雑誌「珈琲と文化」10月号の原稿(柳家小三治師匠の落語)
柳家小三治師匠がお亡くなりになった。雑誌「珈琲と文化」10月号に下記原稿を書いたばかりなのに。合掌。
コーヒー栽培を始めて落語を聴くようになった。農作業をしながら落語を聴く。コーヒー摘みは8月から1月まで続く。長丁場の単純作業は精神的に辛いが、落語を聴きながらだと楽に摘める。テレビで落語を見ると、一席30分程度が限界で、二席、三席と続くと、いつの間にか、うわのそらになる。ところが、コーヒーを摘みながらだと、10時間ぶっ通しで聴いても飽きないから不思議だ。
落語のCDは五百個以上集めた。それでも数に限りがあるので、同じものを何十回も聴く。すると、だんだん自分の好みが分かってくる。落語家の個性も分かるし、同じ演目を別の落語家が演じたときの差も楽しめる。
やはり、世間で名人と言われた人は上手い。志ん生や圓生はさすが。志ん朝のCDはほとんどすべて持っている。彼の存命中に寄席へ行かなかったことが後悔される。新入社員時代は池袋の社宅住まいで、池袋演芸場の前をよく通った。いつか入ろうと思ったが、時はバブル。忙しくて、ついぞ行きそびれた。今なら残業・休日出勤よりも迷わず寄席を選ぶ。若かったとはいえ、あの頃の自分の愚かさに呆れる。
存命中で昭和の古典落語の名人と言えば、柳家小三治。現在、落語家で唯一の人間国宝。まくらで独自の高みにいるけど(まくらとは落語に入る前の短い世間話、小三治師匠はまくらが長い。そして面白い)。彼のCDは全部持っている。まくらを集めたCDや本もある。「卵かけご飯」や「駐車場物語」は、日本へ往復して時差ボケで眠れない時など、これを聴くと自然と眠れる。もう何百回も聴いたので、台詞も抑揚も間も分かっているから安心。子守唄替わりだ。海外旅行には欠かせない。
ここ数年はお出にならないが、以前は正月の二の席(10~19日)の池袋演芸場(昼)と新宿末広亭(夜)は小三治師匠がトリを務めた。1月はコーヒー摘みの終盤で、時間に余裕ができる。その間隙をぬって、毎年日本へ飛び寄席通いをした。
ある時、池袋の楽屋へ私のコーヒーを差し入れした。手紙も付けた。「コーヒーの収穫は単調で退屈な作業です。しかし、いつも小三治師匠の落語を聞きながら収穫するので、とても楽しい作業となります。収穫時期は毎日、夜明けから日暮れまで師匠の落語を聞きながら摘むので、もう、まるで師匠と一緒に摘んでいる感覚です。(中略)師匠の落語がしみこんだコーヒーは世界中で私どものコーヒーだけです。」我ながら良く書けた。
その日、高座に上がった師匠の落語はさすがだったが、風邪ぎみで、少しお気の毒だった。翌日も行った。なにせ、毎日通っているのだ。するとまくらで、風邪の話をした。「風邪の時は白湯が体が温まって一番。紅茶もいい。だが、コーヒーは体を冷やす。風邪の時はコーヒーよりも白湯」とまくらを締め、落語に入って行った。
その瞬間、ピンときた。これは私へのメッセージだ。前日、直接手渡した訳ではない。師匠は私の顔を知らない。その日も私が来ているのもご存じない。でも、これは「コーヒーは受け取ったが、風邪気味なので、まだ飲んでいない」という高座からの私だけへの秘密のメッセージだ。勝手な解釈で勝手に舞い上がった。
ハワイに帰ってからも、なんだか嬉しい。しかし、コーヒーは体を冷やすというのが気になった。興味深かったので、インターネットで検索した。なるほどコーヒーは体を冷やすと書いてある。なんでも漢方理論では南方原産の植物は体を冷やす効果がある。暑い南方では、人類は長い歴史の中で、体を冷やす食物を選別して栽培してきた。コーヒーも熱帯・亜熱帯地方で栽培される。したがって、体を冷やす効果があるというのが、ネットの記述に共通した説明だ。どうやら、日本のネット界の常識らしい。
一方、英語で検索すると、世界中の科学者が書いた研究論文が出てくる。概ね共通しているのは、コーヒーに含まれるカフェインは体の代謝を活性化するので、体を温めるというもの。なんと、ネットの世界は日本語と英語では結論が逆だ。
漢方と近代科学のどちらを信じるかは、この農夫には判断の付かない深淵な問題だが、本件に関しては、NYでポートフォリオマネージメントをしていた私には、近代科学的知見に納得感がある。
しかし、私のボスのボスなどは、ハドソン川を見下ろすオフィスで川下に向かって机を置いていた。不自然なレイアウトなので尋ねると、Feng Shui(風水)だという。川上から流れてくるお金がズボンのポケットに入るように川下を向いて座るそうだ。川上を向くと、ポケットからお金が流れ出るからダメ、株主にも申し訳ないと得意げだった。
とはいえ、私の職務は資産運用。顧客から預かった資金を運用する者には受託者忠実義務(Fiduciary Duty)が課せられる。常識的に説明ができる合理的判断に基づいて投資する義務がある。もし顧客資金を陰陽論や風水に基づいて運用したら、受託者忠実義務違反に問われるだろう。私も若い頃は、満月の晩はNY為替市場は荒れるとの珍説を立て吹聴して、日経新聞が取り上げたりしたが、あれは洒落だ。実際にそれで投資判断をしたことはない(机にはサイコロ、壁にはダーツを置いていたけど)。コーヒーに関しても、やはり科学的知見を支持したい。
では、なぜ、南方原産のコーヒーは体を冷やすの漢方理論が、日本語ネットの常識なのかを考え、一つの仮説に至った。鍵はクリーンカップ。本来コーヒーは、正しい品種を正しく育て、正しく収穫し、正しく乾燥・精選すれば、雑味がなく、クリーンでとても飲みやすい。ところが、質の悪いコーヒーだと、どうしたって、眉間に皺を寄せ、すすりながら、ちびちびと飲むことになる。これでは体は温まらない。日本では人々のそのような「あまり体が温まらないなあ」という実体験が重なって、コーヒーは体を冷やすとの漢方理論が受け入れられたというのが私の仮説である。
クリーンなコーヒーはマグカップに入れて、ごくごくと飲める。たとえ、カフェインの代謝効果を抜きにしても、温かいコーヒーをマグカップで飲めば、湯飲みで白湯を飲むのと同じだけの熱量を体内に取り込むので、それだけ体は温まる。
さて、ここまで筆を進めておきながら、少し困ったことになった。実は、うちのコーヒーは冷めてからが美味しいのだ。冷めるとコーヒーの甘みや酸味がより鮮明に感じる。粗悪なコーヒーではこうはいかない。私も自分のコーヒーをマグカップで時間をかけて、冷めてからの甘みを楽しんでいる。そうなると、カフェイン効果はあるにせよ、コーヒーはそれほど体を温めないかもしれない。東洋医学に恐れ入った。
さて、その翌月も日本へ行く用事があった。そこで、再度、差し入れようと企んだ。ついては手紙を書いた。「前月の高座からの私だけへの秘密のメッセージは感動しました」から始まり、上述の仮説を書いた。
手紙を妻に見せると、「すると、あなたは、人間国宝に向かって、日頃から、ろくなコーヒーを飲んでいないと意見したいわけね」ときた。なるほど、危うく失礼な手紙を出すところだった。
この話を何度か酒の席で友人にしたら、誰もが「それは面白いから出せ、出せ。相手は落語家だ。洒落は分かる。洒落だよ洒落」とけしかける。バカはおだてられると何でもする。思い切ってコーヒーに無礼千万な手紙を添えて差し入れた。
返事も、秘密のメッセージもなかった。。。
その年は用が多く、春も日本へ行った。性懲りもなく、また楽屋に差し入れした。すると、その日の演目は「出来心」、つまり泥棒の話で、まくらで小三治師匠は「最近は売名行為が多い」という話をされた。
ひえ~!今日の秘密のメッセージは、売名行為ですか~。まいりました。降参です。確かに、小三治師匠といえば、蜂蜜や塩やカステラなど、色々なものにこだわるおかた。彼の商品に対する論評は落語ファンへの影響力が大きい。取り入りたがる業者もあろう。
そんなつもりはなかったんです。ただのファンです。ごめんなさい。もうしません。