日本の米は食管制度を廃止したら美味しくなった。コーヒーも昔は、生産国では質の良し悪しにかかわらず政府が買い取る価格維持政策が支配的だったから、品質が価格に影響しなかった。農家の側にも良い質のコーヒーを生産するインセンティブ(動機)がなかった。質を上げて世界のコーヒー市況とは切り離した値段で売ったのは、コナやブルマンなどの限られた産地しかなかった。しかし、近年、スペシャリティーコーヒーという概念の登場で質の良いコーヒーを作る農家が増えて来た。
スペシャリティーコーヒー業界はワインを手本としてきた。実際に、コーヒーのカッピングの手法の多くはワインから借用している。ワインは質に応じて値段が変わる。一本千円以下のワインもあれば、何十万円もするワインもある。それならば、一杯何千・何万円もするコーヒーがあっても良いはずとスペシャリティーコーヒーの人々は主張する。私に異論はない。しかし、ワインとコーヒーでは決定的な違いがある。
例えば、ボルドー地区の第一級銘柄「シャトー・マルゴー」。マルゴーの畑の赤ワインには、生産過程ででる規格外の安いブランドもあるが、マルゴーの基幹ブランドは何といっても第一級銘柄のGrand Vin du Chateau Margaux。年間生産量は平均して35万本もある。だから、マルゴーの畑はGrand Vinを生産するために存在し、畑全体の品質のばらつきを抑えながら、全体的に質を高くしようと目指す。一般に、ワインの点数は、その年のそのブランドのすべてに対して適応される。ここがコーヒーと違う。
コーヒーの点数は、農園の主力コーヒーの点数を意味しない。COE (Cup of Excellence)などの品評会へ出品されるのは、それ用に生産され、試飲を繰り返し選りすぐった豆で、せいぜい百~千キロ程度。各農園の生産量の1%以下であろう。所詮宣伝目的だ。出品豆が入賞すれば、評判が上がり、他の99%の普通の豆も高く売れる。入賞豆がいかに素晴らしく、高値で競売されようとも、数少ない業者の手にしか渡らない。一般の消費者が入賞した農園のコーヒーを買い求めたところで、それは入賞豆ではなく、その他99%の豆であることがほとんどで、点数や味は入賞豆に及ばない。いくらの値段を払うべきかは消費者には分かりにくい。大抵は飲んでガッカリする。マルゴーのGrand Vinであれば、よほどのことがない限り安心してマルゴーの味を堪能できるのとは違う。
確かに、COEはスペシャリティーコーヒーの質の向上に多大な貢献をした。昔のコモディティーのみの時代とは大違いだ。しかし、ほんの少量の豆に点数を付ける方式だと、ほとんどの消費者の手には届かないから、点数の意味は消費者に不明確だし、ホームラン狙いで農園全体的な質は顧みないインセンティブを生産者に与える。スペシャリティーコーヒーがワインを目指すには、現在のCOEの形式では道のりは遠い。
スペシャリティーコーヒーの世界は歴史が浅い。大学のサークル活動の延長のような雰囲気さえある。そのお祭り騒ぎが、かえって、若者の心を捉えているのかもしれない。さらにワインを目指すのであれば、農家がきちんと製品のばらつきを抑える工夫をして、質が良ければ値段が高く、悪ければ値段は安いという質と価格の関係を安定させ、消費者が安心して、提示された値段で購入できるようにすべき。
ブドウは一度に熟すが、コーヒーは一度に熟さないのが、コーヒー栽培の難しい点。高い質の源泉、つまり、きれいに収穫する事が、ワインより何倍も難しい。価格機能がきちんと働くようになるためには、ピッカーの重要性を業界全体で認識して、ピッカーを大事にし、きれいな収穫に努めることが肝要。