少し前の事ですが、雑誌「珈琲と文化 2019年春号」に拙稿が掲載されたので転載します。
海側に新たに植えたコーヒー畑は7年目に入った。これまでは、強風が吹くたびに根こそぎ倒れた。2年目には嵐で1割以上が倒れた。3年目以降も強風のたびに倒れた。その都度、支柱をあてがい立て直した。年々倒れる本数は減り、遂に昨年は一本も倒れなかった。やっと木が一人前になった。
また、若い木は突然死する。まだ根が未発達のくせに、実をたくさん付けようとする。向こう見ずなのは若者の特権だが、若気の至りなどと笑ってはいられない。たわわに実を付けたまま突然枯れる。Overbear die backといい、3~4歳の木によくある問題。1割近くはこれで枯れた。
木が死ねば、新しい苗木を買ってきて植える。接ぎ木をした苗木を買うのも一つの手だ。一般の産地ではロバスタ種を台木に使うが、コナには強力な線虫がいいて、ロバスタ種でさえ対抗できない。よって、根がより強力なリベリカ種を使う。上がアラビカ種で根元から下がリベリカ種。リベリカ種は飲用には不向きだが、背の高い大木になる種類で根がとても大きい。リベリカの強い根を持ち、香味はアラビカ種にするいいとこ取りが狙いだ。
ところで、コナではコーヒーの木を抜いて別の場所へ植え替えるのは厳禁。線虫は土壌に住む顕微鏡でないと見えない小さな生物。コーヒーの根に付くと栄養を吸えずに木が枯れる。土の中の線虫は早くは移動できない。一本の木が被害にあっても2m離れた隣の木まで地中を移動するのに10年はかかるので、畑全体が被害にあうのは稀だ。ところが、地面に落ちた実が春に発芽して、若い木が勝手に生えると、枯れた木の場所へ植え替えたい誘惑にかられる。これは厳禁。畑全体に線虫が拡散するかもしれない。コナにはそうして接ぎ木をしない限り2度とコーヒーが育たなくなった畑が多い。だから、苗木は信頼のおける業者から買ってくる。中には土を熱い鉄板の上で焼いてから使用する業者もある。
うちの畑には線虫の問題はないので、接ぎ木を用いなかった。上から下まで純血のアラビカ種のコナ・ティピカだ。しかし、若木が死んだ場所は地中に大きな溶岩があるかもしれない。根の強いリベリカ種の接ぎ木を試してみた。
接ぎ木にすると木の成長が早くて生産量が上がる。農園主としては嬉しい。初期コストは高くとも接ぎ木を用いる農園は多い。ところが、ピッカーには評判が悪い。根が強いので、成長が良すぎる。背が高くなって収穫が困難。おまけに手の届くところまで幹をたわませようにも、幹が太くてたわませにくい。無理に曲げると折れる。実にピッカー泣かせだ。私は農園主だが、ピッカーでもある。やっぱり、接ぎ木は止めにした。
植え替え厳禁だが、一本だけ植え替えたことがある。堆肥を大型トラック何杯分か買った際のこと。畑の通路の角のコーヒーの木が邪魔でトラックが曲がれない。運転手の技を見物していたら、体の大きなハワイアンの運転手が降りてきて、この木を抜きたいという。なるほど、その手で来たか。木の根元から1m位の所をギューギューと横へ蹴りだした。見る見るうちにコーヒーの木は倒れた。羨ましいコアマッスルだ。一度起こして、反対側へ蹴り倒し、あっさりと木は抜けた。トラックは無事通過。
アラビカコーヒーは多湿な森の中の下木として進化した。大木に守られたので、根が張らない。ポヨポヨした細根が半径1メートル強ほど横に伸びる程度。幹の真下は地下1メートル位で、地下で円錐形を逆さにしたような形で形成される。そのくせ、剪定しないと地上10メートルにもひょろひょろ伸びる。強風に弱く、台風の通り道では育たない。
運転手が抜いた木は畑の隅っこなら実害なかろうと植え替えてみた。そのままだと重心が高く不安定なので、膝の高さで幹を切り(カットバック)、切り株にして植えた。やがて若い幹が伸びて来た。葉が黄色いので一年後に再度カットバック。3年後に実を付けるようになった。でも、3年もかかるのなら、苗木を植えた方が早い。やはり、コーヒーの木の植え替えはしない方が良い。
さて、コーヒーよりももっと大きな樹木を植え替えをする際に、日本では「根回し」をする。植木屋さんの友人に伺ったところ、大きい木だと、根回しは植え替えの2~3年も前から始まる。根回しとは、木の根元の周りを掘り、横へ伸びる太い根を切って、再び土をかけること。すると根元の近くに細根がたくさん生えてくる。細根が充分生えた頃を見計らって植え替える。これで植え替え後も、根は養分・水分を吸うことができる。時間をかけて準備するからスムーズに定着する。これこそ日本のお家芸。さすが植木屋さん。
農業用語が一般社会に転用された言葉は多い。金融業界にいた頃にStock(株)やYield(利回り)などの用語を使っていたが、農夫になり、改めて農業由来と気が付いた。Stockは日本語と同じで株が転じて株式。Yieldは作物の収穫が転じて利回り。農業は種を撒いて、果実や種を何倍にも増やす活動だから、そもそも投資の原型である。それに、昔はどの国も人口の8割以上は農民。農業用語が言語の中心だったのだろう。
「根回し」も一般に転用される。組織の意思決定プロセスには必須。きちんと根回しが出来てこそ、一人前のサラリーマンだ。日本の会社はアイデアを出し実行する人が、決定する人とは違う。だから、根回しがあって、稟議制度がある。若い人が発議して、稟議がグルグルと社内のおじさん、おばさん達(権限者)を回って承認を取る。おじさん、おばさん達は気軽に「いいね!」してくれる程、ノリが良くないので、事前に十分な根回しをしないとご機嫌を損ねる。
ところが、アメリカでは少し違う。もちろん、最低限の根回しは必要だが、組織の在り方が違う。アイデアとその実行力と実績のある人が、年齢に関係なくボスになり権限をもつから、自分で考えて実行して完結する。意思決定が速いし、責任の所在も明確だ。大統領だって、ドンドンTwitterで頭ごなしのメッセージを発信する。
日本の銀行からNYのメリルリンチ本店へ転職して数カ月たった頃、ケイマン諸島に子会社を作る必要ができた。ボスとそのまたボスと相談して了解を得たら、社内弁護士と関係部署数人で15分間の電話会議をして終わり。2週間後には子会社が出来上がり、私は子会社の役員に就任した。たったの2週間。これにはたまげた。
もしこれが、日本の銀行ならばどうだろう。考えただけでも気が遠くなる。担当者と課長は部内の総務の課長と担当者と企画書を練り上げて、部長と副部長を説得。その後、企画書を持って、銀行内の総務部、企画部、システム部、事務部、人事部、検査部などを行脚し、各部の担当者に根回しをする。もちろん、当局への報告・許認可手続きの為の根回しも欠かせない。すべての合意が取れて、やっと稟議を発議。稟議書が各部を周った後、役員、頭取の了解を得ることになる。ところが、稟議の決裁後、いよいよ子会社設立のために弁護士事務所を雇う段になって、稟議を法務部に回し忘れていたのに気が付いて、厳重注意を受け、稟議もまともに書けない奴との烙印が押され、サラリーマン人生の汚点なんてことになる。
これほど意思決定に時間と労力がかかっては競争にならない。そのうえ、こんなに大変だから、サラリーマンは根回しのコツを覚えることに人生をかける。根回しの上手い下手がその人の会社での存在価値みたいになる。これでは社員の能力の無駄遣いだ。根回しはサラリーマンの勲章、日本のお家芸だが、実は日本経済の足を引っ張る風習かもしれない。
さて、先日、大きなハラの木と15m以上あるヤシの大木を植え替える必要がでた。業者に依頼したところ、陽気でフレンドリーなハワイアンのオッサン数人がブルドーザーとシャベルカーでやって来た。いきなり木の周りを掘って、引っこ抜いて、新たな場所に穴を掘って、木を差し込んで、土をかぶせて肥料と水をやって、一日で終わり。さすがアメリカ、南国ハワイ。こいつら根回ししねーんだ!
日本のお家芸は世界で通用するのか?