珈琲と文化の原稿 2016年春号
「珈琲と文化」2016年春号に掲載されたエッセイーを転載します。
ハワイ島には雪が降る。スバル天文台のあるマウナケア山(標高4,207m)の頂上は、冬には雪で白くなる。雪が積もると、山頂の薄い酸素の中で午前中にスノーボードで滑り、車で2時間かけて海まで行き、午後に常夏の海でサーフィンをする強者が現れる。
コナから北へ60kmのワイメアの町は標高が高く、ごく稀に雪が舞う。柳家喬太郎師匠の新作落語に「ハワイの雪」という粋な落語がある。もしかしてワイメアが舞台かも 。
コナにも少し変わった雪がある。コナコーヒーの収穫は秋に始まる。年を越す頃には収穫も終盤。8割方の実は既に摘み取られている。コーヒーの木は残った実に栄養を与えようと、栄養分を枝や葉から実に移動する。葉は黄色くなる。この時期コナは乾季で、幹や枝や葉は乾燥し、コーヒーの木は最後の力を振り絞っているように見える。うちの妻などは「頑張れ、もう少しだからね」などと、木に話しかけながら実を摘んでいく。1月、収穫が終わる頃になると乾燥は進む。コーヒーの木は成長を止め、冬眠したようになる。
やがて、春が来る。雨が戻ってくる。雨が降る度に、コーヒーの木は水分を蓄える。同時に日照時間が長くなり、気温が上がると、木は成長を再開する。緑の新芽が芽吹き、木は元気を取り戻す。そして、雨の数日後にいっせいに白い花を咲かせる。花の命は短く、2~3日ほどで萎れてしまうが、次の雨が来るとまた咲く。これが5月頃まで何度も繰り返えされる。何度か開花するなかで、特に満開に咲くと、コーヒーの木も畑全体も白く見える。まるで雪のように見えることから、これをコナスノー(コナの雪)と呼ぶ。
昔の日系移民はコーヒーの花が咲くと、畑に出て弁当を使い、酒を飲み、歌い、花見をしたそうだ。ハワイには台湾から来た寒緋桜はあるが、ソメイヨシノはない。コナスノーはその代わりだそうだ。
余談だが、東京市がアメリカに桜を寄贈したのが1912年。ワシントンDCのポトマック川の桜が有名だ。それから100周年を記念して、全米で桜を植える動きが盛んになった。ハワイにも日本の桜を植えようと、ハワイの気候に合う品種として、大島桜が2012年にハワイ島で一番涼しいワイメアに植えられた。しかし、今年は2月上旬に台湾の桜は咲いたものの、大島桜は咲かなかった。暖冬で寒さが足りなかったそうだ。そういえば、昨年の夏は猛暑と豪雨が続き、年末年始は暖冬で、12月以降雨がまったく降らず、2月に入って急に冷え込んだ。なんだか気候が変だ。
コナスノーになると畑いっぱいにジャスミンの様な甘く芳しい香りがする。とても良い香りだ。この香りとともにコナスノーを彩るのがハチの羽音。たくさんのミツバチが現れて蜜を取る。ブーンという羽音は一つ一つは小さくとも、それが何万と重なり、コーヒーの葉に反響する。まるでコーヒー畑全体が鳴り響いている感じがする。家の中にまで聞こえ、朝、その音で目が覚めるほどだ。こういう日は、花を傷めないように、また、ミツバチの邪魔をしないように、農作業は控える。花見をする絶好の言い訳だ。
コナコーヒー(アラビカ種)は、同じ花の中で自家受粉するので、必ずしもミツバチは必要ない。しかし、コナではミツバチが多いほど、コーヒーの実が大きくなるし、収穫量も増えるといわれる。ミツバチは大歓迎だ。
多くの作物はミツバチが作柄を左右する。たとえばアーモンド。カリフォルニアが世界の大半を生産している。2月の開花時期に、ハワイを除く全米49州から養蜂業者のトラックが大移動し、受粉を請け負う。ミツバチは気温が13℃以上、風が時速25km以下で、雨が降っていないという条件が揃うと、蜜を取りに来る。この条件が揃っている時間をBee Hours(蜂時間)という。開花の週、特にピークの3日間にどれだけ蜂時間があったかが勝負で、それによりアーモンド市況が変動する。
海を隔てたハワイは、養蜂業者がアーモンド受粉には参加しない唯一の州だが、コナは世界有数の女王蜂の産地で、各地に女王蜂を輸出している。ハワイ島コナといえば、コーヒーやマカデミアナッツが有名だが、ハチも盛ん。コナは温暖で、様々な果物がある。1年中、花が咲き乱れる。マウナロア山とフアラライ山が貿易風を遮るので風が穏やか。ミツバチには住みよい環境だ。
ところが、ここ数年はコーヒー畑に来るミツバチの数が少ないように思われる。世界的なミツバチ減少(蜂群崩壊症候群)の波がハワイ島にも押し寄せている。数年前までは、ハワイは被害のない、世界でも数少ない地域の一つだったが、遂に、減少要因の一つとされるダニやウィルスのハワイ島への上陸が5年前に確認された。
世界の食料品の3割はミツバチにより受粉されるといわれ、ミツバチの減少は人類文明を覆しかねない由々しき問題。今やミツバチは大切な資源。心あるコーヒー農家は、花が咲く直前には、棒を持って畑を歩き回り、くもの巣を取り除く。
隣町のワイコロアのカボチャ畑では、ミツバチが来なくて、実が生らないことがあるそうだ。ウリ科は雄花と雌花があり、受粉には昆虫が必要。そこで、カボチャを育てるために、畑の一角に養蜂箱を置き、まずミツバチを育てることから始めたそうだ。
今年はうちの畑にも養蜂箱を2つ置いた。自宅の庭でミツバチを育てている友人が、うちの農園にも養蜂箱を置いて育てている。畑の近くは森で花が豊富。しかも、うちは標高600メートルで友人の家よりも5度くらい気温が低い。それがミツバチに良いらしい。コーヒーが育つ場所は涼しくて人間が住むにも快適だが、ミツバチにも快適らしい。今年はコーヒーの花の蜜の入った蜂蜜が食べられそうだ。
さて、コーヒーは開花後1ヶ月程で、花が散った跡に小さな緑色の実がなり始め、3ヶ月で小指の先ぐらいに成長する。その後サイズは変わらないが、中に徐々に栄養を蓄えて、8ヵ月後には赤く熟す。花は1月から5月にかけて咲くので、収穫は9月から1月。
このスケジュールは場所によって異なる。コナコーヒーの産地は標高200mから800m。標高の低い地域は収穫が早く終わるが、高い地域は遅くまで続く。
年によっても成熟の時期は異なる。2015年は夏の猛暑でコーヒーの成熟が早まり8月から収穫が始まり、1月までの6ヶ月間に9周した。2014年は10月に収穫が集中した。2013年は11月に一斉に赤く熟し、11月一発勝負の畑もあったらしい。時期が集中しすぎて、労働者が足りず、樹上で実を腐らせた農園が続出した。2012年は逆に、11月の収穫が少なく、10月と12月に収穫が集中した。11月分は8ヶ月前の花が咲いた日に豪雨が降り、ながめ(長雨)をいたずらに、ながめ(眺)ているうちに、花が落ちてしまった。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが実地に降る ながめせしまに」[1]
さて、今年は前述のとおり気候が変。11月の長雨の後に11月末に花が咲き、それ以降は雨がぴたりと止んだので、花も咲かなかった。コーヒーの木はつぼみを充実させて雨を待った。2月上旬に久々の雨が降ると2月中旬に一斉に花が咲いた。今年の収穫は7月下旬に少し、8月と9月はお休みで10月に忙しくなりそうだ。
[1] 百人一首の小野小町の歌は「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」