農園便り

雑誌「珈琲と文化」4月号の原稿(畑の鳥たち)

雑誌「珈琲と文化」4月号の拙稿を転載します。コーヒー畑の鳥たちについてです。

 

ピーターラビットが代表作のビアトリクス・ポター。英国の湖水地方の農村に住み、周りの動物たちの絵本の物語をいくつも残している。ハワイ島コナも湖水地方なみに田舎。うちの畑にもさまざまな動物がいる。鶏、七面鳥、フクロウ、野豚、ネズミ、マングースなど。近所で犬を飼っていないのはうちだけなので、動物が集まるのだろう。東京出身の私には、そういった動物に囲まれた農園生活は発見が多い。そこで今回はコーヒー畑の鳥たちを紹介する。

まずは、Archeological site(考古学遺跡)についての説明。ハワイ州の法律では、古代ハワイアンの遺跡は保護される。昔のハワイアンは墓を持たなかったので、あちらこちらで人骨が出土する。その場所は遺跡として保存される。住宅地で出土すると少々厄介なことになる。土地を買っても、家の建設中に人骨が出ると建設中止。結局家を建てられないケースもある。そこで最近は、住宅地を開発する際には、開発業者は事前にすべての土地を調査して、遺跡と判明した場所は囲い込み、宅地とは分けて、宅地と抱き合わせで販売する。たとえば、私の住む地域は一区画3エーカーだが、私の家は0.5エーカーの遺跡がおまけに付いて合計3.5エーカーである。私は2区画を所有しているので、合計6.5エーカー(8千坪)。そこに家とコーヒー畑と遺跡がある。

我家の遺跡は木々で覆われ、ちょっとした林になっている。多くの鳥が訪れる。友人のメキシコ人がコーヒーを摘みながら、小鳥のさえずりに耳を傾ける。「この鳴き声はメキシコの鳥。だからここでコーヒーを摘むのが楽しみだ」と懐かしそうにしている。私にはどの鳥か判別できないが、それぞれの故郷の音があるのだろう。 

ちなみに、90年代以降、米国と中南米を渡るオリオール(ムクドリモドキ)が激減した。中南米で森林を伐採してコーヒー畑を開墾したため。そこで、適度な森林を維持したコーヒー農園に与えるBird Friendly Coffeeという認証ができた。私は認証取得には、まるで興味はないが、鳥のさえずりを聴きながらのコーヒー摘みは良いものだ。

その遺跡の林にはウグイスも来る。昭和初期に日本人移民とともにハワイ諸島に渡り野生化したそうだ。私は東京と米国にしか住んだことがなかったので、ハワイで初めてウグイスの鳴き声を聞いた。なんと、東京では既に準絶滅危惧種だそうだ。ウグイスは春の季語。しかし、ここは常夏のハワイ。一年中聞こえる。私の場合、ウグイスは日本でも聞いた事がなかったくせに、望郷の念に駆られるから不思議だ。故郷の音なのだろう。

ところが、ハワイのウグイスの鳴き声は「ホーホケキョ」ではなく、「ホーホケッ」と妙に中途半端。なんだかちょっとズッコケ。

なんでも、国立科学博物館の濱尾章二研究員がハワイのウグイスの声紋を分析したところ、日本のウグイスに比べて周波数の変化が乏しく、さえずりを構成する音の数が少ないそうだ。普通は鳥類のさえずりの変化は短期間では起きない。同氏は、ウグイスの複雑な鳴き声は縄張りの形成や雌を引き付けるのに有利だとされるが、争いが少ないハワイの島の環境の中で80年間という極めて短期間に変化したのではないかと分析している。

さすがハワイ、人間だけでなくウグイスものんびりしている。ボーっと生きているから、ホーホケッ。ハワイの人もウグイスも私も、みーんなチコちゃんに叱られるくらいボーとしているのだ。

 

遺跡だけではなく、コーヒー畑にも多くの鳥がいる。除草剤を使わないので芝がぼうぼうで昆虫が多い。鳥たちは昆虫や、雑草や芝の種を食べている。

ウグイスの他にもブンチョウ、スズメ、メジロなど、日系人が持ち込んだと思われる小鳥がいる。それ以外にも、CardinalやFinchなどの外来の鳥も多い。もちろん、ハワイ固有の小鳥もいるが、私は見慣れていないので、名前は知らない。

収穫時期に、コーヒーの木に頭を突っ込んで作業をしていると、突如目の前に雛がピーピー鳴いている小鳥の巣が現れる。脅かして申し訳ないが、こちらも仕事だから勘弁してもらいたい。

朝は白いオウムの大群が海に向かって飛んでいく。夕方、山に向かって戻っていくのを見かけると、その日のコーヒー摘みもそろそろお仕舞の時間である。

たまに、ネネが飛んでいくのを見かける。ネネはハワイ固有の絶滅危惧種。カナディアングースの親戚で、太古にカナダから渡ってきて温暖なハワイに留まったらしい。旅行で遊びに来た妻の親戚のカナダ人は「近所のカナディアングースとそっくり。でも、ハワイに渡ったネネは賢いな。寒いカナダに留まったのはアホだ」と眺めている。それぞれの故郷観がある。

ピ~~、と時代劇で定番の鳴き声が頭上にする。見ると鷹が旋回している。急降下してネズミ、マングース、鳥などの小動物を鷲掴みして飛び去って行く場面に遭遇することもある。他にも肉食の鳥としては、ハワイにはフクロウもいる。しかし、昼間はオヒアの木の枝に止まってじっとしていて、動かないので特段面白くない。

 

芝刈り機に乗って、コーヒー畑の芝刈りをしていると、どこから来るのか、アマサギやマイナーバードなどの大きな鳥が集まってくる。

畑の地面には無数の虫がいる。芝を抜くと、10センチ四方くらい地面が露出したところに、数え切れないほど虫がうごめく。芝や雑草の中にもバッタなどの多くの昆虫がいる。芝刈り機で芝を刈ると、それらの昆虫が飛び出してくる。それを狙って鳥たちがやってくる。芝刈り機の音を覚えているのか、あるいは、草を刈った臭いに反応しているのか知らないが、すぐに30~40羽くらい芝刈り機の周りに集まる。

ハワイ島ではアマサギが牛の背中に乗っている光景を見かける。牛の寄生虫を食べているので共生関係の例に挙げられる。

牛には近寄るくせに、人間が近寄ると逃げる。ところが、私が運転する芝刈り機には1メートル先まで近寄ってくる。ということは、この鳥は、芝刈り機に乗っている私を人間とは認識していないのかもしれない。私の背中に乗っては来ないので牛とは思っていないようだ。確かに私は寅年(来年還暦)で丑年ではない。轟音を発しながら、雑草と昆虫を巻き散らして移動する大型動物とでも思っているのかもしれない。

 

七面鳥は迷惑だ。家庭菜園の野菜を掘り返して困る。群れの中のオスの一羽がよく鳴きわめき騒々しい。なぜかうちの妻はそれをドナルド・トランプと呼ぶ。オス同士の喧嘩で、トランプ氏は相手の頭に噛み付いて攻撃する。危険な奴だ。でも、鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛けて体当たり。なるほど、英語でTurkeyと言えば間抜けの代名詞。

繁殖の季節には、孔雀ほどは大きく綺麗でないが、あんな感じに七面鳥のオスは羽を広げ、体を膨らませてメスの前でアピールする。胸を膨らませて、どういう仕組みか、「ボン!」と音を発する。メスへのアピールか、それとも他のオスへの威嚇なのか。プラスチックのバケツをひっくり返して、底を叩くと似たような音がする。試しにバケツをボンと叩くと、新たなオスの出現と勘違いするのか、近くのオスが「ゴボゴボー」と鳴いて威嚇してくる。面白いから何度も叩いてトランプ氏をからかう。「ボン、ゴボゴボー。ボン、ゴボゴボー」。やっぱり、オスは間抜けだ。

やがて産卵。雑草の茂みで卵を抱く。芝刈り機で雑草を刈っていると、突然、卵を抱えたメスが目の前に現れる。慌てて芝刈り機を急停止。向こうも相当ビックリしているだろうが、卵から離れようとしない。メスはあっぱれな心掛け。そっぽを向いているので、私の事を無視しているのかと思ったら、七面鳥は目が横についているので、あれが私を睨みつけるポーズのようだ。

卵が孵る。小鳥と違って、七面鳥の雛は生まれてすぐに、ヨチヨチ、コテン、ヨチヨチ、コテンと歩き出す。メスが雛を10羽ほど連れて畑を行進する姿を畑のあちらこちらで見かける。草刈り中に偶然遭遇すると、雛たちは四方八方へ一目散に逃げる。一家はバラバラ。雛たちは「ピーピー」と母親に自分の場所をアピール。芝刈り機を止めて鳴き声を聞こえやすくしてやると、やがて母親は安全な場所を確保して、「クワッ、クワッ」と自分の居場所を知らせ、雛を一羽づつ回収する。そして、また家族で行進。一方、オスは一切子育てをしない。

人がうっかり近づきすぎると、母親の怒りを買うことがある。「シー」とすごい音を立てながら飛び上がり人の頭をつついてくる。逃げても、20~30メートル先まで追いかけてくる。10倍以上も体の大きい人間に襲い掛かるのだから、母親は肝が据わっている。

それでも、生存競争は厳しい。10羽の雛は、翌週には9羽、翌々週には8羽という具合に徐々に減り、最後には2羽くらいしか残らない。畑にはマングースが徘徊し、上空には「ピー」と鷹が旋回する。足の悪いメスがいて、毎年、片足を引きずりながら雛を連れるが、十分守れない。気の毒だが彼女の雛たちは育たない。

オスたちは相変わらず体を膨らませてメスを追いかけまわすが、雛を連れたメスは、明らかに嫌がる。あまりしつこいと、自分よりも一回りも大きなオスをつつき回して撃退する。子育て中の女は恋人には向かない。

フラれた腹いせか知らないが、一度、オスが雛を殺すのを目撃した。雛の死体がバラバラになるまで30分以上も突き続ける。メスは少し離れたところで、ウロウロと行ったり来たりしながら「グワッ、グワッ!」と猛烈に抗議している。普通、直ぐに逃げるので、野生の七面鳥に近づくことはできないが、この時のオスは相当興奮しているのか、私が1メートル以内に近づいても雛を突くのを止めない。痴情のもつれは悲劇を生む。

悲劇と言えば、畑には常に20羽以上いるが、数年前の11月の感謝祭の日に3羽に減った。米国では感謝祭に七面鳥を食べる習慣がある。誰かが侵入して鉄砲で仕留めたのではと疑っている。正直言って、野菜畑を荒らす害獣で近所の嫌われ者なので誰も文句は言わない。ところで、残った3羽はすべてメスだった。食えん女なんだろう。

 

英国の湖水地方の農村に住み、周りの動物たちの絵本を描いたビアトリクス・ポター。 有名なピーターラビット以外にもいくつも作品があり、その一つに「あひるのジマイマのお話」という絵本がある。ジマイマは卵を産んでも飼い主に取られてしまう。自分で卵を孵したいというのが彼女の願いだが、そのために騒動に巻き込まれる。義姉のレベッカからは「わたしは卵を抱える忍耐力はないね。あんたもないよ」と言われてしまう。

私の農園には、あひるはいないが、鶏ならいる。しかも2つのグループがある。一つは野生の家族。他方は道を挟んで隣の家が放し飼いしている鶏のグループ。

野生の鶏家族はすばしっこい。すぐに逃げる。痩せて足が速く、20m以内に近づくのは不可能。たぶん、映画の「ロッキー」でも捕まえられない。唯一近づけるのは雌がコーヒーの木の下でひとりで卵を抱えている場合。3週間も、ほとんど食べずに卵の上にじっと座り続ける。雨が降っても座っている。そばを通ると、横眼で睨みながら警戒するが逃げたりはしない。

やがて、卵が孵る。12~3羽はいる。七面鳥と同じで、毎週、行進するヒヨコの数が減っていき、大人になるのは1羽か2羽。野生の鶏の生活は楽ではない。

一方、お隣さんの鶏はたっぷりと餌を貰っているらしく、丸々と太っている。そういう品種でもあるのだろうが、太りすぎで走れない。昼間はうちの畑に入ってきて、コーヒーの木の根元を掘り返して虫を食べる。コーヒーを摘んでいると、よちよちと足元に集まってくる。餌を与えるわけでもないのに、人を見ると、食べ物を貰えると思うらしい。でも、試しに、摘んだコーヒーの実を与えても、全く興味を示さない。

餌はやらないが、朝は朝露に濡れた長靴に雑草の種が付くので、私の長靴を突きに来る。なんだかこそばゆい。たまには夕方にボーナスがある。摘んだコーヒーは100ポンド入りの袋に入れて、畑の木陰に置いておく。袋を動かすと、袋の下に体長15センチぐらいの大きなムカデが隠れていることがある。鶏は「クワッ、クワッ!」と大喜び。つついてたちまち食べてしまう。

一日中纏わりつかれる。こっちも慣れたから、気にはならないが、がっかりすることが一つ。夕方、暗くなり始める前、もうひと頑張りとコーヒーを摘んでいると、「お疲れさま」とか「お先に」とかの挨拶もなく、「コココー」とか言いながら道を渡って隣の家に帰っていく。世代間の違いだろうか、一緒に残業して頑張ろうという気持ちはないらしい。時代に取り残されたおじさんは寂しい。

ある日、コーヒーを摘んでいると、足元で、2羽が立て続けに「ココココココッ、コケー!ココココココッ、コケー!」とけたたましく鳴いた。見ると、コーヒーの木の下に2か所、卵が10数個ずつある。知らなかったが、この定番の鳴き声は雌鶏が卵を産んだ時の叫び声で万国共通だそうだ。

お隣の飼い主には内緒で、こんなところで姉妹で仲良く産んで、あひるのジマイマみたいに自分で卵を孵したいのか。それは、お疲れ様と思い、バナナの皮をやると、すぐに巣から立ち上がり食べにくる。卵を抱えた野生の雌鶏とは大違い。

よく見ると、頻繁に出歩く。あひるのジマイマと同じで忍耐力がない。そんなに出歩いて卵は大丈夫かと心配だ。そしたらなんと、夕方、私がまだコーヒーを摘んでいるのに、いつもの様に「コココー」と言いながら隣の家に帰って行った。おいおい、卵があっても帰るのか。夜はほったらかしかよ。

 やっぱり卵は孵らなかった。知らなかったが、野生と違って、家禽は外で卵を孵せないんだ。安全快適で食糧豊富な家があるから、わざわざ外で敵に怯えながら3週間も飲まず食わずで卵を抱えたりしないんだ。

コーヒー栽培を始めるまでそんなことは知りもしなかった。ひっとして、絵本「あひるのジマイマのお話し」は100年前の当時の読者は子供も含めて、それを知っているのが前提だから、話として面白いのかもしれない。ちっとも気が付かなかった。

絵本の締めくくりは、’Jemima Puddle-duck said that it was because of her nerves; but she had always been a bad sitter.’(ジマイマは神経質になっていたからというけれど、実は卵を抱えるのが下手なんです)

 

         2021年3月 山岸秀彰

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2021/04/29   yamagishicoffee

昆虫の土づくり

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2月に剪定したコーヒーの木を機械で粉砕した。その際に落ちたコーヒーの葉が大量に地面を覆っていた。2カ月たってみると、葉っぱが、土の中の芋虫みたいな昆虫に食べられて、コロコロとした糞に変わっている。

土中生物が勝手に土づくりをしてくれる。

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2021/04/16   yamagishicoffee

サングラス

コーヒー畑の作業ではメガネが必需。虫、木くず、カビ、埃などが目に飛び込んでくる。枯れた枝は先がとがって、しなやかさを失っている。木の中に頭を突っ込んで収穫する時、たわんで戻ってきた枯れ枝が、まともにパチンと顔に当るとみみず腫れになる。痛い。妻も私も収穫期は顔が傷だらで、映画のヤクザみたい。目に当ると大ごとなので、目の保護は絶対に必要。

妻の眼は緑がかった薄茶色。サングラスをかけた方がよく物が見えるらしい。私はサングラスだと暗くてよく見えない。そもそも怪しいオジサンみたいで似合わない。その代り、もっぱら老眼鏡。小さな虫食いの穴を瞬時に選り分けて摘むので老眼鏡は手放せない。

私は本来は視力0.01のど近眼。リタイア直後、タイガーウッズのレーシック手術をした眼科医に行ったら、近視が強すぎて無理と断られた。その代わり、日本では認可されていない角膜の内側にコンタクトレンズを埋め込む手術を受けた。手術の際、焦点を遠近どちらに合わせるかを問われた。100ヤード先からカップを直接狙えるくらい遠くへ合わせてくれと頼んだ。それだと読書に老眼鏡が必要だと説明されたが、読書よりゴルフだ。迷わず遠くへ合わせた。コーヒー摘みのことまでは考えていなかった。

ところで、以前、妻の両親が来るので、いつも義母が座るソファーを確かめたら、横のランプが暗い。これでは本も読めまいと思い、明るい電球に取り換えた。ところが到着した夜、義母はランプが眩しくて本が読めないと、さっさと暗い電球に取り換えてしまった。本当かと思い、私は座って本を開いたが、やっぱり暗くて読めない。彼女はあんなに暗くても読めるし、私好みの明るさでは眩しいようだ。彼女は眼が青い。

ヨーロッパ人は北方の薄暗い森の中で目の色は薄く進化した。突然明るいアメリカへ進出したものだから、さぞかし眩しかろう。アメリカではサングラスは必需品だが、日の本の国で生まれた私はあまり必要性を感じない。バイデン大統領のサングラス姿は似合うが、菅総理が国会にサングラスで登院したらSNSで大炎上するだろう。

白人系アメリカ人はハワイでも、暗い感じの家を作る。せっかくハワイなんだから、私は陽の光と爽やかな風を生かした家を建てた。昼間は言うに及ばず、夜も日本なみに明るい照明を使った。おかげで、イギリス人の友人に、この家は昼も夜も室内でサングラスが必要だと言われた。

NHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」で北欧風の暗めの照明が心が落ち着くと推奨していたが、私には暗すぎて、歩くたびに家具に腕や脛をぶつけて危ない。

先月号でケニアへ行った話を書いた。ケニア人は夜目が利く。夜中に星を見に出かけた。周囲に町や家の灯りはなく、月もなかったので、満天の星空。星が落ちてくるようだった。ところが、雲が出始めた。あれよあれよという間に天を覆い、漆黒の闇。人生で後にも先にも漆黒の闇の経験はあれだけ。手元も見えない。手をつないでもらって帰った(ケニアでは男どうしでも手をつなぐ)。歩きながら、「穴だ。気を付けろ」と言われた途端にボコンと穴に片足が落ちた。本当に何も見えない。しかし、彼らには確かに見えている。彼らの目は私より濃いので、光への感度は目の色のせいだけではなさそうだ。

最近、老眼が進行した。埋め込んだコンタクトでは近くも遠くも度が合わない。テレビはぼやけるし、本は虫メガネ。暗いと益々ダメ。不便極まりないので、メガネを新調したい。アメリカのメガネレンズはプラスチック製。安全だが傷つきやすく、農作業に向かない。早くコロナが収まって、日本にガラス製メガネを作りに行きたいものだ。

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2021/04/02   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」1月号の原稿(NYの冬の想い出)

雑誌「珈琲と文化」2020年1月号の原稿です。NYの冬の想い出について書きました。

 

大胆に剪定を行い生産量を絞ったので、今シーズンの収穫は我々夫婦と友人の3人で順調に進んでいる。ところが、数年前の収穫時期は収量が多すぎて難儀した。その年はメキシコ人のグループと一緒に10月上旬からほとんど休まずに働き続けてた。疲労困憊。ついに、感謝祭の前々日、100ポンドの袋を運んでいる最中に、完全にエネルギーが切れた。甘いものが欲しい。地面に四つん這いになりながら、最後の力を振り絞って出た言葉が「カルピス飲みて~」。それきり体が動かなくなった。

仕方がない。感謝祭と前日の2日間は収穫を中断して休息することにした。初日、カルピス片手に休息に努めていると、メキシコ人から電話。どうしても翌日の感謝祭にコーヒーを摘みたいという。メキシコ人には感謝祭の習慣がない。どのコーヒー農園も休むので、収穫のピーク時に唯一、メキシコ人ピッカーが余っている日だ。結局、その年の感謝祭の日もコーヒーを摘むことになった。しかも大勢が来た。確かに、感謝祭は収穫の遅れを取り戻す良い機会である。感謝感謝。

米国では11月の第4木曜日が感謝祭(Thanksgiving Day)。人種・宗教の区別なく、米国民の誰もが祝う祝日。収穫祭の側面もあるが、様々な人やもの、あるいは神に感謝を捧げる日。一般の家庭では七面鳥をたらふく食べてゴロゴロする。中には、恵まれない人を招いて饗応する立派な家庭もある。感謝を捧げる(Thanksgiving)のがその精神だ。

思い起こせば20数年前、邦銀のNY駐在員時代、感謝祭の日に私は妻を連れて休日出勤した。妻はロースクールの学生だったので、会議室で勉強。オフィスには誰もいない。仕事に集中できる。服装も自由だから、我々は留学時代に買ってもうボロボロになったYale大学のスウェットシャツという気軽な恰好。仕事がはかどり7時頃に気分良く退社した。帰宅途中に42丁目のTudor City Hotelの入口に感謝祭ディナーの広告を見かけたので入ってみた。レストランは豪華なディナーを囲む家族連れで大賑わい。皆、着飾っている。特別な日だ。我々だけがボロボロのシャツ。いかにも場違いだが、着替えて出直すのも面倒なのでそのまま着席した。

コースメニューに加えてワインも注文。次々と出る料理を堪能しいると、隣の席に一人のおじさん。こちらを見て微笑んでいる。「こっち見てニヤニヤしないでよー。嫌~な感じ」とか、「感謝祭に一人で寂しいの?仲間に入れてやろうか」など、日本語が通じないのを良いことに憎まれ口を言いながら食べ続けた。すると、おじさんはウェーターに我々のワインの値段を聞いている。「もー。服がボロボロだったら、フランスワインを注文しちゃいけないのかよー、おっちゃん!」と、またも妻と悪口で盛り上がった。

デザートまで平らげ、もー満足満足。勘定を払おうとすると、店長が直々に出てきて、厳かに「お支払いは結構です」。「えっ???」。よくよく尋ねると、隣のおっちゃん、じゃなくて、隣の紳士が支払っていったという。気が付けば、謎の紳士はいなくなっている。ボロを着たアジアからの苦学生が、感謝祭に暗いNew Havenの田舎町から華の都New Yorkへ来て、精一杯の贅沢な食事に、はしゃいでいると映ったのだろうか。酔っ払って、彼の悪口で盛り上がっていただけなのに。

お礼をしたいと願ったが、「誰かは口止めされています。これは感謝祭の伝統なので、どうかお受け下さい」と、紳士的に諭された。罰当たりな我々を紳士たちは気品に満ちて饗応してくれた。

感謝祭の伝統。これが感動せずにいられようか。その後しばらく、日本人駐在員仲間に、諸君もアメリカの感謝祭の伝統の精神を学ばねばならないと談じて回った。

翌年、また感謝祭の日が来た。感謝祭の伝統を説いて回った私だが、根が卑しい。毎年の伝統にするなら、御馳走する側より、ご馳走してもらう側が良い。また、謎の紳士にご馳走してもらえますようにと願い、前年と同じ服を着て、同じように休日出勤をして、同じ時間にTudor City Hotelへ向かった。もう我家の「伝統」だ。しかし、レストランは潰れていた。その一画は暗く、「電灯」は消えていた。

 

例の大忙しだった収穫シーズンも、新年を迎えてようやく峠を越えた。既に、翌シーズンの白い花が咲き、ジャスミンのような花の香りと蜜蜂の羽音に囲まれて、残ったコーヒーを摘んだ。

コーヒー摘みは単純作業。繰り返し続けると、色々なことが頭の中を通り過ぎていく。もっと美味しいコーヒーを育てる方法とか、金利や株価の行方とか。また、過去の様々な思い出が頭に浮かんだりする。でも、NY時代の血尿を流しながらストレスと闘う日々の思い出は辛いことばかりで、そこにはまり込むとため息ばかりがでる。気を取り直して、コーヒーを摘んでいて幸せだと自分に言い聞かせる。

もっと、頭を空っぽにして無心にコーヒーを摘みたいものだ。瞑想のように、呼吸に意識を向けながら摘んだりするが、いつの間にか、妄想にふけっている。まるで煩悩の塊だ。

畑にラジオを持ち込み、ホノルルの日本語放送KZOOラジオを聴きながらだと、とても楽に摘める。心の奥底に溜まった煩悩と格闘しなくて済む。また、家でじっとしながらラジオを聴くとすぐ飽きるが、コーヒーを摘みながらだと、不思議と朝から晩まで聴き続けることができる。しかも、4か月間毎日。

その日もKZOOラジオを聴きながら摘んでいたら、”Take the A train”(A列車で行こう)が流れて来た。ジャズど素人の私でもこの軽快なメロディーは知っている。NYのマンハッタンのWest sideを縦断する地下鉄のA train(A線)を曲にしたものだ。この曲がかかった瞬間、私の頭の中は、またもやNY時代にフラッシュバックした。

当時、妻は弁護士になり、私は外資系資産運用会社へ転職していた。オフィスも邦銀時代のミッドタウンからダウンタウンへ変わった。ダウンタウンへの通勤には、グランドセントラル駅からイーストサイドの地下鉄4・5・6番Trainを使っていたので、ウェストサイドのA trainは普段はあまり縁がなかった。

ただし、冬のオペラの季節にはA trainに乗ることがあった。仕事帰りに、ウェストサイドにあるリンカーンセンター(West 64丁目)でメトロポリタンオペラを観るために、ダウンタウンからA trainに乗った。電車はウェストサイドを北上し、コロンバスサークル(59丁目)を過ぎた。そろそろ降りようしたところ、次々と駅を通過。リンカーンセンターも素通り。次に停まった駅はハーレムの125丁目。週末の昼間のハーレム散策は楽しいが、夜に背広姿でハーレムなんかに用事はない。アポロシアターではなくリンカーンセンターに行きたいのだ。

しかし、なるほどと思った。”Hurry, hurry, hurry~♪“の歌詞のTake the A trainは、ジャズの本場ハーレムに急ぐなら、快速のA trainに乗ると速いという内容の曲である。確かに途中駅を全部すっ飛ばして速かった。そういう曲だったのかと得心できただけに、回り道だったけれど、少し得をした感じがした。

ハーレムから慌てて引き返した。既にオペラは開演直前。地下鉄を降りて会場へ急ぐと、開演を知らせるボーンという音が鳴っている。妻と慌てて走った。妻は小学生時代に短距離走で千葉県2位。足は速い。リンカーンセンターのドアをすり抜け、赤絨毯の美しい階段を一気に駆け上がると、目の前でホールのドアがまさに閉まろうとしている。”Wait!”と叫びながら駆け寄ると、前を走っていた妻の体が宙に飛んだ。ヘッドスライディングでドアに飛び込んだ。実はドアの直前は急に下り坂になる。ハイヒールで全力疾走していた彼女は下り坂を踏み外してしまった。漫画のキャラクターのように、走っている途中で足を宙にクルクル回転させながら転倒する人を初めて見た。

こんな思い出にふけっていると、突然、妻の「ギャー」という叫び声がした。我に返ると、そこはコナのコーヒー畑。ラジオから流れるTake the A trainの曲は既に終盤に来ている。コーヒーを摘んでいた彼女はいきなり蜜蜂に襲われ刺されたらしい。

「Take the A trainなんか聴いてるから、蜂(Bee)が怒ったんだよ」というと、彼女は涙目で「なんで?」。「蜂だけにB Trainじゃないと」。。。

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2021/03/14   yamagishicoffee

生豆の空輸

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昨日は年に一度のコーヒーの出荷。

生豆を日本へ空輸した。

麻袋を2重にプラスチックの袋で密封し、段ボール箱に入れた後、コナ空港でハワイ州と連邦農務省の検査を受けたら、箱を閉じて出荷。

約17万杯分のコーヒーに相当する。

17万回お楽しみ下さい。

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2021/03/07   yamagishicoffee

ケニア

夏から続いたコーヒー摘みもようやく終わり、剪定も済んだ。疲労困憊。毎年、蓄積した疲労が癒えるまでしばらくかかる。コーヒーを摘んだ日は、日没後プールで歩いたり、温冷水浴をしたり、疲労回復に努めた。また、定期的な鍼灸治療も欠かせない。

 

若い頃から肩こりは横綱級で、20代の頃から鍼灸は欠かせない年寄り臭い若者だった。そんな20代後半。ケニアでコーヒーの木を初めて見た。企業派遣で米国へMBA留学中。1年目と2年目の間は4ヵ月間の夏休み。同級生らは就職希望の企業で研修生として働くが、私は他社では働けない。やることもないので、かつて青年海外協力隊でケニアに派遣された友人にケニアを案内してもらった。アフリカ・欧州3ヵ月のバックパック旅行から帰ったら、旅行で使ったよりも多くのお金(4ヵ月分の給与)が銀行口座に振り込まれていた。バブル期とはいえ本当に申し訳ない。時効だから許してほしい。

 

友人の派遣地はケニア山の麓の村。電気も水道もなかった。庭先にはコーヒーの木。我々は腰の前の籠に摘んだ実を入れるが、彼らは背中に背負って肩越しに放り込む。村人はキリマンジャロコーヒーのブランドで遠く日本まで輸出すると威張っていた。キリマンジャロは隣国タンザニアの山。産地偽装だと問うと、キリマンジャロと称した方が売れると日本のバイヤーが決めたこと。ハクナマタタ(問題ない)と言い張る。おおらかなものだ。コーヒーは儲からないし、農薬で健康を害すると、こぼしていたが、今ではケニアコーヒーは立派なブランドになった。村への道路も舗装されて便利になった。代わりに治安が悪化して、あんなにのんびりした村に殺人が起きるそうだ。困ったものだ。

 

元協力隊員の友人は初対面の人ともすぐに仲良くなる達人。おかげで楽しい冒険旅行をさせてもらった。ナイロビからビクトリア湖への夜行列車でルオー族のボクシング元ケニアチャンピオンと仲良くなり、ビクトリア湖に浮かぶ島の家の建築を手伝う代わりに泊めてもらった。人里離れた土とブロックと藁と土間の家。地面に寝袋を敷いて寝るから、夜中に虫が這って参った。しかし、毎日キャッサバやメイズのギゼリやウガリばかり食べていたので、コメと魚(Wali na Samaki)で歓待されて嬉しかった。

 

ちなみに、ルオー族はオバマ大統領の父親の部族。前述のコーヒーの村のキクユ族よりも肌が黒く手足が長い。スポーツ選手が多いらしい。「オ」で始まる苗字が多い。

 

宿泊のお礼に一家の男たちと町へ出て、バーでビールをおごった。私は顔が赤くなるので大うけ。珍しいらしい。お酒に弱いからと弁解すると、彼らはいかに自分らが強い男かを自慢した。そりゃボクサーだから強かろう。だが、そうではなく、腕を見せる。肘と手首との間に、4つくらい点、点、点、点と火傷の痕跡。なんでも、ルオー族の男は、成人儀式に腕の数か所に枯れ草を乗せて燃やすらしい。我慢できれば、一人前の男として認められる。ルオー族が他の民族よりも強い証拠との自負があるようだ。

 

あんまり皆して腕を自慢するから、つい私も遠山の金さん気分で「おうおうおう、黙って聞いてりゃ寝ぼけたことを」と、Tシャツをめくりあげて背中を見せた。背骨を挟んで左右に上から下までお灸の痕。しかも、数なら彼らの腕の痕の3倍はある。一同「アイ~~~!!」という叫声。普段は爺臭くて人様にお見せできないが、この時は効果てきめん。さっきまで私の赤い顔をからかったのとは打って変わって尊敬の眼差し。

 

その後は、バーの前を村人が通るたびに、「アニキ、あいつにも見せてやってくれ」と頼まれる度にTシャツをたくし上げては、通行人の甲高い「アイ~~~!!」の賞賛をほしいままにした。お灸のおかげで、私はオバマ大統領の出身部族の連中から、男の中の男と尊敬を集めたのであった。    

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2021/03/01   yamagishicoffee

生豆の精製

コーヒーを精製した。パーチメント(堅皮)を割って、生豆を取り出し、サイズ分けして、比重テーブルで比重の低い欠陥豆を取り除く作業。

試しに一杯飲んでみた。よい出来。手前味噌で申し訳ないが、世界一好きな味だ。だって、自分で育てて自分で摘んだんだもん。

 

ところが、気になることが。生豆の水分量が12%。干棚で乾燥した際には10.5~11%になるように乾燥したけれど、昨年来の長雨の影響で、保管している間に水分を吸ったらしい。

コナコーヒーの基準は9%~12.5%なので、その範囲内だけれども、送り先が湿度の高い日本なので、念のためもう少し下げたい。

さて、どうするか。

 

(解決策1) 干棚で天日乾燥する。しかし、干棚にはほこりや細かな木くずがあるし、周りの畑や森からゴミが飛んで来る。鳥だって来る。パーチメントの上からならいいけど生豆に糞は嫌だ。せっかくパーチメントを割る工程で余分なごみを取り除いてきれいにしたのに、再度ゴミを取り除くとなると膨大な作業が必要だし、生豆も傷む。避けたい。

 

(解決策2) ドラム式の機械乾燥機で乾燥する。すでにパーチメントを取り除いた生豆の状態なので、40~45度程度とはいえ、熱処理は避けたい。また、調節が難しいので、失敗の逸話を聞いたことがある。

 

(解決策3) 麻袋に詰めた生豆を倉庫内でテントに覆い、テント内部を除湿器で乾燥させて、麻袋から水分を抜き取る。1週間くらい時間がかかるが、ダメージはない。麻袋の中の中心部分と周辺部分のむらができるが、麻袋をビニール袋で包み気密性を保って発送するので、時間とともに内部で均一化する。

今回は解決策3を選択。よって、精製終了まで今しばらくの辛抱。

天候の状態次第で、いろいろな事が起きるなあ。

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2021/02/20   yamagishicoffee

コーヒー栽培やめます。

2020-21分のコーヒーは、今から精製所で精製して来月日本へを発送しますが、今年はコーヒーの生産を止めることにしました。

腰が痛いので。

家庭用、兼実験用の200本のみの栽培に縮小します。残りの3000本はすべてカットバックです。再開は未定です。

応援していただき、ありがとうございました。

おかげさまで、どうにか12年間やってこれました。楽しい日々でした。

月に一度の「農園便り」や雑誌「珈琲と文化」のエッセーはしばらく続けます。駄文お付き合いください。

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2021/02/20   yamagishicoffee

コーヒーさび病とサコスポラ菌

2020年10月、ハワイでコーヒーさび病が発見された。その後、多くの場所で確認されたので、コナでもすでに広がっているようだ。嗚呼、遂に来てしまった。

さび病はCBB(Coffee Berry Borer)とならんでコーヒー最大の病害。コーヒーの葉に付く菌類で、感染が広がるとコーヒーの木は葉をなくして光合成ができずに枯れる。

コナコーヒー農家は専門家とさび病対策の検討を始めた。栄養管理(栄養不足だと耐性が落ちる)、日陰樹の管理(適度な日光量)、剪定(風通し、感染した葉の除去)、雑草処理(風通し、栄養分の競争を回避)、農薬噴霧、拡散防止(服、農具、トラック、袋等の除菌、訪問客制限)、耐性品種への植え替え、などがあげられる。

最も重要なのは初期対応。さび病やCBBは指数関数的に増える。新型コロナでおなじみの指数関数的増加との闘いは、感染爆発前に抑え込むことが最重要。

日本では新型コロナの実行再生産数が1を超えたと大騒ぎだが、CBBは生後5週間で卵を50~100個産む。全部が生き残るわけではないが、私の感覚では実効再生産数は5~10。CBBの抑え込みは難しい。恐ろしいことに、さび病は桁違い。1つの胞子が約2カ月で30万個の胞子を作る。これが、2乗、3乗と指数関数的に増える。恐るべし。

コナ特有の問題は農薬噴霧。さび病は被害が5%を超えると拡大カーブが急すぎて、Systemic農薬でないと増加を止められない。Systemic農薬とは、根や葉から植物体内に吸収されて、体内から病害菌を殺すもの。しかし、コナ(米国)はコーヒー生産地で唯一の先進国。農薬の規制が厳しい。コーヒーにSystemic農薬は認可されていない。緊急許可を請願中だ。とりあえずは、銅などの抗菌効果のあるものを噴霧して、葉をコーティングすることで抗菌予防する。CBB対策でコナが苦戦しているのも、他の産地で一般的な農薬をコナでは使えないため。

畑がさび病に感染すれば、頻繁に農薬を撒かなければならない。それも菌が耐性を持たないように、毎回違う農薬を使う。大変な負荷で農家たちは戦々恐々だ。ところが、多くの農家が気が付いていないが、私の意見では、コナではCercospora菌(写真)の流行で、既に抗菌剤を撒かないとやっていけない状況にある。

2019年8月に36年間続いたキラウェア火山の噴火が止んだ。空気が澄んだ。因果関係は不明だが、コナの雨量が増えた。コーヒーの木に良いと喜んでいたら、Cercospora菌が大発生した。木が弱って、コナ全体の収穫量が減った。中には8割減った農園もある。私が利用する精製所によると、昨シーズンよりも収量が増えたのはうちの農園だけだ。

一昨年、うちの畑の一部が何かの菌類に感染した。雨の日に「雨にも負けず、僕って頑張り屋」と頑張る自分に酔い、濡れた手袋でベタベタ摘み続けたら、翌月に爆発的に増えた。トホホ。収穫期にも雨の降るコナでは菌類は厄介。何の菌類かを、研究所や周りの農園に尋ねても要領を得なかった。とりあえず、銅の抗菌剤(水に溶けない有機農薬で、コーヒー体内には吸収されない)を撒いたら、拡大は止まり助かった。それをCercospora菌と知ったのは昨年の収穫が始まってから。ほとんどの農園は何も対応できなかった。

さび病はコーヒーの葉にしか感染しないが、Cercospora菌はコーヒーの木の全身に感染するし、土の中でも生きる。畑が一度感染すると、根絶するのは難しいらしい。さらに、Anthranconse菌(炭疽菌)も増えているらしい。その上、いよいよ病害の横綱さび病の上陸。いやはや、指数関数との闘いは、きりがない。

2020年12月に再び火山の噴火が始まった。因果関係は不明だが雨が減った。雨が減れば菌類の活動も弱まる。さてさてどうなることやら。 

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2021/02/01   yamagishicoffee

三越伊勢丹のフーディー

三越伊勢丹グループの食メディアのフーディーの1月号「食のルーツを巡る、進化を探る」特集に取り上げていただきました。

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2021/01/13   yamagishicoffee