農園便り

コーヒーの酸味

SCA (Specialty Coffee Association) のコーヒー評価基準では、酸味が重要視される。逆に苦味は減点要因。コーヒーの木を健康に育て、丁寧に収穫すれば、酸味のきれいなコーヒーができる。逆に、木が不健康で、収穫も乱暴だと、苦く雑味の多いコーヒーとなる。だから、生産者としては、SCA基準には一定の納得感がある。

きれいな酸味は質の良いコーヒーの証拠なのに、日本のコーヒー党には酸味を嫌う人が割と多い。味覚は好みの問題だから、とやかく言う事ではない。しかし、海外生活が長い私には、我々日本人は酸味を愛でる習慣と表現が乏しいと思える。欧米や東南アジアの食文化は酸味が多彩だし、酸味をより肯定的に捉える感じがする。

昨年NHKで帝国ホテルのフランス人シェフが日本の米を探求する番組があって、様々な種類の米を食べては、酸味が素晴らしいと力説していた。この感性には驚いた。私には理解できない。米といえば甘味やうま味だろう。しかし、彼には酸味らしい。

昔はおおむね、温帯地方は酢(酢酸)、熱帯地方は果物(クエン酸、リンゴ酸)、中央アジアはヨーグルト(乳酸)による酸味を用いたが、現代は影響し合い多様化した。

日本では米酢、梅干し、漬物、柑橘類などが代表。しかし、日本料理の本領はうま味だろう。一方、欧米や東南アジアは酸味を積極的に使う。タイ料理は、酢やタマリンド、ライム、レモングラスなどを用い、辛みと酸味の重層感が素晴らしい。

欧米の酢は、ワインビネガー(赤・白)、シェリービネガー、バルサミコ酢、リンゴ酢、モルトビネガーなど多彩。漬物も酢漬け(ピクルス)で種類も豊富で酸っぱい。トマトは味付けの基本だし、果物やヨーグルトを多用する。酸味が多様だ。

日本は欧米に比べ、果物の消費量が少ない。日本は古来からの果物が柿ぐらいで、種類が少なく慣れないせいか、近代以降流入した果物をどんどん甘く品種改良する。最近は梅干しまで甘い。

テニスのウィンブルドン選手権は、ストロベリー&クリームが名物で、学生時代に放送を観て憧れたものだ。実際に行ってみたら、そのイチゴは甘くなく酸っぱい。秋にロンドンで出回る小さなリンゴも酸っぱい。イギリスの果物を酸っぱくて不味いと言う日本人がいるが、大きなお世話だ。イチゴにしろリンゴにしろ、本来、果物は酸味が命。それを日本のように何でもかんでも甘味を追求するのは、少し特殊だろう。

そもそも、日本語は、なんでも「酸っぱい」と表現する。欧米人はSour(劣化した酸っぱさ)とAcidity(酸味)を区別し、Acidityは好ましい味として積極的に愛でる。

日本人は甘い酸味のワインを甘いと褒める。しかし、アメリカでワインを甘いと褒めたら、仲の良いソムリエにフルーティーとか酸味が良い (good acidity)と表現しろとたしなめられた。ワインは酸味を愛でる飲み物だ。だから、素人でさえ、このワインはBlack currant, plum, blueberry、と酸味を果物に例えてスラスラ表現する。恥ずかしながら、私には、どう考えてもブドウの味だ。

日本酒も酸味は命。酒の辛口の要因は多元的だが、酸味も要因の一つ。酸度が高いと辛口という。辛口党は酸味を好ましいと感じているが、酸味とは言わず辛いと表現するのがツウだ。たぶんSourな酢に劣化した酒と区別する意味もあろうが、あれは決して辛くない。唐辛子風味ではないし、オリーブオイルの辛味でもない。酸味(Acidity)を愛でる習慣と表現が乏しいためだ。

日本で、コーヒーの酸味をマイナスに受け取る人が多いのは、こういう背景があるのかもしれない。なら、いっそのこと、酸味とは呼ばず、このキリマンジャロは淡麗辛口でキレがあるねとカフェで粋がってみるのもおつだ。

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2022/04/03   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」1月号の原稿(還暦)

雑誌「珈琲と文化」1月号の拙稿を転載します。ご笑覧ください。

 

ついに寅年。とうとう還暦となってしまった。

 

人生を振り返ると情けない。大学では学問などはせず、ただ就職に有利だから「優」を並べた。就職後は、良い役職に付きたいから社内の米国MBA留学に応募した。MBA取得後は、最先端の仕事をしたいとNY支店を希望。さらに、三十五歳で米国金融機関のNY本社へ転職し、社内で新たな事業を立ち上げた。すごい競争社会だった。生き残るために必死で働いた。成果を出せば出すほど昇給・昇進した。アメリカ社会が世界中から優秀な人材を集める魔力だ。高揚感に我を忘れて猛烈に働いた。運も良かった。自分でも驚くほどの力を発揮し、得意になって重責を負った。

 

そして厄年。四十二歳の時、突如、癌を告知された。手術は痛かった。

 

バカバカしくなった。日本の教育制度に乗ったら、阿呆なレールに乗っていた。受験、就職、留学、転職、昇進と通過して癌手術に到着。幸いお金だけは貯まったが、使う前に死んだら元も子もない。このレールから降りなくちゃ。

 

ここまで育てたビジネスとグループを捨てるのは辛かったが、二年かけて体制を整え四十四歳でリタイアした。リタイアといえば聞こえは良いが、ポートフォリオマネージメントどころか、自分の健康マネージメントもできず、競争社会の魔力に引き込まれ、そして弾き飛ばされた。

 

妻は弁護士としてヘッジファンドのパートナーで忙しかったので、彼女がリタイアできたのは一年後。私は一年間、ひとりでリタイア生活を満喫した。

 

十二月の退職の日、会社の帰りにキャンディーズのCDを買った。翌日、それをガンガンかけながら車でNYからフロリダのオーランドへ向かった。「もうすぐはーるですねえ♪」。雪のNYから南下すると、徐々に暖かくなる。ワシントンDCを過ぎるとコートを脱ぎ、二日目、ジョージアでセーターを脱ぎ、三日後にフロリダに着くころには長袖がTシャツに代わった。極寒のNYでストレスだらけだった身も心も徐々に温まっていった。

 

ハンデが0になるまでゴルフをする。当面の目標だった。オーランドにアパートを借り、ゲーリー・プレーヤーなど多くのプロを育てた有名コーチのフィル・リトソン氏に付き、練習の日々が始まった。多くのツアープロが冬にオーランドで練習をする。一緒に練習した。毎日、千球はボールを打った。うれしくて止まらない。なにせリタイアしたばかり。

 

ゴルフなんてプロと同じように練習すれば、数ヶ月でハンデが0になると思っていた。ところが向こうは二十歳代、こちらは四十半ば。すぐに手首と十本の指が腱鞘炎になった。ゴルフどころかグーが握れない。無理してグーにすると中指だけが曲がらずに伸びたままで、アメリカでは非常に都合の悪い状態となった。

 

そこで考えたのが基礎体力の向上。ミッシェル・ウィー選手らのトレーナーのダグ・パラ氏のもとでストレッチ、筋力強化に励んだ。ところが今度は股関節が動かなくなった。医者の診断ではストレッチとウェートトレーニングのやり過ぎ。処方された消炎剤を飲んだところ、今度は血圧が異常に上がり、服用を断念。若い韓国の女子プロに囲まれた夢のような生活は危機に瀕した。遂に、NYで働く妻から「いい加減にしなさい」とダメだしを喰らい、NYへ逆戻り。たった半年でゴルフからも弾き飛ばされた。

 

もっとスローダウンしなければ。翌年、妻が無事にリタイアしたので、もっとリラックスした雰囲気でゴルフとスキューバダイビングのできるハワイ島に流れ着いた。

 

たまたま買った家にコーヒー畑が付いていた。生まれも育ちも東京。仕事はNY。農業の事は何も知らなかったが、一つの理想形として、チャップリンの映画「モダンタイムス」で、窓から果物を採り牛乳を搾る田舎家の生活をチャップリンと少女が夢見るシーンが印象に残っていた。名曲「スマイル」が流れるあのシーンだ。そういえば、癌の手術後に初めて出勤した、その帰りの車の中でNat King Coleの「スマイル」を何十回もかけながら運転したっけ。そんなスローライフに憧れる感覚で、コーヒー栽培を始めた。

 

見よう見まねでコーヒーを摘んでみたが、隣で摘むピッカーとは大違い。さすがにプロは速い。感心した。同じくらい速く摘めるようになりたい。毎日十時間、コーヒー摘みに励んだ。周りから、そんなにがむしゃらに働いたら体を壊すよと忠告された。お百姓さんって怠け者だなあと思った。でも、彼らは正しかった。またもや、指が腱鞘炎になった。フロリダで痛めた指は、酷使するとぶり返す。農家の人はなんだかボーっとしているように見えるが、彼らは疲れない体の動かし方やペースを知っているのだ。

 

コナで日系人のゴルフグループに出会った。リタイアした日系三世中心の三十人ぐらいのグループ。中には九十歳代の人もいて、私は最年少。三世の彼らは、明治期に移民した祖父母の薫陶を受け、大いに慕っている。道徳心に富み、ずるい行為を戒め、他人を気遣い、地域社会へ貢献する事を旨とする。まるで、明治の日本が保存されている。

 

貧しいコーヒー農家出身。戦中戦後の厳しい時代を生きた彼ら自身は、教師、医師、大学教授、消防士、会社員などを務め貧困から抜け出た。多くが「体を壊すから、コーヒー摘みは、金輪際ごめんだ」と笑い飛ばす。とにかく元気で、よく遊び、よく笑い、日本食を食べ、コナコーヒーを飲む。ハワイの日系人が全米で最長寿なのも納得できる。

 

私がコーヒー畑を始めた頃、肥料の撒き方を教わった。肥料は季節や雨量や実の成長具合により、最適な成分をタイミングよく施す必要があり、なかなか奥が深い。長年の経験に基づくアドバイスは実に適切。しかし、それを実践しているのか尋ねたら、返ってきた答えが、「冗談じゃない。肥料なんて手間と金がかかる。さらに困ったことに、肥料をやると秋に沢山の実が生るから、摘むのに手間隙がかかって、ゴルフの時間が減る。人生はもっと楽しまなくちゃ」。人生の極意を教わった。

 

彼らに限らず、ハワイの農家は、自分の身体だけではなく、植物に対しても、気象条件や自然に合わせて、無理のないように作物に接している。

 

ナスは夏野菜だと思っていた。日本の園芸店でナスの種を買ってきた。夏に美味しいナスが採れた。苗は元気そうだから、水と肥料をやったらまた採れた。春夏秋冬二年間も採れ続け、旅行中に実を採らなかったら遂に枯れた。そうか、ナスは夏野菜ではなく、亜熱帯地方の野菜か。それを無理やり日本へ持ってきて育てるから夏にしか生らない。日本で何十世代も品種改良を重ねた種なのに、やっぱりハワイの気候が好きらしい。

 

日本の農業は亜熱帯のイネを北海道でも育つように品種改良した成功体験がある。ご苦労な事だと思う。ハワイは気候に合った作物を栽培しているだけ。のんびりしたものだ。日本の温室で育てたマンゴーは何千円もするが、ハワイでは道端に落ちている。しかも美味しい。コーヒーも、肥料をやらずに放任しても、土壌と微生物とコーヒーの木のバランスが取れて良いかもしれない。

 

コロナ禍でも、のんびりした農家暮らしは普段と変わらない。都会の利便性に依存していないから、社会が危機に瀕しても影響は少ない。誠に結構なリタイア生活だ。

 

と、ここまで言っておきながら、実はコーヒー栽培は、特に収穫作業は、自分が手をかけた分だけ味や質に返って来ることに気が付いた。つい悪い癖で、のめり込んだ。コーヒーの出来不出来が私の工夫と努力を反映している。コーヒーは私を映す鏡だ。それをお客様が喜んでくれればとても嬉しい。サラリーマン生活だと、そうはいかない。組織の歯車として、自分の労働は会社のための労働。会社の商品は自分を実現したものではない。これがマルクスが論じた資本主義の人間疎外か。大学の授業ではピンと来なかったが、農家に転じて、自分なりの合点がいった。農業は人間疎外克服への道。私を投影したコーヒーが私と他者をつなぐ。類的本質なのであーる。なんてね。

 

農家になって十数年。夢中になってやったら、腰痛が激化した。残念ながら、昨年から大幅に生産量を減らし、自分で消費する分に絞った。スローライフどころか、またもや、弾き飛ばされてしまった。

 

人生百年時代。さあ、あと四十年間、何しようかなあ。

 

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2022/02/06   yamagishicoffee

アメリカ人の味覚(その2リベラルの味)

先月号で、「SCA (Specialty Coffee Association) 基準はコーヒーの好みの偏った人々が作った」との批判を耳にしたと述べた。私なりの答えとして、生豆とそれを作る農家にスポットを当てたのがスペシャリティーコーヒーの真価だと述べた。農家が良い仕事をしたコーヒーは美味しいという概念を生んだ。今回は、それ以外にもスペシャリティーコーヒーが人々、特に若者に受ける理由について。

東西冷戦終了後、自由主義・資本主義発展と通信手段の発達で、人・物・金・情報が国境を越えて移動し、コーヒー生産国を含め、世界はものすごい勢いで経済発展を遂げた。この30年間経済成長ゼロの日本にいると見えづらいだけだ。

途上国においても、アフリカの貧困率はいまだ高いが、アジア・中南米の貧困層は大幅に底上げされた。とはいえ、富裕層の成長率の方が速いので、格差は拡大する。そのうえ、コーヒー生産地は途上国内でも山間部の最貧地域の場合が多い。少数民族の地だったりする。少数民族問題が絡むと問題は複雑だ。国が豊かになろうとも、彼らは経済発展から取り残されやすい。

しかし、遂に、グローバル経済は国境や政治体制を越え、人・物・金・情報の壁を取り払い、山間部のコーヒー生産地にまで達した。コーヒー生産者と消費者を直に結び、スペシャリティーコーヒーという概念を生んだ。

スペシャリティーコーヒーの売りの一つはトレーサビリティー。生産者の顔が見える気がする。アメリカのリベラルな若者にとって、スペシャリティーコーヒーは、山間部の成長から取り残されがちな生産者との直接的な接点を感じさせる。現実は厳しいものの、コーヒーを飲めば、生産者の生活向上に繋がると感じさせる魅力がある。

古くから、コーヒーは消費国での繁栄の象徴だったが、同時に、南北問題の象徴、植民地時代のプランテーション方式による奴隷作物の代表だった。奴隷制廃止後も、支配層はプランテーション方式で貧困層を搾取し続けた。コーヒーは古い時代の古い体制を支え、人々を飢餓に追いやる輸出商品作物。貧困の元凶だった。

スペシャリティーコーヒーはコーヒーをその地位から解き放つ可能性を提示した。そこがカッコよく、ヒップな点だ。スペシャリティーコーヒーはリベラルな飲み物なのだ。しかも、数量が少ないので、大資本が大量に扱える物ではない。小規模なプレーヤーによる手作り感が、リベラルな若者には魅力だ。

昔はコーヒーは国家に管理され、生産者に質の良いコーヒーを作るインセンティブはなかった。今はコーヒーが自由に取引され、質の良いコーヒーを作れば、消費国のバイヤーが山奥までやってきて、市場価格よりも高く買ってくれる。しかも、プランテーション方式で生産されたコーヒーよりも、国家管理で生産されたコーヒーよりも、大資本が流通を支配するコーヒーよりも美味しいことが、リベラルの勝利感を醸し出す。植民地的経営、国家管理体制、大資本による流通支配では出せなかった味だ。

それがアメリカの若者の味覚の琴線に触れた。だから、SCAの年次総会には、ああいう雰囲気のああいう人々が集まるのだ。なんだか、大学の学園祭やサークル活動の延長のようなノリだ。そして、大資本が参入するとシラケる。そういう素人っぽい手作り感とリベラルな熱量が、前述の「SCA基準はコーヒーの好みの偏った人々が作ったから」と感じさせる一因かもしれない。

欧米の若者はリベラルの味を感じる感覚器官が発達していて、スペシャリティーコーヒーに甘・塩・酸・苦・旨に続く第六味を感じているのだ。

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2022/02/01   yamagishicoffee

今シーズンの収穫終了

今シーズンの収穫終了。

最後に残った実はすべて摘み取り廃棄する。

同時に木の剪定。

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2022/01/24   yamagishicoffee

SCA アメリカ人の味覚(その1)

SCA (Specialty Coffee Association) はコーヒーのカッピングの基準を策定している。これに対して「SCA基準はコーヒーの好みの偏った人々が作ったから」との批判を伺ったことがある。なんだか奥歯にものが挟まったような言い方だ。本音は「味覚音痴のアメリカ人の言うことなんかに、いちいち付き合ってらんねえ」てな具合だろう。確かに在米30年超の私でもアメリカの食文化には驚く。

私の経験からすると、アメリカ人の味覚の興味深い特徴の一つとして、量が多いことが美味しさの条件である。同僚や友人が「あのレストランは美味しい(The food is good!)」と薦める店は、たいていは量が多い。

私がマンハッタンに住んでいた頃、近所のパンケーキ屋はいつも長蛇の列。厚手のパンケーキが6枚重ね。フレンチトーストなどは食パン一斤がまるごと皿の上に乗って出て来た。それを平らげながら知人が言うには、フランス料理や和食のように小さなものをチマチマ出されると食べた気がせず、皿から溢れんばかりにドッカンと乗った食べ物と格闘するのが美味しいらしい。私が思うに、アメリカ人がビッグマックをこよなく愛するのは、口に入らないぐらい大きいからだ。

コーヒーも、アメリカ生まれのラテアートは見た目で勝負。加えて、表面張力への挑戦。溢れんばかりの状態が「美味しいコーヒー(Good coffee)」を暗示する。

普通のコーヒーもコーヒーショップでは大きなマグカップ。しかもカップの淵までなみなみと注ぐ。おまけのサービスというよりも、店員さんは、「最後にコーヒーを美味しくするためのひと工夫」と真摯に誠意を示しているものと推測される。こぼれないようにそっとマグカップを手渡す際にニコッと見せる自慢気な笑顔にそれを見て取れる。

渡米したばかりの頃は、そんな真心も気づかずに、「おーとっとっと、溢れて指でも火傷しちまったら、いってぇ、どうしてくれるんでぇ。」と腹を立てた。今では、大人げなかったと反省している。溢れるのはコーヒーではなく誠意。量が多いことが美味しさの条件という立場にたてば、そのことに理解が及ぶ。

マクドナルドのドライブスルーでコーヒーをこぼして火傷をしたと、マクドナルドを訴えた女性の話は、アメリカの訴訟社会の例として頻繁に引用される。しかし、あれは、コーヒーを美味しくするためにカップの淵まで溢れんばかりに入れると、こぼれ易いという物語でもある。行き過ぎた誠意は誤解を生むという教訓でもある。

まあ、味覚は人・国それぞれだから良いんだけど、ビッグマック好きがビッグマックインデックスなるものにまで高じると忌々しい。これは世界各国でのビッグマックの値段を比較して、その国の物価水準を推定する経済指標。いくらアメリカ人が世界一美味しい食べ物と誇ろうとも、日本人はあんな巨大で食べにくい物には食指は伸びないから、値段は米国より安い。ただでさえ、デフレで苦労しているのに、ビッグマックインデックスだと、日本の物価は、より下振れして見える。迷惑この上ない。

そんなアメリカ人だが、スペシャリティーコーヒーがアメリカ生まれと軽んじてはいけない。SCAのカッピング基準は問題も多いが、画期的な意味がある。それは、焙煎や抽出の差を排除することによって、生豆の価値を評価しようとするもの。そこには丁寧に生産されたコーヒーに高い点数を与えようとする思想がある。農園で働く人々を評価する。それがスペシャリティーコーヒーの真価だ。決して、カップやロゴがスタイリッシュだとか、目の前で淹れるパフォーマンスがカッコイイという事ではない。(来月号に続く)

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2022/01/03   yamagishicoffee

開花

例年より1カ月も早くコーヒーの木が開花。これから5月までバラバラと咲く。

ラニーニャだから、ハワイは冬の12月以降は雨が多いと予報されていた。

今年はハワイ島の中でもコナの標高400m以上のコーヒーベルト地帯は、年初からうんざりするほど雨が降った。ところが、9月末にキラウェア火山の噴火が再開した翌日から、スイッチを切ったように雨が降らなくなった。コナは10月・11月と乾燥。コーヒーの木も乾ききっていた。

灌漑施設全開。前回の噴火が2018年9月に止まって以来、雨が多くて、2年以上まともに使っていなかったので、あちこち水漏れはするは、コンピューターは壊れていて手動で開閉するはで、てんてこ舞い。11月末には余りの乾燥に、てんてこ舞うどころか、庭で、ダンボッポッポー、ダンボッポッポーと雨乞いの踊りもした。

そしたら、12月に入るや、大雨続き。コーヒーの木も元気を取り戻して開花した。

雨乞いの踊りの成果と威張ると、妻は「単にラニーニャの予報通りでしょ」だとさ。

 

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2021/12/16   yamagishicoffee

Carbon Farming その2

生まれも育ちも東京。仕事はNY。リタイア後、初めての農業。スローライフに憧れて、コーヒー栽培を始めた。自宅の畑で働く早寝早起きの生活は健康的。農村暮らしは不便だが、コロナ禍になってみると、都会の便利な現代社会に依存しないぶん、社会活動が止まっても、あまり影響がない。単純な生活は危機に強い。

先月号では、コナの火山灰土壌は他の種類の土壌より何倍も大気中の二酸化炭素を土壌に固定するので、コナコーヒーこそカーボンファーミングの名にふさわしいと、大いに威張らせてもらった。だが、申し訳ないことに現代農業はかなり二酸化炭素を排出する。

コーヒー畑を買った時、除草剤できれいに処理されて、溶岩だらけで雑草が一本もなかった。最初はそういうものかと思い、雑草が生えるたびに手で抜いた。「除草剤か芝刈り機を使わないと無理だよ」と地元の長老に笑われたが、「これが一番エコ。スローライフさ」と受け流した。しかし、なるほど、すごい勢いで雑草が生えて来た。四つん這で一日に二坪しか進まない。八千坪の敷地では四千日かかる。だめだ。スローすぎる。

そこで、鎌を買った。すごい。一日で何十坪も刈れる。歴史教科書にある鉄器の発明とはこのことか。頭の中で映画「2001年宇宙の旅」の曲(R.ストラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」)が「パーパーパー パパ― ドンドンドンドン」と鳴り響いた。

しかし、現代人の私は、それでも間に合わない。やがて、ガソリン工具に手を出した。Weed Wacker(ガソリンで動く芝刈り用の手工具)。もっとすごい。数週間で畑を一周できる。しかし、腕がパンパン。手が震える。そこで遂に百万円超の業務用芝刈り機を買った。すごすぎ。座って鼻歌交じりで運転して一日で終了。ガソリンを使いまくりだが、草刈り鎌の何万倍も効率的だ。私のやることなすことを笑い飛ばしていた長老も”That’s smart”と、やっと褒めてくれた。しかも、腐植たっぷりのよい土壌ができた。

最初は、コーヒーの木の剪定もノコギリで数週間かけて切った。今ではガソリン式チェーンソーでちょちょいのちょい。剪定した枝葉は、マシェテ(中南米のなた)で二ヵ月かけて細かくしたが、今は業者が来て粉砕機で二~三時間。もうガソリン大好き♡。

摘んだコーヒーは百ポンドの袋に詰めて肩に乗せて坂を登る。足腰の鍛錬に良い。なんとゴルフのドライバーの飛距離も伸びた。最初は喜んで担いだが、つらい。そうだ、ロバを飼おう。コーヒーといえばロバだ。コロンビアコーヒーのロゴにもなっている。畑の雑草を食べて餌いらず。コーヒーも運んでくれる。一石二鳥。スローライフのシンボルだ。

しかし、妻の猛烈な反対にあい、結局トラックを買った。なるほど内燃機関は偉大。アクセルを数センチ踏むだけで20袋も運べる。10km先の精製所までの坂道も楽々。歴史教科書にある内燃機関による産業革命とはこのことか。おまけに、トラックならばゴルフ場へも行ける。ロバにゴルフクラブを縛り付けて出かける羽目にならずに済んだ。

便利な工具なしにコーヒーを作った百年前の日系一世の苦労を追体験してみたが、やはり機械を導入したら畑の管理が行き届き、コーヒーが美味しくなった。ガソリンは使うが、美味しいコーヒーのためなら仕方がない。今後は工具の電化に努めるにしても、畑を出た後の精製、輸送、販売を含めると、コーヒーのカーボンニュートラルへの道は遠い。

お詫びといってはなんだが、我家には冷暖房はない。コロナ後は町への外出は控えめ。庭で採れた野菜・果物を食べ、肉食を減らした。浄水器を買いペットボトル飲料もやめた。屋根に太陽光パネルを設置し、電気は自給。加えて、グリーン経済応援の趣旨でテスラ社の株を買った。すると、あら不思議、何十倍にもなった。先日、その値上がり益で電気自動車をオーダーした。早く届かないかなあ。へへへ。

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2021/12/03   yamagishicoffee

コーヒーさび病

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あ゛あ゛あ゛~~~~~~~~~~!

さ さ さび病がきたあ゛~~~~!

ハワイでさび病が発見されて以来、畑をロックダウンしたのに~~~。

他人のコーヒー畑には決して入らず、うちの畑には誰も入れず、隔離してたのに。

犯人は鳥か?虫か?はたまた風か?

無駄とは知りながら、さび病にやれらた枝は切り取り破棄。

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2021/11/14   yamagishicoffee

Carbon Farming

自粛解禁。先月、1年8カ月ぶりにハワイを離れ、カリフォルニアへ行った。ナパでワイン畑を訪問し、カーボン・ファーミングを見学した。堆肥を積極的に使い、かつ不耕起にして、炭素を土壌に戻す農法。耕すと地中に埋めた炭素が地表に露出して二酸化炭素として蒸発してしまう。この農法は、炭素を土壌中に貯めて温暖化対策になるという触れ込み。実際に、付近の土は少し茶色がかっているが、ワイン畑の中はフカフカで黒い(腐植が多い証拠)。土を大切にしている印象を受けた。

植物は光合成で空気中の二酸化炭素を取り込んで根や枝や葉などの組織を作る。その死骸(堆肥)がある程度分解した段階で土壌に残ったのが腐植。つまり、炭素の塊。ただし、3億年前の石炭紀には木材を分解する菌類がいなかったので、森林の樹木が石炭となり地中へ炭素を大量に固定したが、現代の農地や森林では細菌類が有機物を分解して、地表の炭素の99%は大気中へ蒸発し、土壌中に残るのは1%以下。しかし、1%とて馬鹿にはできない。地球全体の土壌中には大気の3倍もの炭素が腐植として存在しているそうだ。

さて、うちの畑はコーヒーの木が列に並んで植えてある。最初の数年は各列の両端の木の生育は悪かった。端の木は隣に木がないので太陽光を多く浴びる。コーヒーの木は直射日光が苦手。葉が黄色くなり収穫量も少なかった。困った問題だった。ところが、ここ数年は端の木の生育が非常に良い。むしろ、各列の端の数本は、畑の中央部分よりも収穫が多い。不思議なこともあるものだ。

2つ理由が考えられる。まず第一に、数年前にキラウェア火山の噴火が止まって以来、コナは雨が多い。日光が柔らかくなったことが原因ではなかろうか。(ただし、先月、再び噴火が始まり雨量が減った。)

第二に、土壌中の炭素量。うちの畑は2年ごとに木を膝の高さでカットバック(剪定)する。切った枝葉を畑の端の通路脇に積み上げ、粉砕機で細かく粉砕し畑に撒くが、そんなに遠くまでは飛ばせないので、どうしても列の端の方に集中する。それら枝葉は1年で昆虫や細菌類に分解されてなくなるが、1%ぐらいは腐植として土壌中に残る。よって、列の端の方の土壌は腐植が多いと推測される。

土壌中に腐植が多いと、土は団粒構造をなし、コロコロ、ネバネバ、柔らかくなる。水はけが良いうえに、保水力が高まる。また、栄養分を蓄える力も増す。つまり、腐植が多い土は肥えている。これが、列の端の木の生育が良好な理由ではなかろうか。

コナは日本と同じで火山灰土壌(黒ぼく土)。火山灰土壌はアロフェン粘土が腐植を強く吸着するため、他の土壌の何倍、何十倍も腐植が多い。だが、同時に、アロフェン粘土は植物に必須のリン酸も強く結合するので、植物の根がリン酸を吸収できない。火山灰土壌が不良土とされる所以だ。しかし、腐植が多ければ植物の根はある程度は腐植からリン酸を吸収できる。だから、腐植が多いほど土は肥える。炭素は宝。

この畑は溶岩だらけだったが、ひとたび雑草(芝)が覆うと、ほんの10年で地表は黒く粘り気のある火山灰土壌で覆われた。常夏のコナは雑草が元気。ナパの10倍は生える。通常、高温多湿の熱帯では、有機物はすぐに分解・蒸発し、土壌は枯れるが、コナは火山灰土壌の粘土が有機物を蒸発する前に腐植の形でガッチリつかみ取る。土壌は地質学的な年代を経て形成されるが、ここの火山灰土壌は驚くべき速さで成長し、炭素を固定した。

コナコーヒー畑は腐植が豊富。コナコーヒーこそがカーボン・ファーミングを名乗るのにふさわしいかもしれない。しかし、話はそう単純ではない(来月号に続く)。

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2021/11/01   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」10月号の原稿(柳家小三治師匠の落語)

柳家小三治師匠がお亡くなりになった。雑誌「珈琲と文化」10月号に下記原稿を書いたばかりなのに。合掌。

 

コーヒー栽培を始めて落語を聴くようになった。農作業をしながら落語を聴く。コーヒー摘みは8月から1月まで続く。長丁場の単純作業は精神的に辛いが、落語を聴きながらだと楽に摘める。テレビで落語を見ると、一席30分程度が限界で、二席、三席と続くと、いつの間にか、うわのそらになる。ところが、コーヒーを摘みながらだと、10時間ぶっ通しで聴いても飽きないから不思議だ。

落語のCDは五百個以上集めた。それでも数に限りがあるので、同じものを何十回も聴く。すると、だんだん自分の好みが分かってくる。落語家の個性も分かるし、同じ演目を別の落語家が演じたときの差も楽しめる。

やはり、世間で名人と言われた人は上手い。志ん生や圓生はさすが。志ん朝のCDはほとんどすべて持っている。彼の存命中に寄席へ行かなかったことが後悔される。新入社員時代は池袋の社宅住まいで、池袋演芸場の前をよく通った。いつか入ろうと思ったが、時はバブル。忙しくて、ついぞ行きそびれた。今なら残業・休日出勤よりも迷わず寄席を選ぶ。若かったとはいえ、あの頃の自分の愚かさに呆れる。

存命中で昭和の古典落語の名人と言えば、柳家小三治。現在、落語家で唯一の人間国宝。まくらで独自の高みにいるけど(まくらとは落語に入る前の短い世間話、小三治師匠はまくらが長い。そして面白い)。彼のCDは全部持っている。まくらを集めたCDや本もある。「卵かけご飯」や「駐車場物語」は、日本へ往復して時差ボケで眠れない時など、これを聴くと自然と眠れる。もう何百回も聴いたので、台詞も抑揚も間も分かっているから安心。子守唄替わりだ。海外旅行には欠かせない。

ここ数年はお出にならないが、以前は正月の二の席(10~19日)の池袋演芸場(昼)と新宿末広亭(夜)は小三治師匠がトリを務めた。1月はコーヒー摘みの終盤で、時間に余裕ができる。その間隙をぬって、毎年日本へ飛び寄席通いをした。

ある時、池袋の楽屋へ私のコーヒーを差し入れした。手紙も付けた。「コーヒーの収穫は単調で退屈な作業です。しかし、いつも小三治師匠の落語を聞きながら収穫するので、とても楽しい作業となります。収穫時期は毎日、夜明けから日暮れまで師匠の落語を聞きながら摘むので、もう、まるで師匠と一緒に摘んでいる感覚です。(中略)師匠の落語がしみこんだコーヒーは世界中で私どものコーヒーだけです。」我ながら良く書けた。

その日、高座に上がった師匠の落語はさすがだったが、風邪ぎみで、少しお気の毒だった。翌日も行った。なにせ、毎日通っているのだ。するとまくらで、風邪の話をした。「風邪の時は白湯が体が温まって一番。紅茶もいい。だが、コーヒーは体を冷やす。風邪の時はコーヒーよりも白湯」とまくらを締め、落語に入って行った。

その瞬間、ピンときた。これは私へのメッセージだ。前日、直接手渡した訳ではない。師匠は私の顔を知らない。その日も私が来ているのもご存じない。でも、これは「コーヒーは受け取ったが、風邪気味なので、まだ飲んでいない」という高座からの私だけへの秘密のメッセージだ。勝手な解釈で勝手に舞い上がった。

ハワイに帰ってからも、なんだか嬉しい。しかし、コーヒーは体を冷やすというのが気になった。興味深かったので、インターネットで検索した。なるほどコーヒーは体を冷やすと書いてある。なんでも漢方理論では南方原産の植物は体を冷やす効果がある。暑い南方では、人類は長い歴史の中で、体を冷やす食物を選別して栽培してきた。コーヒーも熱帯・亜熱帯地方で栽培される。したがって、体を冷やす効果があるというのが、ネットの記述に共通した説明だ。どうやら、日本のネット界の常識らしい。

 一方、英語で検索すると、世界中の科学者が書いた研究論文が出てくる。概ね共通しているのは、コーヒーに含まれるカフェインは体の代謝を活性化するので、体を温めるというもの。なんと、ネットの世界は日本語と英語では結論が逆だ。

漢方と近代科学のどちらを信じるかは、この農夫には判断の付かない深淵な問題だが、本件に関しては、NYでポートフォリオマネージメントをしていた私には、近代科学的知見に納得感がある。

しかし、私のボスのボスなどは、ハドソン川を見下ろすオフィスで川下に向かって机を置いていた。不自然なレイアウトなので尋ねると、Feng Shui(風水)だという。川上から流れてくるお金がズボンのポケットに入るように川下を向いて座るそうだ。川上を向くと、ポケットからお金が流れ出るからダメ、株主にも申し訳ないと得意げだった。

とはいえ、私の職務は資産運用。顧客から預かった資金を運用する者には受託者忠実義務(Fiduciary Duty)が課せられる。常識的に説明ができる合理的判断に基づいて投資する義務がある。もし顧客資金を陰陽論や風水に基づいて運用したら、受託者忠実義務違反に問われるだろう。私も若い頃は、満月の晩はNY為替市場は荒れるとの珍説を立て吹聴して、日経新聞が取り上げたりしたが、あれは洒落だ。実際にそれで投資判断をしたことはない(机にはサイコロ、壁にはダーツを置いていたけど)。コーヒーに関しても、やはり科学的知見を支持したい。

では、なぜ、南方原産のコーヒーは体を冷やすの漢方理論が、日本語ネットの常識なのかを考え、一つの仮説に至った。鍵はクリーンカップ。本来コーヒーは、正しい品種を正しく育て、正しく収穫し、正しく乾燥・精選すれば、雑味がなく、クリーンでとても飲みやすい。ところが、質の悪いコーヒーだと、どうしたって、眉間に皺を寄せ、すすりながら、ちびちびと飲むことになる。これでは体は温まらない。日本では人々のそのような「あまり体が温まらないなあ」という実体験が重なって、コーヒーは体を冷やすとの漢方理論が受け入れられたというのが私の仮説である。   

クリーンなコーヒーはマグカップに入れて、ごくごくと飲める。たとえ、カフェインの代謝効果を抜きにしても、温かいコーヒーをマグカップで飲めば、湯飲みで白湯を飲むのと同じだけの熱量を体内に取り込むので、それだけ体は温まる。

さて、ここまで筆を進めておきながら、少し困ったことになった。実は、うちのコーヒーは冷めてからが美味しいのだ。冷めるとコーヒーの甘みや酸味がより鮮明に感じる。粗悪なコーヒーではこうはいかない。私も自分のコーヒーをマグカップで時間をかけて、冷めてからの甘みを楽しんでいる。そうなると、カフェイン効果はあるにせよ、コーヒーはそれほど体を温めないかもしれない。東洋医学に恐れ入った。

さて、その翌月も日本へ行く用事があった。そこで、再度、差し入れようと企んだ。ついては手紙を書いた。「前月の高座からの私だけへの秘密のメッセージは感動しました」から始まり、上述の仮説を書いた。

手紙を妻に見せると、「すると、あなたは、人間国宝に向かって、日頃から、ろくなコーヒーを飲んでいないと意見したいわけね」ときた。なるほど、危うく失礼な手紙を出すところだった。

この話を何度か酒の席で友人にしたら、誰もが「それは面白いから出せ、出せ。相手は落語家だ。洒落は分かる。洒落だよ洒落」とけしかける。バカはおだてられると何でもする。思い切ってコーヒーに無礼千万な手紙を添えて差し入れた。

返事も、秘密のメッセージもなかった。。。

その年は用が多く、春も日本へ行った。性懲りもなく、また楽屋に差し入れした。すると、その日の演目は「出来心」、つまり泥棒の話で、まくらで小三治師匠は「最近は売名行為が多い」という話をされた。

ひえ~!今日の秘密のメッセージは、売名行為ですか~。まいりました。降参です。確かに、小三治師匠といえば、蜂蜜や塩やカステラなど、色々なものにこだわるおかた。彼の商品に対する論評は落語ファンへの影響力が大きい。取り入りたがる業者もあろう。

そんなつもりはなかったんです。ただのファンです。ごめんなさい。もうしません。

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2021/10/10   yamagishicoffee