雑誌「珈琲と文化」10月号の拙稿を転載します。
冬に日本へ行った。京都に一ヵ月逗留した。まん防発令中で修学旅行も外国人もいない。誠に静かな京都を堪能した。しかし、寺は寒い。まともな冬服など持っていなので、寒さが骨身にしみた。ハワイが日本人に避寒地として人気なのが理解できた。
夏にも日本へ行った。今年は猛暑で参った。外は茹で上がるように熱いし、室内は冷房。熱波と冷気が交互に来る。体へのストレスが高い。冷たい物の飲みすぎで体がむくんだ。ハワイが日本人に避暑地として人気な理由が理解できた。
コナの家に帰ったら涼しい。家に冷房はないが、朝夕は肌寒いくらいだ。帰国後二日で体重が三キロ以上減った。むくみで相当な水分が体に溜まっていたようだ。
ところで、帰りのホノルル行の便で、着陸直前に客室乗務員が「ただ今のホノルルの気温は二十七度。爽やかなコナ・ウィンドが吹いています」とアナウンス。思わず笑った。
天気予報にコナ・ウィンドとあって、ハワイの風は爽やかという先入観から、両者を繋いでそう言ったのだろう。しかし、コナ・ウィンドといえば、地元の人にとっては蒸し暑く不快な風を意味する。天気予報でコナ・ウィンドといえば不快注意報だ。
ひょっとして、客室乗務員もそれは承知のうえで、日本の熱波に比べれば、コナ・ウィンドなど他愛もないと、日本の猛暑への八つ当たりならば、皮肉が効いて名言だ。
通常、ハワイ諸島には、東北東から貿易風が吹く。常夏のハワイが爽やかに感じるのは、このひんやりとした北風のおかげ。日陰に入りさえすれば、涼しい風が心地よい。ハワイが観光地なのは、この貿易風に負うところ大である。
一方、気圧の関係で、時には西南西から風が吹く。これがコナ・ウィンド。ハワイ語でコナとは西。コナ・ウィンドとは西風のこと。西南西からの湿った暑い風で不快だ。オアフ島のホノルルの住人には、コナ・ウィンドとはハワイ島のコナの方から来る風と勘違いしている人がいて、酒の席で、蒸し暑いのはコナのせいだと責められたことがある。大きな勘違いだ。コナはホノルルよりずっと東に位置する。反対方向だ。
さて、ハワイ語でコナは島の西海岸をも意味する。オアフ島もマウイ島も西海岸はコナであるが、それらの島は東西に長いので西海岸が小さい。一方、別名Big Islandと呼ばれる大きなハワイ島は南北に長い西海岸が広がる。だから、ハワイ島の西海岸だけは特にコナとして地名になった。そして、コナはハワイ諸島の他の地域とは気候が異なる。これがコナをコーヒー産地たらしめた。
コナはハワイ島の西海岸に縦長(南北)に広がる。北半分のノースコナはフアラライ山の麓、南半分のサウスコナはマウナロア山の麓にある。つまり、背後(貿易風の風上)に大きな山があるため、貿易風が遮られて届かない。その遮られた大量の空気がフアラライ山の北側に集中して通過するため、コナより北のコハラ海岸やワイコロアは風が強いことで有名だ。ワイコロアでのゴルフは風との闘いで楽しい。
貿易風が来ないコナは、その代り、日中に西側の海から海風が吹き込み、逆に夜には山から風が吹き下ろす。これがコーヒーに最適の気候をもたらす。
コナの朝は快晴。日が昇ると海の湿った空気が温められ山腹を駆け上がり、上昇気流となる。山麓は昼前には曇り、午後にはしとしと雨が降る。風が穏やでコーヒーに優しい。貿易風は強すぎてコーヒーにはストレス。夜は、昼とは逆に、山から冷えた風が吹く。これが昼夜の寒暖の差を生む。コーヒーは実に栄養をしっかり蓄え味が調う。
ハワイ諸島でこの気候パターンは、コナの標高200m~800mの地域に南北に広がる幅3km、縦35kmの帯状のコーヒー産地、コーヒーベルトと呼ばれる地域だけ。コーヒーに最適の雨量。コーヒーは直射日光が苦手だが、昼前から曇るので日陰樹が必要ない。
しかも、なんとなく雨季と乾季に分かれ、コーヒー栽培には都合が良い。ハワイ州は冬に定期的に西から低気圧が通過するので、一般的に冬が雨期といわれる。しかし、コナは収穫シーズンの冬は乾期。夏より気温が低いので、海からの水蒸気の量が減り、曇りはするが雨には至らない。収穫期に雨が多いと、カビや腐敗が起きやすく、品質が安定しない。
通常コーヒー産地というと人里離れた標高の高い山間部にある。都市から数時間も離れた不便な土地だ。ところが、コナは町から車で十分も坂を登ればコーヒー農園にたどり着くので、コーヒー農園を観光するには便利。標高も他の産地よりも低い。これは、前述のような特殊な気候がこの狭いコーヒーベルト地帯にあるため。
海岸沿いは高級リゾートである。山麓のコーヒーベルトとは違ってビーチは晴天率が高い。貿易風の影響が弱いので海は穏やか。ゴルフや釣りやスキューバ・ダイビングなどのレジャーに絶好の環境だ。世界的に有名なカジキマグロのトローリング大会(ビルフィッシュ・トーナメント)や、世界中で予選が行われるトライアスロンの決勝戦(アイアンマン世界選手権大会)が行われる。
富裕層の別荘が多いので、冬に人口が倍増する。感謝祭時期やクリスマスから年始にかけては、空港にプライベートジェットが並ぶ。昔は、日本人移民とその子供・孫(日系人)が中心の貧しいコーヒー農村だったが、今はひょっとしたら、冬だけなら住民の平均所得は全米一かもしれない。
近くのマウナケア山頂には日本のすばる望遠鏡など、大型望遠鏡が並ぶ。望遠鏡の大敵は光害である。だから、コナは四階建て以上の建物の新たな建築は禁止。ネオンサインも禁止。街灯も少ない。町は全体的に暗めで、ホノルルとは雰囲気が違う。南の島の田舎の雰囲気を残しているのもコナの特徴だ。実際、本当に田舎なんだけど。
私が引っ越して来た頃は、サブプライムローンによる不動産バブルが弾けた直後だったので、比較的安く土地と家を買えたが、その後、不動産価格はうなぎ登り。さらに、新型コロナ騒動で、コナの不動産は急騰した。高層ビルがないのでエレベーターという閉鎖空間がない。人口密度が低い。家やレストランは風通しよく作られている。コロナの発症件数が低かったので、米国本土の富裕層がコナの不動産を買い漁った。何も都会でコロナに怯えるより、コナの別荘で在宅勤務すれば良い。二億円、三億円の家に対して、売りに出た日に、物件を見ずに買い手が何人も現れる異様な人気ぶりだった。こんな田舎の町なのに、コナの一軒家の売買価格の中間値は百万ドルを超えた。
不動産ブームはコーヒー農家にも影響がある。ピッカー達はリゾートのスタッフやリゾート開発の建設現場に流れて、ピッカーの確保が難しい。そもそも、リゾートに勤めていた中高年は、株高・不動産高を背景に資産を持っているから、なにもコロナに怯えながら観光客相手に働く必要はないので、多くがリタイアした。空前の人手不足。数あるリゾートホテルは、どこも百人単位で求人中。もはや時給25ドル(3,300円)を払っても人集めは著しく困難。
昔はハワイの高級物件を買い漁るのは日本人だったが、今回は日本の国力低下と円安の影響で買い手は米本土の富裕層が中心。むしろ売手に日本人が多い。団塊の世代が75歳を迎え、別荘を手仕舞いするケースが増えている。
戦前は日本人村だったコナは、80年代以降は、日系人コーヒー農家の割合が減った。一方、海岸沿いの高級リゾートでも、日本人の存在感は減りつつある。
どなたか、コナに引っ越してきませんか?ドル資産は円安ヘッジになるよ。
2022年9月 山岸秀彰