは圧倒的に安い。味にうるさいことさえ言わなければ、圧倒的な競争力だ。我々の信奉する資本主義では、革命的に効率の良い生産方法を取り入れた者に資本と売り上げが集まり、そうでない者は取り残される。それが資本主義文明の進歩の原動力だ。
それに対抗するために手摘みの産地は収穫作業をする労働者への賃金を下げる。一日働いて300円程度の賃金がまかり通っている。これでは丁寧に摘む意欲もわかない。
もうひとつの対抗策は品質を高め値段を上げることだ。きれいに収穫して美味しいものを作る。カフェインの効果で顧慮と忖度と斟酌と勘考さえできれば良いというのではなく、コーヒー自体が美味しいという新たな価値の創造だ。あとは消費国側でコーヒーの品質に対して値段を払う文化が育ってほしい。100円コーヒーは資本主義の勝利で素晴らしいが、良質のコーヒーに価値を認め、それに見合った対価を払う文化も資本主義の産物だ。ワインにはそういう文化がある。
ビールに600円とか2000円も払うんだったら、一杯2000円のコーヒーがあってもいいじゃん。スイッチ入るよ。