農園便り

コーヒー摘みの季節到来

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コーヒーの実がドンドン赤くなってきた。

赤いのだけを摘む。

やっぱり収穫は楽しい。

このために一年やってきたんだから。

 

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2017/09/27   yamagishicoffee

Costcoでタイヤ交換

ピックアップトラックのToyota Tacomaを買って6年。初めてタイヤを交換した。

新しいタイヤはトラック用の丈夫な物。空気圧も高め。窒素入り。

これならコーヒーを1トン積んで運んでも大丈夫そう。

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2017/09/24   yamagishicoffee

コナの夕陽

うちのコーヒー畑は真西を向いているので、春分と秋分の頃には、水平線の真正面に夕陽が落ちる。

これから冬に向かうと、夕陽の位置は左へ移動する。

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2017/09/20   yamagishicoffee

一番摘みのコーヒー 

写真の一番白い豆が乾燥中のうちの畑のコーヒー。果皮と果肉を取り除いた後のパーチメントである。近所の畑の豆は随分と汚れている。虫食い豆、腐敗豆、過熟豆などの欠陥豆が混入すると、どす黒くなる。実はシーズンの最初の収穫はどうしても欠陥豆が多くなりがち。その結果、色も黒くなる。

世間で「一番摘み」「初摘み」と称してシーズン最初の収穫分を売っているものがあるが、初物好きの日本人用に流通業者が付けるネーミングだろう。まさか、本当に「一番摘み」を集めて販売する農園はないと思うけど。でも、仮に「一番摘み」だけを買ってくれる人がいれば、メインの収穫分から質の劣る「一番摘み」分を除外できるので、意外といいアイデアかもしれない。

 畑をきれいに保ち、きれいに収穫すれば、ご覧の通り、一番摘みでもパーチメントが白くなることは可能。その為には、日頃からこまめに欠陥豆を取り除くのが重要。さらに、収穫の直前に畑を一周して欠陥豆を摘み取り捨てる。初回は実際の収穫よりも時間がかかったけど。もちろん、収穫当日も丁寧に摘む。

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2017/09/18   yamagishicoffee

目で見るクリーンカップ

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実はコーヒーのクリーンカップは目で見ても判る。

 コーヒーの果実は収穫後、精製所(ウェットミル)で果皮と果肉を取り除き、パーチメントの状態で乾燥デッキで乾燥される(写真)。一番白いのがうちの畑の豆(パーチメント)。同じ人が同じ機械で同じように精製しても、こんなに色が違う。理由はいかにきれいに収穫するか。クリーンカップの秘訣だ。

 虫食い豆、腐敗豆、過熟豆などの欠陥豆が混入すると、どす黒くなる。実はシーズンの最初の収穫はどうしても欠陥豆が混入して黒くなりやすい。他の2つの農園の名誉のため付け加えておくと、彼らも優良農園として知られていて、これでもかなりきれいな方である。

 消費国へ出荷される前にパーチメントの殻を剥いて、中から生豆を取り出すので、消費国へ着いた頃には見た目では分からなくなる。でも、香味に違いが出る。

 

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2017/09/17   yamagishicoffee

雨の中のコーヒー摘み

コーヒーを摘んでいたら、午後になって雨が降り、ずぶ濡れになったけど、どうにか今週の分は摘み終わった。

今年は、今のところ累計で約2000ポンド摘み、今年の予想収穫量の4%まで来た。来週は農園の手入れに専念。再来週から収穫再開。これから、どんどん忙しくなるぞ。

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2017/09/15   yamagishicoffee

ビーチクリーンアップ

ハワイではビーチに私有権はない。プライベート・ビーチなるものは存在しない。ビーチはみんなの物。昨日はBeach Clean Upに参加した。Kohanaiki海岸を皆でお掃除。

ビールの空き瓶が割れた細かいガラスの破片が結構ある。緑色の破片が多かったので、コナのビーチではハイネケンが一番人気なのかなあ。

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2017/09/13   yamagishicoffee

最近コーヒー農家で流行りの肥料

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最近コナのコーヒー農家の間ではやり始めている肥料を買って撒いた。

コナの大手コーヒー農家が生産する肥料(7-5-5)。魚加工業者の廃材(魚の頭や骨など)を炭化させて(Biochar)、EM1(酵母菌、乳酸菌、光合成金などの有用微生物群)を糖蜜で培養して、その炭の穴の中に染み込ませ、それに玄武岩やラングバイン石(カリ肥料)などを混ぜたもの。即効性と緩効性を兼ね備えたもの。

畑じゅうが魚臭くなった。あまりの臭いに食欲減退。夕飯も食べられない。でも、大丈夫。コーヒーが魚臭くなることはない。

磯の香りのコーヒーなんてあったらおつだけど。

 

 

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2017/09/04   yamagishicoffee

アメリカンコーヒーとは何か?

この夏、ドイツへ行ってきた。街角や駅の売店で飲む普通のコーヒーの質が高い。さすが、コーヒー文化の根付いた国。なにせ1683年にオスマン帝国がウィーン包囲の際にもたらして以来だそうだ。日本や米国より遥かにコーヒーの歴史は長い。スペシャリティーコーヒーの店も良い豆をそろえていて美味しい。だが、コナやブルーマウンテンは見かけなかった。コナは近年の害虫被害による品薄で入手困難になったそうだ。

一方のブルーマウンテンはコナと並んで今でも主にティピカ種を生産している産地。このブルーマウンテンはドイツと同様で米国にもない。コーヒーショップの人でもその名を知らない人さえいる。ある友人など「いや、俺は一度だけNYの専門店で見た」と自慢する。隣国ジャマイカのコーヒーだが、ほとんどを日本が買い取るので、米国には回ってこない。世界の市場から隔絶され、日本で価格形成がなされる珍しいコーヒーだ。

もう一つ、米国にないのはアメリカンコーヒー。日本でのみの呼称で米国では通じない。日本でもその定義は曖昧。浅く焙煎したコーヒーのことをアメリカンとする説がある。また、薄めに淹れたコーヒー、あるいは、お湯で薄めたコーヒーという説もある。カフェ・アメリカーノなら米国にも存在する。エスプレッソをお湯で割ったもの。しかし、日本のアメリカンとは違う。

米国にはアメリカンコーヒーはないが、まずいコーヒーならある。米国人が慣れ親しんだロバスタ種のコーヒーだ。嗜好品は人それぞれで、これをお好みの方には申し訳ないが、私にはまずい。世界中の消費者はアラビカ種を飲む。安いロバスタ種は缶コーヒー、インスタントコーヒーの原料となる。なんと米国人はそのロバスタ種をドリップして飲む。

私は在米27年。米国にはお世話になった。偉大な国だと思う。私のような移民にも寛容だ。その上なぜか、まずい食べ物にも寛容で慈悲深い。一般家庭では大きな缶に入った挽いたロバスタ種を買って飲む。安いがまずい。レストランや外食チェーン店でもこれを使う。渡米当初はビックリしたが、周りのお客は平気だ。

ロバスタ種は深煎りだと焦げて飲めないので、浅煎りとなる。推測するに、戦後、日本人駐在員が米国人の飲むこの不思議なコーヒーを帰国後に再現しようと、浅煎りにしたり、お湯で割ってみたり工夫したのが日本のアメリカンコーヒーの始まりではなかろうか。ちなみに、日本のアメリカンは米国の一般コーヒー(ロバスタ)よりもずっと美味しい。

その後、登場したのがスターバックスである。同社は、少なくとも創業初期は、深煎りのアラビカ種を米国に根付かせることを使命としており、ヨーロッパ人はロバスタ種を飲まないことを米国人に知らしめた。爆発的にヒットして、会社は急成長した。

アラビカ種を浸透させたスターバックスの功績は大きいが、深煎り一辺倒なのはいかがなものか。アラビカ種は深煎りも良いが、浅煎り(ミディアム)の方が豆の特徴が分かり易い。だから、カッピングもミディアムで行われる。スペシャリティーコーヒーを楽しむには浅煎りもお試しいただきたい。

NY時代、部下と有名ドーナッツ店に入ったら、ロバスタ種が出た。驚いたことに部下は「コーヒーはこれでなくっちゃ」と嬉しそうに飲み、スタバのコーヒーを嘆いた。子供の頃からロバスタ種に慣れ親しんだのだろう。一方、先日うちの畑のとっておきの豆を浅煎りにして米国の富豪の集まりに出した。すると、「これはコーヒーではない。なぜならスターバックスはこんな味がしない」との批評を受けた。とほほ。

振り子がロバスタ種からスタバの深煎りへ振り切っている。

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2017/09/02   yamagishicoffee

アルフリーダ・フジタさん

ノースコナの村ホルアロアに観光客に人気の土産物店キムラ・ラウハラ・ショップがある。ラウハラという植物の葉で編んだ帽子や鞄などを売っている。そこの主のアルフリーダ・フジタさんが7月16日に亡くなった。享年90歳。土曜日の午前中に急に具合が悪くなり翌日の午前中に静かに息を引き取ったそうだ。

アルフリーダさんはこの農園便りにもよく登場する日系人コミュニティーのリーダーのモーリス・キムラさんのお姉様。日系3世で流暢な日本語を話す。コーヒー農園で生まれ育った。コナコーヒーの歴史の生き字引で、私も度々お話を伺った。

彼女の祖父母は1894年に山口県大島からハワイ島へ移住してきた。祖父母はコーヒー畑を営む傍ら、キムラストアーを開き、近所の農家に雑貨を提供した。農家はツケで日用雑貨を買い、収穫時期にコーヒーの実をキムラストアーに売って支払いに代えた。そうしてキムラ家は近隣農家のリーダーとなった。畑も買い増した。標高の高い畑ではコーヒーを、標高の低い畑では綿花を育てた。余った綿で座布団や布団を作り店でも販売した。また、ラウハラの葉を編んで帽子や籠などの日用品を作り販売した。戦後、三世の時代になると日系人は社会進出を果たし、コーヒーに生活を頼らなくなった。キムラストアーもラウハラ製品に特化して観光客相手の商売に変化していった。

キムラ家は繁栄し、親戚が百人近くいる。既にコーヒー栽培から手を引いているが、キムラ家の初孫(三世)のアルフリーダさんはキムラ家発祥の地で築100年を超す店を守ってきた。彼ら一族のパーティーに招待されると、今は高齢の三世たちはコーヒー摘みは辛いので二度とやりたくないと、新参コーヒー農家の私はからかわれる。しかし、一族最年長の彼女は、コーヒーがあったからこそ、一族がこの世に存在すると笑顔を絶やさない。長年コナコーヒーフェスティバルの役員を務め、コナコーヒー業界の重鎮だった。

キムラ家の人々はコーヒーは辛いが綿花摘みに比べればましだと語る。標高の低い綿花畑は暑い。炎天下で腰をかがめての作業は辛かったそうだ。花弁がとがっていて擦り傷が絶えない。彼女は子供の頃、叔父叔母たちが黒人奴隷の詩を歌いながら綿花摘みをするのを手伝った。歌詞の意味は分からないが一緒に歌うのが楽しかったそうだ。早朝暗いうちから作業を始めるとコオロギの音がきれいとか、朝日に真っ白に輝く綿花が美しいなど、苦しい生活の中の楽しい部分をよく覚えていて皆に語る。そういう明るい人だった。

1941年12月7日以前の日系人の子供達は平日はアメリカの学校へ行くかたわら、夕方は日本語学校に通った。土曜日はShu Shin(修身)の授業。親らはアメリカの学校よりも日本語学校での成績が良いと喜んだらしい。平日はアメリカの価値観を、夕方と土曜は日本の価値観を学ぶので、こんがらがったであろう。まして、ある日を境に突然敵国になってしまい、差別もされた。アルフリーダさんはそういう時代に育った。それでも日本人に親切に接してくれる。日本人の中に自分の両親・祖父母の面影を見るからだろうか。コナの日本人で彼女を知らない人はいない。誰もがお世話になった。我々日本人の心は昭和を経て平成に変わっていったが、明治に移民した祖父母に日本の心を教わった彼女は、まるで明治のままのようなところがある。

昔はこういう日本びいきの方々が多くいた。日本人が観光地としてハワイを好きになったのは、ひとつには彼ら日系二世・三世のお陰だ。彼女より10年若い世代は少し違う。戦前の修身教育を受けていない。まして、四世になると日本語を話さない。

日本びいきの米国人がまた一人逝ってしまった。

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2017/08/01   yamagishicoffee