コーヒーと少数民族
私の妻がコーヒー摘みの達人になる前はNY州弁護士だった。その前は、弁護士のN氏率いるNGOで途上国の孤児を支援するボランティア活動をしていた。1980年代、まだロースクールの学生だったN氏は、飢餓で苦しむエチオピアの草原に飛行機で救援物資を飛ばした。食糧や医薬品の寄付を募り、航空会社から無償で飛行機の提供を受け、草原の草をむしり地面をならして土の滑走路を手作りした。国連など大組織では支援に時間もかかるし、途中で中抜きリスクもある。NGOの力で直接、素早く支援を届けた。何かの雑誌で世界に影響を与える若者10人に選ばれた。
結婚前の私の妻は、ひと時N氏の紹介でバンコクのKlong toey地区のスラムにあるNGOでボランティアをした。スラムにはHIVを持って生まれた孤児が大勢いた。親はなく、自分も長くは生きられない。自暴自棄になりがちな子供達だ。そんな子供達と手書きのホリデーカードを作り、近所のナイキの工場に買ってもらい、自分の工夫でお金を稼げることを体感するプロジェクトを発案し実行した。ナイキからは縫製の悪い靴を貰い、孤児らが履いたナイキのロゴがスラムを走り回ったそうだ。ナイキの株主の私も嬉しい。
昔はタイ北部の国境地帯はゴールデントライアングルと言われアヘンの原料のケシの栽培地域だった。タイ政府の施政の及ばぬ無法地帯。妻が北部山岳地帯へ行ったら、軍隊が道を封鎖して、ずいぶんと物騒だったらしい。
私は、数年前にコーヒーハンターの川島良彰氏の案内でタイ北部のドイトゥン地区を見学した。タイ王室の資金でケシ栽培地帯をコーヒー栽培に転換したプロジェクトだ。川島氏もコーヒー生産の技術指導をしている。コーヒーへの転換で、地元の少数民族がケシを栽培せずとも自活できるようになった。素晴らしい成功例だ。私は30年ぶりのタイ訪問。その間、タイの実質GDPは3倍に増えた。その発展ぶりには驚いた。初めて訪れたドイトゥン地区はきれいに整備され、とても安全。タイは確実に前に進んでいると感じた。
コーヒーを飲めばタイ経済の発展に貢献すると感じる方もあろうが、私はそうは捉えない。コーヒーはタイにとって成長戦略ではない。コーヒー生産量上位50か国の生産量をGDPで割ると、タイは米国、中国、マレーシアに続き下から4番目。小さすぎて成長戦略とはいえない。むしろドイトゥン・プロジェクトは、少数民族対策の成功例だ。ドイトゥンの現地スタッフの多くは大卒のタイ人でバンコクでの職と遜色ない収入を得るが、実際にコーヒーを育て、摘むのは少数民族で収入はずっと低い。それでも、アヘンを生産せずとも、娘を売らずとも生活できるから、それは素晴らしい成果だ。
少数民族問題は日本人の私には計り知れない悩ましい問題だ。国によっては、地元民に良かれと思う支援も、一部の勢力には許しがたい行為ともなりうる。アフガニスタンで支援活動をした医師の中村哲氏殺害のニュースは記憶に新しい。
冒頭で述べた妻の元上司のN氏。数年前に、ある国で児童性的虐待撲滅のために現地活動をしていたら、児童性的虐待で逮捕され、8年の刑で投獄された。彼を知る人々は、彼にはそういう嗜好はないし、そういう人物ではないと信じるが、その国の裁判では、証拠も提示されずに有罪とされたらしい。真相は闇の中。
中村氏やN氏の例は残念な結果だが、最近のスペシャリティーコーヒーの潮流は山岳地帯の少数民族や貧困層と消費国を直に結ぶリンクとなった。リベラルな若者にとってコーヒーがオシャレな飲み物なのは、それを感じ取っているからだろうか。自由主義陣営の価値観の押し付けとの批判と反動リスクもあろうが、情報とお金の自由な動きが、少数民族と我々を繋いでいくのは止められない。