雑誌「珈琲と文化」7月号の原稿(日本で出会った「山岸コーヒー」)を転載します。ご笑覧ください。
数年来、青山や丸ビルなどに店舗を展開するリストランテ・ヒロで山岸コーヒーを取り扱っていただいている。社長の山口一樹氏に気に入っていただき、お付き合いが始まった。山口氏からピノノアールのようなコーヒーと感想を頂き、我が意を得たりと感じた。
ブルゴーニュの赤ワインに代表されるピノノアールは、明るく酸味が前に出る。ボディーは軽やかで渋みは抑えめ。エレガントな感じがする。オリがでにくいのでピノノアールのビンはなで肩。まさに、明るくクリーンで苦味や渋みのないコーヒーを目指す私にとっては、「ピノノアールのようなコーヒー」は理想である。おまけに、ピノノアールは病害に弱く生産が難しいそうだ。コナコーヒーに似ている。
東京駅の目の前の丸ビル。35階のリストランテ・ヒロに行ってみた。ディズニーランドの花火まで見通せる眺望。テーブルに座ると、当日使う食材を載せたトレーが来て、本日の牛肉は○○牧場、玉ねぎは○○農園との説明を受ける。コース料理が始まると、さっき見た厳選された食材が次々と極上の一皿となり供される。美味しい。楽しい。
最後に、山口社長が自ら、私の目の前でボウルに入れたイチゴをすり潰し、そこに液体窒素を流し込んでホイップするとイチゴアイスの出来上がり。液体窒素のひんやりした煙がテーブルを伝い床へ流れるのが美しい。着ているシャツに、ほのかなイチゴの香りが付く。味覚のみならず、視覚、嗅覚、冷気の皮膚感覚を総動員した体験だ。
山口社長によると、ここまでは他の高級レストランでもやっている店はある。ところが、最後に、その辺の一般的な苦いコーヒーが出てきて、それまでの趣向がぶち壊しとなるケースが多い。最後のコーヒーに至るまで素材にこだわって、素晴らしい余韻を残してコース料理を締めくくりたいというのが山口氏の考え。深煎りと浅煎りの豆をお客様に見てもらい、どちらかを選んでもらってから、テーブルの横で挽いてドリップしてくれる。イチゴの香りの後にコーヒーの香りが続く。
確かに、朝から舌がヒリヒリするようなコーヒーを飲むのは辛いが、カフェインで目が覚める代償と思えば、まだ我慢ができる。しかし、極上のコース料理の最後は、甘く香り高いコーヒーで終えたいものである。そんな風に、私どものコーヒーを扱ってもらえて、とても嬉しい。
実は、もう一つ嬉しいことがある。私は父が早死にしたので苦学した。大学や日本育英会から奨学金をたくさん借りた。加えて、三菱信託銀行の山室記念財団(現三菱UFJ信託奨学財団)からは、ありがたくも返済義務のない奨学金を頂いた。とても感謝している。
在学中、定期的に山室財団へ学業の報告へ行く義務があった。記憶が確かなら、その事務所が丸ビルの隣の新丸ビルだった。まだ改築前。戦前風の重厚な廊下。日本経済の中心という雰囲気。貧乏学生の私はその威圧感からひどく緊張して心細かった。
おかげで大学を卒業できた。必死に働いた。幸運にも恵まれ、若くリタイアできた。そして、今、改築後の丸ビルの35階で私が手摘みしたコーヒーが供されている。感慨ひとしおである。
リタイア後の趣味としてコーヒー栽培を始めた。たちまち体重が10キロ以上減り、健康になった。土いじりは初めてだったが、学ぶことが多い。作っていて楽しいのもあるが、お客様に喜んでもらうと、より嬉しい。生産者冥利に尽きる。
一昨年は、三越の8商品厳選の「三越の三ツ星」に選ばれ、お歳暮カタログに載せていただいた。なんと、224ページもあるカタログの5ページ目。『素材・製法・人という三つのポイントから価値を見出した傑作選「三越の三ツ星」。おいしさという感動を分かち合える、こだわりの品々です』とのこと。キャピタルコーヒーが素敵なドリップコーヒーの商品に仕上げてくれた。こんなに破格の扱いをしていただけるのは望外の喜びだ。
生産者冥利といえば、以前、私どものコーヒー豆を扱ってるお店にこっそり見に行った。順番待ちで並んでいたら、目の前の着物姿の年配のご婦人が、腰を屈めてショーケースに並ぶコーヒー豆を覗き、「ハワイの山岸コーヒーをください」と言った。店員が「山岸コーヒーはすぐに売り切れたので在庫がありません」と答えると、「あら残念。あんなに美味しいコーヒーは初めてだったので、お友達に差し上げようと思ったのに」と聞こえてきた。偶然とはいえ、こんな場面に遭遇できるなんて。嬉しビックリで、うまく言葉も出ない。後ろから、「ちょっ、ちょっと、ボッボッボクボク山岸」と、しどろもどろに自己紹介した。
また、ある産婦人科の先生にお会いしたのも思い出深い。お産とお産の合間に私どものコーヒーを召し上がるそうだ。コーヒーで緊張感を解き、リラックスした後に次のお産に向かうとのこと。新たな命の誕生にわずかでも貢献しているかと想像すると、コーヒー栽培にも社会的意義があるような感じさえする。
俗物なもので、有名人に飲んでいただけるのも嬉しい。ハワイ島好きの吉幾三さんのコレクションミュージアムで販売する吉幾三ブランド珈琲に美鈴珈琲が焙煎した私どもの豆を採用していただいた。また、市川海老蔵さんが、一時期コーヒーに凝って、そのきっかけとなったのが私どものコーヒーだったようだ。彼のブログの写真からの私の勝手な解釈だが。成田屋さんに飲んでいただけるなんて光栄だ。
さらに、とある分野の人間国宝の方にも御贔屓いただき、記念品まで頂戴した。人間国宝の方にご愛顧いただくなんて、なんだか箔が付いた感じがする。
もう十年ぐらい前のこと、あるお店に、その翌月から私のコーヒー豆を置いてもらえることになった。丹精込めて育てた豆が、どんな風にお店に並ぶのか気になる。事前にこっそりお店を見に行った。店員さんは私のことなど、まだ知らない。
ガラスのショーケースの中を覗き込んだ。このブルーマウンテンの隣に私の豆が並ぶのかなあと想像するとワクワクする。15種類くらいのコーヒーが並んでいる。色々な産地があるなあ。深煎り、浅煎り、大きい豆、小さい豆。こんなにたくさんの中から、お客さんは私の豆を選んでくれるのかなあ。ちょっと不安。
ショーケースを端から端まで、無言で一心不乱に覗く私を、店員さんは不審がっている。もっともだ。変な客に取りつかれてしまったという緊張感が店の空間を漂う。こっちも申し訳ないとは思いつつも、どうしてもライバルの豆たちの観察を止められない。店の明るく健全な空気感を取り戻すべく、店員さんが口火を切った。「どんなコーヒーをお探しですか。」
「フフフ、一番美味しいコーヒーに決まっているじゃないですか。まだここには置いていないけどね、来月には分るよ」と心の中で声がした。危うく口に出るところを、やっとのことで押しとどめて、「どれも美味しそうですね」と答えた。
私は、ますますショーケースに顔を近づけて、もう、息でガラスが曇るくらい。並んでいるコーヒー豆たちを全てなめるように見た。うん、どの豆もきれいに並べられ、これならば私の豆も大切に扱ってくれるだろう。良いお店だ。
お礼を言って、お店を立ち去ろうとすると、何も買わなかったのに、店員さんは明るく「ありがとうございます」と言ってくれた。とても好感の持てる店員さんだ。己の心の声の高慢さを恥じた。
お店を出て少し歩きだした。やっぱり悪いから、お詫びにせめて何か買って帰ろうと思い直し、店の方へ戻った。すると、店員さんは、私がのぞき込んでいたショーケースのガラスに、除菌スプレーをシュシュシュシュ、布巾でキュキュキュキュ。
私は、コロナが流行るよりも、ずーっと前から、ばい菌・ウィルス並みに扱われてきたのだ。