コーヒーの実が赤くなり始めた
昨年の11月下旬に最初のコーヒーの木の開花があった。8か月後の7月下旬から収穫シーズンが始まる勘定。
ところが、既にコーヒーの実が赤くなり出した。これらは摘んで破棄する。早く熟しすぎ。もっと、ゆっくり時間をかけて赤くなってほしいから。
昨年の11月下旬に最初のコーヒーの木の開花があった。8か月後の7月下旬から収穫シーズンが始まる勘定。
ところが、既にコーヒーの実が赤くなり出した。これらは摘んで破棄する。早く熟しすぎ。もっと、ゆっくり時間をかけて赤くなってほしいから。
マカデミアナッツの殻を買った。コーヒー畑に撒く。一年間に収穫する実の有機物に相当するマカデミアナッツの量はトラック一杯分。それを畑に投入すれば、有機物の量はバランスする。少し多めにトラック2台分を買った。
発酵して水蒸気が立ち上る。触ると熱い。
外部から堆肥を持ち込む問題点は雑草の種や蟻やナメクジなどの望ましくない生物が紛れ込んでいること。去年もマカデミアナッツを買った際には蟻と野生のニガウリ(実が小さく食べられない)の種が入っていた。蟻とそれに共生するカイガラムシの被害が出たり、つる性のニガウリがコーヒーの木に絡みついたりと問題も出た。
今年は悩んだ。しかし、土に栄養を与えなければならない。投入することにした。しばらく放置して発酵を進める。発酵の熱で中の害虫や種を蒸し焼きにしてしまえば被害は少なくて済むと思う。やりすぎて発火したという話も聞いたことがある。
TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」は今週月曜日に5000回記念でハワイから放送して、私どもの農園のコーヒーを紹介していただきました。今朝は生島さんが帰国して最初の放送で、いきなりオープニングでまたもやご紹介をいただきました。
名刺に妻と並んで9年前に撮った写真を付けています。この写真を見て生島さんが、「この隣の女性はお■さんですかね」と言いました。音声が不明瞭でよく聞き取れませんでしたが、私には「おばさん」と聞こえました。妻はそれを強く否定。あなたより年上に見えるわけないでしょ、「お子さん」に聞こえたと主張しています。
ともあれ、生島ヒロシさんに気に入っていただいて光栄です。
「生島ヒロシのおはよう一直線」は毎週月~金曜日の朝5時半から6時半まで放送されているラジオ番組です。ちょうどハワイの昼時で、日本語放送Kzooラジオでも放送します。コーヒー摘みは単調で退屈な作業ですが、この放送を聴きながら楽しく摘んでいます。
6月4日に放送5000回を記念し、生島さんがハワイのアラモアナショッピングセンター内Kzooラジオスタジオから生放送しました。離島なので駆けつけることはできませんでしたが、Kzooを通じて、生島さんに私共の畑のコーヒーを差し入れ試飲いただいたところ、放送中に紹介していただきました。スポンサーでもないのに感動です。
生島ヒロシさんにはずっと放送を続けていただきたいものです。この放送なしではコーヒーは摘めません。
https://www.tbsradio.jp/ohayou/
うちの敷地にはハワイ人の遺跡と認定された約600坪の土地がある。法律で保護され、所有者の私でさえ使えない。石を積んだ塀で囲み、手付かずで放置してある。
そこにSilver Oakの木が勝手に10本ほど生えていた。オーストラリア原産の常緑樹で30m位になる。20世紀初頭に森林再生のためハワイに持ち込まれた。ところが、アレルギーの原因とされ、現在では人々にひどく嫌われている。先日、近所の住人から苦情が来た。外来侵略種で繁殖力が強い。周りに迷惑だそうだ。そもそも、ハワイ人の遺跡に外来侵略種はそぐわないという。そういえば、近所のゴルフコース内の要所要所に立ちはだかり、私も随分ひどい目にあってきた。Silver Oakには積年の恨みがある。加えて、今回の苦情。近所付き合いの障害になっては困る。10本すべて伐採した。
ハワイは太平洋で隔絶されているので固有種が豊富。人間が持ち込んだ外来種が固有種を圧迫すると主張する外来侵略種の研究者にとりハワイは研究の聖地だ。行政も呼応して外来種の持ち込みは厳しく制限されている。
そこで、うちの敷地を見直した。まずはコーヒーの木が3300本。エチオピア原産の外来種。地面の芝もクローバーも外来種。土壌改良のための乳酸菌や酵母菌も外来種。畑の隅に養蜂箱。受粉を助ける優れもの。美味しい蜂蜜まで取れる。この西洋蜜蜂も外来種。
蜜蜂は畑の横の美しい花から蜜を集める。プルーメリアはレイに使われるハワイを代表する花。しかし、これは中南米原産の外来種。ブーゲンビリアも中南米原産。何といってもハワイと言えばハイビスカス。州花に指定されている。しかし、観光客がよく目にするハイビスカスは外来種に自生種を掛け合わせたもの。
畑には様々な日陰樹がある。ジャカランダ、ライチー、マンゴー、菩提樹、オレンジ、ミカン、レモン、オリーブ、モンキーポッド等は外来種。オアフ島の公園のモンキーポッドは「この木なんの木」日立の樹で有名。街路樹などに使われホノルルを代表する景観となっているが、外来侵略種に指定されホノルル市は新たな植樹を禁止した。
畑の端の境界にはククイ並木。ククイはハワイ州の木に指定。先住ハワイ人はこの実を調味料、薬、ロウソクなどに使った。ハワイの歴史に欠かせない木。しかし、これもハワイアンが持ち込んだ外来種。
コーヒー農家にとって、外来種が害をなす例は害虫Coffee Berry Borer(CBB)。アフリカ原産の昆虫。世界の産地では殺虫剤で対処するが、農薬規制の厳しいハワイでは使えず被害は拡大するばかり。ところが、コーヒーの原産地のエチオピアではCBBはあまり問題にならないらしい。CBBを捕食する天敵がいて、コーヒーの木とCBBと天敵はバランスを取りながら進化した。天敵のいないアフリカ以外の産地ではCBBが猛威を振るう。かといって、天敵の持ち込みは豊富な固有種への影響が不明のためハワイでは厳しく禁じられている。被害がここまで進んだら、天敵を持ち込んだ方が多様性とか生態系が保たれる気がするが、そんなことを主張すれば、環境保護団体から、そもそもハワイでコーヒーを育てるのが悪いと一蹴されるだろう。
気が付けばコーヒー畑は外来種だらけ。しかもCBBという例外を除き、私の気に入った物ばかり。すっかりハワイの文化やハワイらしい風景の一部に溶け込んでいる。それらなしではハワイっぽくない。隣人はSilver Oakを外来侵略種と罵るが、なんだかSilver Oakが気の毒に感じて来た。Silver Oakだって家具やギターの材料として人間の役に立つ。まあ、そもそも、私自身が日本国籍の外来種。ハワイ固有種への愛情が足りないのかも。
先日、桑名のCafé Kukkaの御主人の伊藤さんが農園に視察に来られました。長いこと菓子を作ってこられた方で、食品・味覚のプロです。
うちの農園でナチュラル製法を試したところ、昨年はチェリーがカビて困ったという話をした所、カビ対策の方法を色々と教えていただきました。アルコール、塩、熱、乳酸菌など、色々な方法でカビに対処できるそうです。さすがはプロ。とてもありがたいアドバイスでした。来シーズンは色々と試してみたいと思います。
Café Kukkaでは、今月、私どものコーヒーを扱っています。自家焙煎のお店でミディアムとシティーの2通りの焙煎が楽しめるそうです。
お近くの方はお試しいただけると幸いです。
Café Kukka(カフェ クッカ)三重県 三重郡朝日町 白梅の丘東 1-1-1
4月上旬に日本への年に一度の出荷(空輸)を行った。例年、1~2月に収穫が終了し、乾燥したコーヒー(パーチメント)をしばらく寝かせて、3月に精製所でパーチメントの皮を割ってシルバースキンを取り除き生豆にする。サイズ別に選別し、比重選別機で比重の軽い豆や欠陥豆を取り除き、100ポンド(45キロ)の麻袋に入れる。
次に、麻袋を緑色のビニール袋を2重にして入れる。さらにそれを段ボール箱に詰め、それを木の台(パレット)に積み上げて飛行機で日本まで空輸する。
コナ空港で飛行機に載せる前に、USDA(米国農務省)と州政府の検査を受ける。それぞれの検査官が来て、豆の衛生状態や原産地やらの検査をして出荷の認可をもらう。
ビニール袋は州の法律。コーヒーはホノルル空港で別の飛行機に積み替えられる。ハワイ島にCBB(スペイン語でブロカ)という害虫が発生している。それが、ホノルル空港で積み替え中に麻袋から逃げ出し、オアフ島のコーヒー農園に拡散するのを防ぐための処置。最初はビニール袋一つだったが、昨年から2重にすることが義務化された。ところが、オアフ島には既に2年前からCBBの被害が広がっている。ビニール袋に入れる意味はないが、一度法律が作られると、なかなか廃止されないらしい。ビニール袋自体は生豆の保存に良いので、こちらとしては文句はないが、さすがに2重は余計だ。
出荷作業は力仕事できつい。荷物をトラックに載せ、降ろし、ビニール袋と箱に詰め、航空会社のオフィスの前まで持っていき、農務省と州の検査を受け、パレットに載せるなど、数時間にわたる大変な力作業。昨年はえらい目にあったので、今年は若者を雇い手伝ってもらい大助かりだった。
昨年は妻と二人でやった。空港の作業場は日差しが強く暑い。標高600mの畑とは5度くらい違う。炎天下のなか、ゼイゼイ息をあげながら、汗だくで作業。ところが、航空会社の係員は、見ているだけで全然手伝ってくれない。まあ、引き渡すまでは我々の責任だから仕方がない。私一人では重くて運べないので、妻も一緒になって何十箱も運ぶ。さすがに妻も私も腕と足腰がガタガタ震えて始めた。
それに加えて、箱の積み方が悪いと、係員たちは色々と文句をつけてくる。こっちだって、もう疲労困憊。色々言われてもやり直す力は残っていない。積み方が悪くて問題ならば、少しは手伝ってくれても良さそうなもの。すがるような眼で彼らを見上げても、職場の仲間と楽しそうに世間話をしているだけ。
すると、隣にピックアップトラックが止まった。運転席から金髪ミニスカートの若い美女が降りて来た。荷台には見たところ5キロ程度の箱が10個くらい置いてある。
汗だくの我々は「あんな軽い箱だったら楽でいいなあ、でも、あのミニスカートでどうやって荷台に登るんだろう?」と眺めていたが、彼女は「リンダ困っちゃう」みたいな感じでたたずむばかり。すると、航空会社のオフィスから若い男たちが4人も飛び出してきた。他にもこんなにスタッフがいたとは知らなかった。彼らは嬉しそうに”Let me help you”と、あっという間に全部運び去ってしまった。金髪美女は”Oh, Thank you!”と舌っ足らずな鼻声で甘えながら若者に囲まれて涼しい顔。若者たちも金髪に力こぶを誇示しながら嬉しそう。
それを見ていたうちの妻、金髪が去った後、普段よりも一オクターブも高く声をひっくり返して、若者たちの前で”Mmmm—Heavyyyy”と言ってみた。しかし、ついぞ、手伝ってくれることはなかった。この国では絶対に金髪は得だ。
日本の銀行に勤めていた若い頃、上司がカラオケ好きで、金曜日ともなると朝の5時までお供した。私は歌が下手なので正直つらかった。当時はカラオケボックスなどない。他のグループの人の同席。他人の下手な歌を我慢して聴く上、褒めちぎって盛り上げねばならぬ。迷惑な話だ。
我慢して聞いている分には恥をかかずに済むので、隅で目立たぬようにしていると、「君も歌いなさい」と順番が回ってくる。万事休す。だが、こっちもサラリーマンの端くれ、固辞して座を白けさせる訳にはいかない。勇気を出して歌うことになる。恥ずかしさに酒が進む。さらに、2回3回と順番が回ってくる。「も~勘弁してください」と断りつつも、酒の勢いを借りてマイクを握ると、不思議なもので、だんだん気持ちがよくなる。仕舞には、ネクタイを頭に巻いて大騒ぎ。朝まで調子外れに歌いまくり、他人様に大迷惑を掛ける側に回る羽目になる。あれはよくない。
「流れくる 若き唄声 コナ休暇」コナの図書館でこの句を見つけた。かつて(1932~1969年)コナの小中高校では、コーヒーの収穫に合わせて、9~11月を夏休みとしていた。ハワイでもコナ地区だけ。これをコナ休暇と呼び、子供は5歳になると、大人に混じってコーヒー畑で働いた。この句は、家族総出の厳しい農作業を少しでも楽しくするために歌を歌った光景を詠んでいる。聞こえてくるのは、2世・3世の子供たちが歌う日本の童謡だろう。
確かに、現在80歳以上の日系3世は、日本の古い歌や民謡、童謡、演歌をよく知っている。両親・祖父母から畑で習ったそうだ。日系人のパーティーでは、興がのると、ウクレレが登場し、畑で覚えた日本の歌を老人たちが懐かしそうに歌う。中にはパパイアやココナッツの登場するハワイ風にアレンジした、へんてこな替え歌もある。若い世代は「何これ?」と首を傾げるが、歌っている当人たちは大笑いで、昔話で盛り上がる。さらには90歳の長老から「もっと、テンポ速く歌わんとコーヒー速くもげんぞ」と日本語で野次が飛んだりする(日系人はコーヒーを「摘む」ではなく、「もぐ」と言う)。
今や農業は機械化が進んだ。米国本土の農業は大規模化し、効率的に工業的な生産がなされる。日本の稲作も、田植えや稲刈りの風景は昔とは様変わり。機械化で農作業は格段に楽になった。ハワイ州のコーヒーにしても、マウイ島、オアフ島、カウアイ島のコーヒー農園は機械で収穫を行う。
しかし、コナのコーヒー収穫方法は100年前と変わらない。運搬がロバからトラックに変わったくらいで、収穫は相変わらず人の手でひとつひとつ摘み取る。山の斜面には収獲用の重機は入らない。そもそも、良質のコーヒーを生産するには手摘みでないと無理。
一説によると世界では3,000万人もの人がコーヒーを摘んでいるらしい。こんなにも多くの人数が生産に携わっている商品が他にあるだろうか。恐ろしく前近代的で労働集約的だが、良質なものを作るにはそうせざるを得ない。そういう作物なのだ。
現代のコナの日系人は4世・5世が中心。日系人は社会進出を果たし、生活をコーヒーに頼らずとも良くなった。先祖の苦労話を聞いて育った彼らには、もはやコーヒーは貧困の象徴。また、児童福祉の観点から9~11月のコナ休暇は半世紀も前に廃止された。日系人の家族総出の作業は消え、日本語の唄声もコーヒー農園からは消えていった。
日系人に代わって、現代の収穫はフィリピンやメキシコや中南米出身の労働者が行う。普段、米国本土で働いている彼らは、冬の収穫時期になるとコナに出稼ぎに来る。
彼らの中には、哲学者風に真面目な顔で摘んでいる人もいれば、陽気に仲間を笑わせながら摘んでいる人もいる。フィリピン人の摘む畑では、コーヒーの樹の向こうからタガログ語のラジオ放送で「いとしのエリー」が聞こえてくる。どうやら、「Honey, my love, so sweet♪」と、歌詞がエリーからハニーに変えられている。
メキシコ人の畑からは、スペイン語の歌声。畑のこっちから若者が1小節歌うと、向こうからそれを受けて、誰かが、また1小節続ける。そして、ゲラゲラ笑い、陽気に収穫作業が進行する。私にはチンプンカンプンだが、スペイン語の分かる妻によると、あの娘が可愛いとか、いやいや、あっちの娘の方が可愛い、など知り合いの女性たちの噂話を替え歌にしているらしい。
しばらくすると、宗教の時間が始まる。神父の説教がラジオから響く。皆、しわぶきひとつせずに黙々と聞き入りながら摘み続ける。神父の声と鳥の鳴き声以外は静寂が畑を包む。一時間もすると、また賑やかな音楽。「あの子は僕の心を奪っていったー♪」さすがラテン系だ。
数年前の大晦日のNHK紅白での美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は圧巻だったが、労働者の歌は日本に残っているのだろうか。日本人は何百年もの間、田植えや稲刈りの合間に歌ってきた。炭鉱や金山にも歌があった。民謡の起源だろう。
室町時代の屏風絵には田植えの横で田楽を踊っているものがある。(「月次風俗図屏風」 東京国立博物館)。コーヒー摘みだって、昔の田植えだって、歌でもなけりゃ、辛くてやってらんねぇーだろう。そもそも、田楽とは田植えに合わせて歌い踊るものが起源らしい。豆腐やこんにゃくの味噌焼きのことかと思っていた。
現代の水田では、田植え機やコンバインで、一人でドドドドドーとエンジン音を聞いているうちに作業は終了。皆で歌う暇などない。自動車工場のラインで歌に合わせて「エーンヤコーラ」と自動車を組み立てているとは思えない。丸の内のオフィスで業務中に「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」と植木等のように歌ったら、たとえ上司がその通りと納得していても、一応、叱られるだろう。
効率化が進むにつれ、労働の場から歌は消えていった。歌を失った我々は、代わりに仕事帰りにカラオケに通うこととなった。カラオケこそ田植え歌の嫡流、保守本流だ。だから、サラリーマンは手ぬぐいの代わりにネクタイを頭に巻いて歌うのだ。
今年3度目の大きな開花。畑はミツバチのブーンという羽音が響く。
今年の主な開花は2月第3週と3月第3週と今週。収穫はそれぞれ8か月後。
10月第3週、11月第3週と12月第2週が収獲のピークになりそう。