東京で講演します
6月7日(水)14時から、キャピタル(株)にて、コーヒーに関して講演します。
まだ、席に余裕があるそうです。
https://www.capital-coffee.co.jp/?p=12525
6月4日には日本コーヒー文化学会の年次総会で講演しますが、こちらは会員限定です。
6月7日(水)14時から、キャピタル(株)にて、コーヒーに関して講演します。
まだ、席に余裕があるそうです。
https://www.capital-coffee.co.jp/?p=12525
6月4日には日本コーヒー文化学会の年次総会で講演しますが、こちらは会員限定です。
雑誌「珈琲と文化」1月号の拙稿を転載します。リン酸の実験をしたら大失敗だった話です。
「美味しいコーヒーを飲むために-栽培編-」という題で本を書きました。いなほ書房より、2月16日発売です。
生産者の立場から、コーヒー栽培の基本を語りました。ひとりのピッカーの目線からコーヒーを眺めると、こう見えるという内容で、コーヒーの木を健康に育てて、健康に完熟した実だけを丁寧に摘んだコーヒーが美味しいコーヒーだという主張です。
コーヒー業界の方々、コーヒー愛好家の方々にも参考になるかと思います。また、一般の方でも読みやすいように平易に書いたつもりです。なるべく多くの方に読んでいただきたいと思っております。
お読みいただけると幸いです。電子書籍はありませんが、ネット通販で買えます
先週、母が突然他界した。40年前に父を亡くし我が家は困窮した。それでも、母は私を大学へ行かせてくれた。あの頃の母を思い出すと涙がでる。私は今月で60歳。先月、母と妹から赤いちゃんちゃんこが送られてきたが、着て見せることはかなわなかった。
さて、毎月の始めに、このA4サイズの農園便りを書き始めたのは2012年7月。ちょうど10年になる。我ながらよくも120話も恥をさらしたものだ。ほとんどが愚痴だが、それなりに農家の視点からコーヒーを語ったつもりだ。10年を区切りに、今回でこの農園便りは最終回といたしたい。(雑誌「珈琲と文化」のエッセイは暫く継続)
大学を出て、人並みに金が欲しくて、日本の金融機関へ就職した。NY支店の頃、米国投資銀行の幹部との世間話で、今後はこういう種類の投資が流行ると話したら、それなら、うちへ来てそれをやらないかと誘われて転職した。アメリカ資本主義の神髄を体験できた。新規事業は紆余曲折だったが、そこそこ軌道に乗った。Managing Directorにも昇進した。そして、キャリアの絶頂で癌を宣告された。手術は痛かった。
心を入れ替えた。貧しい頃の願いは叶い金は貯まったが、使う前に死んだら元も子もない。それまで育てたビジネスとチームを捨てるのは辛かったが、体制を整えてリタイアした。それでも44歳でリタイアできたのは、いかにもアメリカらしい。
休暇で何度か訪れたハワイ島コナに魅了され、移住した。ゴルフやスキューバダイビング。それに、明治の日本がここに取り残されたような日系人社会があり、義理堅い人々に出会った。たまたま買った家にコーヒー畑が付いていたことから、コーヒー栽培を始めた。職場で飲むコーヒーは世界経済の原動力。それがこのように作られるとは知らなかった。それどころか、自分は何も知らないことに愕然とした。コーヒー栽培のことは一から勉強して多少は学んだが、トラックや農機具など絶対に自分で作れない。軍手や長靴だって作れない。剪定ばさみにも、それを作る職人の技がある。世界は英知と技術に溢れている。金融の知識ぐらいでこんなに早くリタイアして申し訳ない。
色々な人の英知と技術が連なってコーヒーが飲める。そして、その中で、美味しいコーヒーのためには、世界に3千万人いると推定されるコーヒーを摘む人(ピッカー)が最も重要と気が付いた。それなのに、彼らの収入は最も低い。構造的におかしい。
ピッカーは辛い仕事だ。コーヒーサプライチェーンの最下層。たとえは難しいが、日本の農村で働く外国人研修生の下の下のぐらいの階層。私の学生時代より貧しい。
コーヒーの価値の源泉がピッカーならば、単なる農園主ではだめ。自らピッカーになった。彼らと同じように摘み、誰よりもきれいに摘もうと努力した。それが自慢だったし、他のコナコーヒーとは一味違った。しかし、10年以上続けたら腰椎が潰れた。やはり大変な仕事だと身をもって理解できた。残念ながら、昨年から生産量を自家消費分に絞った。
赤字の道楽だが、自分の時間と労力のほとんどをつぎ込んだ。一般的なコナコーヒー同様の価格で売ったから高い。諸経費の高いハワイだからご勘弁いただきたい。ただ10年以上もやれたのは、こんな道楽に付き合ってくれるお客様あってのこと。感謝したい。
貧困から抜け出たくて就職した。終身雇用制度という日本独特の奇習のもとで働いたのは興味深い経験だった。ウォール街に転じ、世界中から集まる人材としのぎを削る高揚感も味わえた。でも、何もかもが違う農家となり、ピッカーという対極の身分で生きたのは、なによりも愉快だった。日本のサラリーマン社会を飛び出してよかった。早くリタイアして良かった。さて、人生百年時代が到来するそうだ。残り40年間、何をしようかな。
10年間、ご愛読ありがとございました。
私の妻がコーヒー摘みの達人になる前はNY州弁護士だった。その前は、弁護士のN氏率いるNGOで途上国の孤児を支援するボランティア活動をしていた。1980年代、まだロースクールの学生だったN氏は、飢餓で苦しむエチオピアの草原に飛行機で救援物資を飛ばした。食糧や医薬品の寄付を募り、航空会社から無償で飛行機の提供を受け、草原の草をむしり地面をならして土の滑走路を手作りした。国連など大組織では支援に時間もかかるし、途中で中抜きリスクもある。NGOの力で直接、素早く支援を届けた。何かの雑誌で世界に影響を与える若者10人に選ばれた。
結婚前の私の妻は、ひと時N氏の紹介でバンコクのKlong toey地区のスラムにあるNGOでボランティアをした。スラムにはHIVを持って生まれた孤児が大勢いた。親はなく、自分も長くは生きられない。自暴自棄になりがちな子供達だ。そんな子供達と手書きのホリデーカードを作り、近所のナイキの工場に買ってもらい、自分の工夫でお金を稼げることを体感するプロジェクトを発案し実行した。ナイキからは縫製の悪い靴を貰い、孤児らが履いたナイキのロゴがスラムを走り回ったそうだ。ナイキの株主の私も嬉しい。
昔はタイ北部の国境地帯はゴールデントライアングルと言われアヘンの原料のケシの栽培地域だった。タイ政府の施政の及ばぬ無法地帯。妻が北部山岳地帯へ行ったら、軍隊が道を封鎖して、ずいぶんと物騒だったらしい。
私は、数年前にコーヒーハンターの川島良彰氏の案内でタイ北部のドイトゥン地区を見学した。タイ王室の資金でケシ栽培地帯をコーヒー栽培に転換したプロジェクトだ。川島氏もコーヒー生産の技術指導をしている。コーヒーへの転換で、地元の少数民族がケシを栽培せずとも自活できるようになった。素晴らしい成功例だ。私は30年ぶりのタイ訪問。その間、タイの実質GDPは3倍に増えた。その発展ぶりには驚いた。初めて訪れたドイトゥン地区はきれいに整備され、とても安全。タイは確実に前に進んでいると感じた。
コーヒーを飲めばタイ経済の発展に貢献すると感じる方もあろうが、私はそうは捉えない。コーヒーはタイにとって成長戦略ではない。コーヒー生産量上位50か国の生産量をGDPで割ると、タイは米国、中国、マレーシアに続き下から4番目。小さすぎて成長戦略とはいえない。むしろドイトゥン・プロジェクトは、少数民族対策の成功例だ。ドイトゥンの現地スタッフの多くは大卒のタイ人でバンコクでの職と遜色ない収入を得るが、実際にコーヒーを育て、摘むのは少数民族で収入はずっと低い。それでも、アヘンを生産せずとも、娘を売らずとも生活できるから、それは素晴らしい成果だ。
少数民族問題は日本人の私には計り知れない悩ましい問題だ。国によっては、地元民に良かれと思う支援も、一部の勢力には許しがたい行為ともなりうる。アフガニスタンで支援活動をした医師の中村哲氏殺害のニュースは記憶に新しい。
冒頭で述べた妻の元上司のN氏。数年前に、ある国で児童性的虐待撲滅のために現地活動をしていたら、児童性的虐待で逮捕され、8年の刑で投獄された。彼を知る人々は、彼にはそういう嗜好はないし、そういう人物ではないと信じるが、その国の裁判では、証拠も提示されずに有罪とされたらしい。真相は闇の中。
中村氏やN氏の例は残念な結果だが、最近のスペシャリティーコーヒーの潮流は山岳地帯の少数民族や貧困層と消費国を直に結ぶリンクとなった。リベラルな若者にとってコーヒーがオシャレな飲み物なのは、それを感じ取っているからだろうか。自由主義陣営の価値観の押し付けとの批判と反動リスクもあろうが、情報とお金の自由な動きが、少数民族と我々を繋いでいくのは止められない。
雑誌「珈琲と文化」4月号の原稿を転載します。カーボンファーミングに関してです。
中川毅著「人類と気候の10万年史」によると、地球の気温は安定期と変動期を繰り返してきた。氷河期が約一万二千年前に終わり、気温の安定期に入っている。同時に人類は農耕を始めた。狩猟採取時代の人類は頭が悪かったわけではない。変動期には、五度(東京とマニラの差)もの平均気温の変動が百年間に三~四往復もしたから、農業は無理だった。人類文明は地球が気温安定期に入ったからこそ開花した。そして、その安定は微妙な均衡の上に成り立っている。
私の読後感想はこうだ。このまま温暖化が進むと、あと数十年で気温上昇を止められなくなる可能性があるらしい。もし気温が高位安定すれば、北国の農業は得をするかもしれない。しかし、せっかく安定している気温が暴走を始め、変動期(地球のより一般的な状態)へ突入したら、農業はできない。仮に、規則的に五度変動するのであれば、十年ごとにバナナと小麦を転作する手もあろうが、変動の時期と幅は予測できないので、私なら農家を諦める。私だけなら問題ないが、農家が全員諦めたら、人類は困る。
さて、現在でも農業は文明の基盤だが、残念ながら、その農業自体が二酸化炭素を排出する。まず、土壌中からの蒸発。土壌は粘土と腐植からなる。植物は光合成で空気中の二酸化炭素を取り込んで根や枝や葉などの組織を作る。その死骸がある程度分解した段階で土壌に残ったのが腐植。つまり、炭素の塊。三億年前の石炭紀には木材を分解する菌類がいなかったので、森林の樹木が石炭となり地中へ炭素を大量に固定したが、現代の草原や森林では細菌類が有機物を分解して、地表の炭素の99%は大気中へ蒸発し、土壌中に残るのは1%以下。しかし、1%とて馬鹿にはできない。地球全体の土壌中には大気の三倍もの炭素が腐植として存在しているそうだ。
ところが、人類が一万年前に農耕を始めて、草原や森林を切り開いたから、地表の炭素(草原の草や森の樹木)は焼き払われるし、耕すと、せっかく何千、何万年もかけて土壌中に貯められた炭素も二酸化炭素として空気中へ蒸発してしまう。
そこで、近年、カーボンファーミングなる言葉が生まれた。堆肥を積極的に使い、かつ不耕起にして、炭素を土壌に戻す農法。これだと、炭素の蒸発を防いで土壌中に貯められるので温暖化対策になるという触れ込み。ナパのワイン畑などで使われる。
ところで、うちの畑はコーヒーの木が列に並んで植えてある。最初の数年は各列の両端の木の生育は悪かった。端の木は隣に木がないので太陽光を多く浴びる。コーヒーの木は直射日光が苦手。葉が黄色くなり収穫量も少なく、困った問題だった。ところが、ここ数年は端の木の生育がすこぶる良い。不思議なこともあるものだ。
二つ理由が考えられる。まず第一に、数年前にキラウェア火山の噴火が止まって以来、コナは雨が多い。日光が柔らかくなったことが原因ではなかろうか。(ただし、昨秋、噴火が再開し雨量が減った。)
第二に、土壌中の炭素量。うちの畑は二年ごとに木を膝の高さでカットバック(剪定)する。切った枝葉を畑の端の通路脇に積み上げ、粉砕機で細かく粉砕し畑に撒くが、そんなに遠くまでは飛ばせないので、どうしても列の端の方に集中する。それら枝葉は一年で昆虫や細菌類に分解されてなくなるが、1%ぐらいは腐植として土壌中に残る。よって、列の端の方の土壌は腐植が多いと推測される。
土壌中に腐植が多いと、土は団粒構造をなし、コロコロ、ネバネバ、柔らかくなる。水はけが良いうえに、保水力が高まる。また、栄養分を蓄える力も増す。つまり、腐植が多い土は肥えている。これが、列の端の木の生育が良好な理由ではなかろうか。
コナは日本と同じで火山灰土壌(黒ぼく土)。火山灰土壌はアロフェン粘土が植物に必須のリン酸を強く結合するので、植物の根がリン酸を吸収できない。火山灰土壌が不良土とされる所以だ。一方、アロフェン粘土は腐植も強く吸着するため、火山灰土壌は他の土壌の何倍、何十倍も腐植が多い。腐植が多ければ植物の根はある程度は腐植からリン酸を吸収できる。だから、腐植が多いほど土は肥える。炭素は宝。
この畑の地表は溶岩だらけだったが、ひとたび雑草(芝)が覆うと、ほんの十年で地表は黒く粘り気のある火山灰土壌で覆われた。常夏のコナは雑草(腐植の源)が元気。ナパの十倍は生える。一方、常夏なら良いわけではない。通常、高温多湿の熱帯では、有機物はすぐに分解・蒸発し、土壌は枯れる。しかし、コナの火山灰土壌は粘土が有機物を蒸発する前に腐植の形でガッチリつかみ取る。土壌は地質学的な年代を経て形成されるが、ここの火山灰土壌は驚くべき速さで成長し、炭素を固定した。
コナコーヒー畑は腐植が豊富。コナコーヒーこそがカーボン・ファーミングを名乗るのにふさわしいかもしれない。しかし、話はそう単純ではない。実は現代農業は農作業の過程でかなり二酸化炭素を排出する。
リタイア後、農業は初めてだが、スローライフに憧れる感覚で、コーヒー栽培を始めた。畑を買った時、除草剤できれいに処理されて、溶岩だらけで雑草が一本もなかった。最初はそういうものかと思い、雑草が生えるたびに手で抜いた。「除草剤か芝刈り機を使わないと無理だよ」と地元の長老に笑われたが、「これが一番エコ。スローライフさ」と受け流した。しかし、なるほど、すごい勢いで雑草が生えて来た。四つん這で一日に二坪しか進まない。八千坪の敷地では四千日かかる。だめだ。スローすぎる。
そこで、鎌を買った。すごい。一日で何十坪も刈れる。歴史教科書にある鉄器の発明とはこのことか。頭の中で映画「2001年宇宙の旅」の曲(R.ストラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」)が「パーパーパー パパ― ドンドンドンドン」と鳴り響いた。
しかし、現代人の私は、それでも間に合わない。やがて、ガソリン工具に手を出した。Weed Wacker(ガソリンで動く芝刈り用の手工具)。もっとすごい。数週間で畑を一周できる。しかし、腕がパンパン。手が震える。そこで遂に百万円超の業務用芝刈り機を買った。すごすぎ。座って鼻歌交じりで運転して一日で終了。ガソリンを使いまくりだが、草刈り鎌の何万倍も効率的だ。私のやることなすことを笑い飛ばしていた長老も”That’s smart”と、やっと褒めてくれた。しかも、腐植たっぷりのよい土壌ができた。
最初は、コーヒーの木の剪定もノコギリで数週間かけて切った。今ではガソリン式チェーンソーでちょちょいのちょい。剪定した枝葉は、マシェテ(中南米のなた)で二ヵ月かけて細かくしたが、今は業者が来て粉砕機で二~三時間。もうガソリン大好き♡。
摘んだコーヒーは百ポンドの袋に詰めて肩に乗せて坂を登る。足腰の鍛錬に良い。なんとゴルフのドライバーの飛距離も伸びた。最初は喜んで担いだが、つらい。そうだ、ロバを飼おう。コーヒーといえばロバだ。コロンビアコーヒーのロゴにもなっている。畑の雑草を食べて餌いらず。コーヒーも運んでくれる。一石二鳥。スローライフのシンボルだ。
しかし、妻の猛烈な反対にあい、結局トラックを買った。なるほど内燃機関は偉大。アクセルを数センチ踏むだけで二十袋も運べる。十キロ先の精製所までの坂道も楽々。歴史教科書にある内燃機関による産業革命とはこのことか。おまけに、トラックならばゴルフ場へも行ける。ロバにゴルフクラブを縛り付けて出かける羽目にならずに済んだ。
便利な工具なしにコーヒーを作った百年前の日系一世の苦労を追体験してみたが、やはり機械を導入したら畑の管理が行き届き、コーヒーが美味しくなった。ガソリンは使うが、美味しいコーヒーのためなら仕方がない。今後は工具の電化に努めるにしても、畑を出た後の精製、輸送、販売を含めると、コーヒーのカーボンニュートラルへの道は遠い。
お詫びといってはなんだが、我家には冷暖房はない。コロナ後は町への外出は控えめ。庭で採れた野菜・果物を食べ、肉食を減らした。浄水器を買いペットボトル飲料もやめた。屋根に太陽光パネルを設置し、電気は自給。加えて、グリーン経済応援の趣旨でテスラ社の株を買った。すると、あら不思議、何十倍にもなった。先日、その値上がり益で電気自動車をオーダーした。早く届かないかなあ。へへへ。
日本の米は食管制度を廃止したら美味しくなった。コーヒーも昔は、生産国では質の良し悪しにかかわらず政府が買い取る価格維持政策が支配的だったから、品質が価格に影響しなかった。農家の側にも良い質のコーヒーを生産するインセンティブ(動機)がなかった。質を上げて世界のコーヒー市況とは切り離した値段で売ったのは、コナやブルマンなどの限られた産地しかなかった。しかし、近年、スペシャリティーコーヒーという概念の登場で質の良いコーヒーを作る農家が増えて来た。
スペシャリティーコーヒー業界はワインを手本としてきた。実際に、コーヒーのカッピングの手法の多くはワインから借用している。ワインは質に応じて値段が変わる。一本千円以下のワインもあれば、何十万円もするワインもある。それならば、一杯何千・何万円もするコーヒーがあっても良いはずとスペシャリティーコーヒーの人々は主張する。私に異論はない。しかし、ワインとコーヒーでは決定的な違いがある。
例えば、ボルドー地区の第一級銘柄「シャトー・マルゴー」。マルゴーの畑の赤ワインには、生産過程ででる規格外の安いブランドもあるが、マルゴーの基幹ブランドは何といっても第一級銘柄のGrand Vin du Chateau Margaux。年間生産量は平均して35万本もある。だから、マルゴーの畑はGrand Vinを生産するために存在し、畑全体の品質のばらつきを抑えながら、全体的に質を高くしようと目指す。一般に、ワインの点数は、その年のそのブランドのすべてに対して適応される。ここがコーヒーと違う。
コーヒーの点数は、農園の主力コーヒーの点数を意味しない。COE (Cup of Excellence)などの品評会へ出品されるのは、それ用に生産され、試飲を繰り返し選りすぐった豆で、せいぜい百~千キロ程度。各農園の生産量の1%以下であろう。所詮宣伝目的だ。出品豆が入賞すれば、評判が上がり、他の99%の普通の豆も高く売れる。入賞豆がいかに素晴らしく、高値で競売されようとも、数少ない業者の手にしか渡らない。一般の消費者が入賞した農園のコーヒーを買い求めたところで、それは入賞豆ではなく、その他99%の豆であることがほとんどで、点数や味は入賞豆に及ばない。いくらの値段を払うべきかは消費者には分かりにくい。大抵は飲んでガッカリする。マルゴーのGrand Vinであれば、よほどのことがない限り安心してマルゴーの味を堪能できるのとは違う。
確かに、COEはスペシャリティーコーヒーの質の向上に多大な貢献をした。昔のコモディティーのみの時代とは大違いだ。しかし、ほんの少量の豆に点数を付ける方式だと、ほとんどの消費者の手には届かないから、点数の意味は消費者に不明確だし、ホームラン狙いで農園全体的な質は顧みないインセンティブを生産者に与える。スペシャリティーコーヒーがワインを目指すには、現在のCOEの形式では道のりは遠い。
スペシャリティーコーヒーの世界は歴史が浅い。大学のサークル活動の延長のような雰囲気さえある。そのお祭り騒ぎが、かえって、若者の心を捉えているのかもしれない。さらにワインを目指すのであれば、農家がきちんと製品のばらつきを抑える工夫をして、質が良ければ値段が高く、悪ければ値段は安いという質と価格の関係を安定させ、消費者が安心して、提示された値段で購入できるようにすべき。
ブドウは一度に熟すが、コーヒーは一度に熟さないのが、コーヒー栽培の難しい点。高い質の源泉、つまり、きれいに収穫する事が、ワインより何倍も難しい。価格機能がきちんと働くようになるためには、ピッカーの重要性を業界全体で認識して、ピッカーを大事にし、きれいな収穫に努めることが肝要。
美味しいコーヒーを作るにはコーヒーの木を健康に保ち、健康に完熟した実だけを摘む。つまり、ピッカー(コーヒーを摘む人)の働き次第だ。
コーヒーに携わる人々の中で、美味しさに最も貢献しているのがピッカー。ところが、彼らに対する報酬は最も低い。それは歴史的な植民地主義や南北格差の遺産だ。先進国と途上国の格差に加えて、農園主(地主、植民地支配層の子孫)と労働者(被支配層の子孫)の格差もある。以前、日本のテレビ番組が南米のコーヒー農園を紹介するのを観た。まず、取材班を白人の農園主一家が古いプランテーションハウスで出迎え、先祖から受け継いだ農園の歴史を語った。次に農園で慣れない手つきでコーヒーを摘んで見せた。土など触ったこともなさそうなきれいな指だ。とてもピッカーの指には見えない。その背後に映るのは実際に働く、ごつい指をしたインディオたちだ。
ハワイ島コナのコーヒー畑で働くメキシコ人達にもヒエラルキーがある。収穫作業を請け負うメキシコ人のグループのリーダーは大抵は米国に合法的に在住する白人のメキシコ人で、その下で収穫を行うのは、カリフォルニア州の農園を渡り歩き、秋にコナに出稼ぎに来るインディオ系のメキシコ人だ。彼らは話す言葉も違う。それでも彼らは米国の賃金水準で働ける。米国とメキシコの国境の壁の前で追い返された人々は、中南米の賃金水準でコーヒー摘みに耐え忍ぶ。そういう人々がコーヒーの価値の源泉だ。
私はコーヒー栽培を始めて、美味しいコーヒーの価値の源泉は収穫にあると気が付きピッカーになった。彼らと同じように摘んだ。それが自慢だったし、だからこそ他のコナコーヒーとは一味違った。しかし、12年で腰椎がつぶれた。たいへんな仕事だ。
一杯のコーヒーの値段のうち、コーヒー農家に渡るのはほんの1~3%という話はコーヒー愛好家なら誰もが耳にしたことはあるはず。しかし、それは農園主、農協、自営農に渡る金額で、農園主の下で働く労働者の取り分はさらに少ない。長く続いたコーヒー市況低迷で生産者の生活は、ままならないという話は頻繁に紹介されるが、その下で働く労働者はさぞ大変だろう。近年、どの産地でもピッカーの確保が難しくなっているのは、低賃金や劣悪な労働環境が原因だ。
買い付け担当も、産地に視察に行ったカフェのオーナーも農園主としか会わないから、よくネットにある農園訪問レポートは、労働者の仕事の事よりも農園主の視点が強調される。気候や土壌(先祖からたまたま受け継いだもの)、品種、精製方法の記述ばかりだ。精製方法も、水洗式、ナチュラル、セミナチュラル、酵母菌発酵などの単語が踊る。
確かに、酵母菌発酵は強い特徴が出る。ちょっと珍しい。だから農園主は躍起になる。でも所詮、小手先の工夫だ。ワイン用の酵母会社から何種類か取り寄せて、2日、3日、4日と発酵時間を変えて、どの酵母で気温何度で何時間発酵されば良いかを探るだけのこと(畑により最適な酵母菌の種類と発酵時間は異なる)。中には企業秘密ともったいぶる農園主もいるが、なんてことはない。私の場合はCimaという酵母菌で72時間発酵させるのが最適だった。種類と時間の組み合わせで、数十通りのサンプルを試し、あとは雑菌に注意(気密性)するだけの単純な工夫だ。1年もやれば大体の勘はつかめる。
それよりも、木を健康に保ち、きれいに収穫する方がずっと重要。いかに畑で労働者に丁寧に働いてもらえるかが鍵。易しくはない。上手に人に働いてもらうのは、人類の永遠の課題といえるほど難しい。だからコーヒー市況が上がったからって怒らないでね。