農園便り

2025年1月16日

雑誌「珈琲と文化」2025年1月号 原稿

秋にポルトガルとスペイン南部のアンダルシア地方をレンタカーで旅した。アルハンブラ宮殿のあるグラナダからピカソが生まれた町マラガへ向かう途中に、欧州大陸唯一と称するコーヒー畑を訪ねた。果樹園の一部にコーヒーを植えて奮闘中。気候的には難しかろうが、頑張ってもらいたいものだ。
ポルトガルやスペインでは、コーヒーに砂糖・ミルクを入れるのでロブスタ種が多い。さほど味にはこだわらない印象。それでもさすが欧州。大きな町にはスペシャルティーコーヒーの店があり、美味しいコーヒーを置いていた。同じスペイン語圏だから、中南米産地とのコネも強かろう。
ところで、セビリア滞在中の三日間は珍しく雨の日が続いた。すると隣のバレンシア地方では洪水で二百人以上の死者が出る大惨事が起きた。その翌週はアンダルシア地方で豪雨。数日前に泊まったマラガのホテル周辺は浸水した。幸いマドリッドへ移動した後で助かった。こんな豪雨はスペインでも異常らしい。どうも気象が変だ。
九月に名門の東京ゴルフ倶楽部でプレーした。せっかくの機会なのに、プレーしたのは四ホールのみ。九月中旬とは思えぬ猛暑のためゴルフ場がクローズしてしまった。残念。ハワイのゴルフにはない暑さで面喰った。
ハワイと並んで、アリゾナ州のフェニックス・スコッツデールはゴルフ天国。温暖な気候ゆえ、リタイア後の移住先あるいは冬の別荘地として有名。なにせ、約二百のゴルフ場があり、多くのゴルフコミュニティー内のコースは住民専用だ。私のお隣さんも別荘を所有し親が住んでいるが、近々売却するそうだ。彼が買った頃は快適だったが、今は危険なほど夏が暑い。なにせフェニックスでは、この夏に約五百人が暑さで死亡した。
フェニックスのあるロッキー山脈以西からカリフォルニアにかけての砂漠地帯は、開拓時代は人が住むような場所ではなかったが、コロラド川の水を引いて人が住むようになった。世界史の教科書にあるフーバーダム建設はその例だ。ところが、農業用灌漑と人口増加による水不足でコロラド川流域の八州とメキシコによる水の争奪戦が深刻化。温暖化と相まって、人が住めない場所に逆戻りしかねない。
温暖化の影響は広範囲にわたる。九月には二つの大型ハリケーンが続けざまにフロリダ州に上陸し、南部各州で二百人以上の死者を出した。あるいは、カナダからカリフォルニアにかけての山火事は毎年恒例だ。森が焼け住宅地に迫る。カリフォルニア州では住宅の四軒に一軒が「火災高リスク区域」に指定されている。
海水温が低いハワイでは、温暖化の影響をさほど感じない。だが、二年前に山火事で隣のマウイ島の古都ラハイナが焼失した。私はその日、コーヒーのパーチメントを乾燥中だった。通常は二週間程度かかるが、日射と乾燥と強風で三日で乾燥してしまった。新記録だが、コーヒーが傷む。しかも、急速に乾燥する可哀そうなパーチメントを観察していたら、パチと堅皮が割れる音がした。コーヒー焙煎で豆がパチパチ爆ぜるのを一ハゼ、二ハゼと呼ぶが、実は、一ハゼはパーチメントの乾燥段階で来ることもあるとは知らなかった。
ラハイナの火事が温暖化の影響なのかは、素人の私には判断付かない。それよりもハワイに住む私が、温暖化の影響を感じるのは火災保険やハリケーン保険の保険料の高騰だ(金融商品を通してしか物事が見えない己が悲しい)。我家はコーヒー産地で雨が多く、山火事のリスクは低いので、保険料の上昇は二年間で二割に抑えられているが、ビーチ沿いの高級コンドミニアムの保険料は三倍以上に上昇した。ビーチ沿いは雨が少なく、火災のリスクがあるし、ハリケーン、津波、洪水などのリスクもある。
深刻なのはカリフォルニア州やフロリダ州だ。大手保険会社の数社が、両州での保険事業から撤退した。山火事やハリケーンなどの異常気象のリスクが高すぎて、割に合わないと判断した。家の壁や屋根などを燃えにくい素材にしないと保険を売らない保険会社もある。両州に限らず、保険料は全米的に上昇している。この危機に対して、三十一の州で州政府が保険会社に保険の提供を強要したり、州政府が自ら保険を提供する政策を採用している。低所得者用の制度だったが、一般住民にも適応の範囲を広げている。
困った人を助けるのが政府の仕事とはいえ、これはモラルハザードを招きかねない政策だ。つまり、保険会社が撤退したり、保険料を引き上げるのは、リスクが高まったと保険のプロや再保険市場が判断するからだ。住民はそのリスクとコストを理解したうえで、その地に住むか否かを判断すべきだ。ところが、保険の素人の州政府が税金を使って、安易に保険を提供しては、住民は災害のリスクを過小評価してしまう。
実際にカリフォルニア州では山火事で家を失った家族が、新たに復興された住宅で再び山火事で家を失ったケースがある。二度も焼け出された家族は悲劇だし、保険会社も損続きだし、政府の復興支援は無駄遣いに終わった。近代以降、居住困難な地に文明の力で町を作ったが、温暖化で人が住むべきではない場所に逆戻りするケースが出るのではなかろうか。今年、米国で「On the Move」という本が売れた。温暖化ゆえ、人口が北へ「移動」を余儀なくされているという話である。
米国だけではない。例えば、難民・不法移民は世界的な問題だ。そもそも難民の原因の一端は、気候変動で社会インフラのぜい弱な国の農業を始め、経済や政治情勢が不安定化したために、住民が祖国を捨てて移動するものである。既に「移動」は始まり社会問題化している。先進国にすれば、なぜ他国の問題を引き受ねばならないのかとの不満はあるが、もし温暖化が一因ならば、先進各国にも原因がある。
日本も心配だ。先頃のCOP29の主要テーマの一つは海面上昇。海抜ゼロの住民は真剣に移動を考えるべきだ。絶対に決壊しない護岸補強を政府に期待するのは、大洪水を起こした神に対抗してバベルの塔を建てて神を怒らせたのと同様に無鉄砲で自然に対して傲慢だ。
さて、本誌前回号でコーヒー畑は極楽浄土の様な所と述べた。我が家は冬は暖かく、夏は涼しい。コーヒー栽培に適した気候は冬でも一五度を下回らず、夏でも二七度を上回らない。そんな極楽のような気候は熱帯・亜熱帯の標高の高い場所にしか存在しないので、コーヒー産地はどこも熱帯・亜熱帯の高原・山岳地帯だ。
一方、温暖化により2050年には現在のコーヒー産地ではコーヒーが採れなくなると危惧される。確かに、夏に二十七度の日が続いてはコーヒーの木は弱る。それでも、我々人類には快適な気候だ。また、コーヒー生産国の経済発展が続けば、コーヒー畑の労働者は山間部の貧しいコーヒー産地から、より良い収入を求めて都会へ出る。せっかくの気候がもったいない。
そこでご提案。逆に都市がコーヒー産地に移動してはいかがか。実際に、ハワイ島コナは、特にコロナ禍で、米本土の富裕層に「発見」された。気候が穏やかで風通しが良い。広々として人込みもない。理想のリモートワークの地だ。人々は気候の良い場所へ移動を始めている。
コーヒー産地はいいぞ~。暑からず寒からず。家に冷房も暖房もいらない。究極の温暖化対策だ。そういえばアラビカコーヒーの原産地のエチオピア高原は人類発祥の地でもあるらしい。コーヒー畑の気候は人類の宝。
日本の皆様も、あんな蒸し暑い中で通勤などせず、アフリカの高原からリモートワークしてはいかがか。円の価値が下がったとはいえハクナマタタ。まだまだ使い勝手はある。おまけに、都会でダイエットのためにスポーツジムに高い会員費を払わずとも、余暇にコーヒーを摘めば痩せながらお金がもらえる。タイの高地もマイペンライ。果物が美味い。なんなら、ハワイ島でゴルフやサーフィンをしながらリモートワークという手もあるぞ。ノープロブレム。
2024年12月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2024年10月号 原稿

今年も日本の夏は暑かったと伺った。申し訳ないが、我が家は涼しい。私の住むコーヒー畑は標高六百メートル。海沿いのリゾート地よりも五度近く涼しい。年間を通じて、二十七度を超えず、十五度を下回ることもない。コーヒー栽培に適した気温だ。それは人間にとっても快適。家にクーラーはないし、夜は羽毛布団で寝る。ここは楽園である。
今年の夏はスズメの雛を保護した。ヤシの木から巣が落ちて、一羽の雛は死んでいたが、二羽はまだ息があった。以前にも、コーヒーの木の上の巣から落ちた雛を巣に戻したりしたが、今回は巣ごと落ちている。親鳥が助けに来るかと放置したが、夕方になっても来ないので、家に保護した。生後数日らしく羽毛もない。翌日、一羽は衰弱しきって、次第に呼吸が遅くなり、もうだめかと思ったが、電気カーペットで温め、こまめに餌をやったら回復した。翌週、もう一羽は餌をのどに詰まらせてパタンと倒れて動かなくなった。あわてて餌をかき出し、心臓あたりを指でポンポン叩いたら奇跡的に蘇生した。すっかり雛が生活の中心となった。
三週間で飛べるようになったので外に放したが、一日に何度も戻ってきてピーピーと餌をねだる。もー、かわいい。だが、戻って来る時間は日によって違うので、家で待っていなければならない。そんな面倒くさい仕事は妻に丸投げして私はゴルフだが、妻はハマった。ピーチクとパーチクと名付け「ピーチク・パーチク~♪ピーピーピー♪チクチク♫」と可愛い歌まで作って世話をしている。六月末にコペンハーゲンでのコーヒー展示会に行く予定が、彼女は「コーヒーよりこっち。だって、餌をあげなかったら死んじゃうんだよ」と、北欧旅行をキャンセル。確かに旅行より、肩に乗ったピーチク、パーチクと「ピー、チクチク」と会話している方が楽しい。おおきくな~れ☆萌え萌えキュン。
そういえば、我家のコーヒー畑には、文鳥やキンノジコやカージナルなどの小鳥が多い。朝は鳥の鳴き声で目を覚ます。鳥たちは朝は元気にさえずる。その元気につられて眠気が覚めてくる。贅沢な目覚まし音だ。昼でも耳を澄ませば常に小鳥のさえずりが聞こえる。雨が降らない限り鳥の声が途切れることはない。種類により鳴き声は様々だが、雛のピーピーと餌をねだる大きな声は共通。初めて気付いたが、畑や家の周りの大きな木のほとんどから雛が餌をねだる声がする。コーヒー畑がこれほど新たな命の揺籃となっているのは驚きだ。畑は鳥の歌で溢れていて、人の心を豊かにする。
視覚的にも美しい。コーヒー畑は色彩も豊かだ。緑は多彩で色々な緑色がある。コーヒーの実はルビー色。遠望すると空と海が青い。雲は白い。また、朝の畑は朝露で濡れている。芝の朝露に朝日が当ると光線の加減で七色に光る。ハワイの虹もよいが、朝露の輝きも美しい。
水平線にも緑がある。私の家と畑は真西を向いていて、目の前の海に夕陽が沈む。水平線に雲のない日は赤い夕陽が沈む瞬間に緑色に光る。グリーンフラッシュだ。ハワイではこれを見ると幸せになると言われる。
世間によくある質問に、最後の晩餐に何を食べたいかというのがある。人生でこれが最後なら、何を食べたいかという意味だろう。
私は山岸コーヒーを飲みたい。標高六百メートルの我家のラナイ に座って、畑に集まる鳥のさえずりに耳を傾け、頬に心地よい風を感じながら、コーヒー畑の向こうに広がる海を見下ろす。青い海と空と、それを隔てるクッキリとした、なんとなく丸みをおびた水平線を眺めながら、自分で摘んだコーヒーを飲みたい。そして、飲み終わった後に、遥か西方の水平線に沈む夕陽は、西方極楽浄土におられる阿弥陀如来。夕陽が沈む瞬間に輝くグリーンフラッシュは、極楽浄土への青信号。もう、何もやり残したことはない。こんな最後の晩餐を想起させる景色だ。
 
さて、昨年末、京都と奈良に行った。京都の紅葉は美しかった。紅葉で有名な瑠璃光院へ行った。書院二階の大きな机に庭の紅葉が映り込む。机に向かって座ると、机に映った紅葉と庭の本物の紅葉が継ぎ目なく見えて、この世と思えないほど美しい。
惜しむらくは、朝の開門前から長蛇の列。机の前は押し合いへし合い。人混みに圧倒され後ろへ下がると、青いラピスラズリが飾ってあった。瑠璃石である。アフガニスタン産の見事な瑠璃石。ラピスラズリはフェルメールの絵画の青の顔料に使われた貴重な石だ。
私の浅い仏教知識では、瑠璃といえば瑠璃光浄土。西の彼方には阿弥陀如来がおわす極楽浄土。東の彼方には薬師如来の瑠璃光浄土があるという。瑠璃光浄土は瑠璃色に包まれた清浄な浄土らしい。
ところで、南山城の浄瑠璃寺の浄土式庭園では、庭園の西側の本堂に九体阿弥陀如来像が祀られた西方極楽浄土の世界、庭園の東側には東方瑠璃光浄土の主の薬師如来を安置した三重塔がある。その三重塔は朱色だ。また、薬師如来を本尊とする奈良の薬師寺も朱色に塗られ瑠璃色が使われていない。不思議だ。
大乗仏教の仏教芸術はガンダーラ地方で発達した。ガンダーラは現在のアフガニスタンからパキスタンにかけての地域。瑠璃石、すなわち、ラピスラズリの産地である。また、隣国のサマルカンドは青の都。青が聖なる色とされる文化地域である。その地で発展した大乗仏教が、瑠璃光浄土は瑠璃色の世界とするのであれば、それはラピスラズリの青の世界であろう。実際に、薬師如来のサンスクリット語のभैषज्यगुरुやBhaiṣajyaguruをネット検索すると、青い薬師如来の映像が多く出た。やはり、チベット仏教など西域では薬師如来は青の世界の住人らしい。中国を経て飛鳥時代に日本へ薬師如来が伝来した頃には、ラピスラズリを産しない中国・朝鮮・日本では瑠璃色はなじみが薄かったのだろうか。奈良時代に薬師寺を朱色に染めたのも何らかの理由があったのだろう。
さて、紅葉の美しい瑠璃光院は、瑠璃光の名を冠しているが、薬師如来が本尊ではない。浄土真宗の寺院なので、本尊は阿弥陀如来。瑠璃光院の名前の由来を不思議に思ったところ、その場に住職がおられたので尋ねた。
ご住職のご説明によると、阿弥陀如来が教主の極楽浄土は七宝に彩られた美しい世界。すなわち、金、銀、瑠璃、玻璃、しゃこ、珊瑚、瑪瑙などの美しい色に満ちた世界である。七宝とは伝統工芸の七宝焼の語源でもある。そして、薄暗い寺の中(現世)から、苔で覆われた庭を見ると、急に明るい浄土世界に出た感覚がする。そして苔の朝露が朝日に輝き、瑠璃色に見えることがあることが、瑠璃光院の由来との説明を受けた。
なるほど、この庭園の本領は朝日に輝く苔の朝露か。朝から並んで、押し合いへし合い、紅葉の写真を撮っている場合ではない。ポイントを外していた。朝露を撮らなきゃ。
そこで気が付いた。たとえ京都に行かなくても、ハワイのコーヒー畑で芝の朝露に映る七色の光の中に極楽浄土の瑠璃光や七宝の輝きを見ることができるともいえる。
加えて、極楽浄土には六種類の鳥がいて、鳥の声が聞こえるという。これらの鳥は、仏法を説き弘める為に阿弥陀仏が姿を変えて現れ出て下さったものだそうだ。なんと常に鳥の声を浴びている我家のコーヒー畑と同じではないか。ピーチクとパーチクは阿弥陀様の化身で、彼らの発する「ピー、チクチク」はありがたい説法であったか。なるほど心が洗われる。北欧旅行をキャンセルしてお世話する気になる訳だ。
伺ったところ、極楽浄土とは、寒からず暑からず、気候は調和し、七宝に美しく輝き、仏の妙説のような鳥声が聞こえる場所らしい。おそらく、昔の人にとって、そんな住み心地の良い所に住みたいという、理想の場所を表したものであろう。そしてそれは限りなくコーヒー畑の気候に近い。コーヒー畑こそ、ホモサピエンスにとって理想の気候、極楽浄土の様な所ということに改めて気付いた涼しい夏であった。
ピー、チクチク。ありがたや。
2024年9月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2024年7月号 原稿

 
前回の四月号で日米の雇用形態の違い触れた。今回はもう少し掘り下げて、仕事上のインセンティブ(誘因)、つまり、与えられた条件によって、労働者がどう行動を変えるかについて考えてみる。
日本のサラリーマンだった私は三十五歳でアメリカの金融機関のNY本社へ転職した。後にリタイアしてコーヒー農家になった。日米の企業で働いて、インセンティブの違いを痛感した。日本以外の資本主義国では、会社は株主のものである。資本による主義だから、それが定義だ。一方、日本の会社は、商法上は資本主義の形態をとっていても、実体は違う。株主(資本)ではなく、正社員と正社員の親玉(社長・会長)が支配する。そして、社員への報酬体系も、資本主義各国は利益を追求するインセンティブが与えられるが、日本は会社組織への忠誠を求めるインセンティブが与えられている。
日本は新卒一括採用・終身雇用制・年功序列制という他国にない奇異な雇用形態を採用している。失われた三十年の原因として様々な理由付けがなされるが、私はこの日本独特の雇用形態に起因する社員ひとりひとりの心構えも大きな要因と考える。
私が働いたアメリカ企業では、社員は仕事上のアイデアを思いついたら、それが会社の利益率を向上させるかを考える。つまり、株主還元を念頭に置く。それが業績と認められその年のボーナスに直結するからだ。自分の行動の目的関数が単純である。利益を最優先し、なるべく高く売り、利幅を厚くする工夫を考える。そして、フェアープレーで儲けた人が評価され昇進・昇給する。単純で分かり易い。
日本のサラリーマンは、利益以外の会社内の様々な処世術を考慮しなければならず、目的関数が複雑すぎる。頭の半分は利益を考えるが、もう半分は、会社内の調和や、会社の永続性、組織防衛、社内派閥を考える。自分が定年になるまで会社が存続して、同僚との軋轢を減らしながらも序列に気を配ることに無意識に思考が向かう。なにせ、昇進・昇給は勤続年数に応じて決まる。さらに、給与の一部を日本特有の退職金という人質に取られる。こんな壮大な給与の後払いが合法なのが不思議なくらいだ。
これでは競争にならない。同じアイデアを思いついても、日本のサラリーマンが悶々と社内調整をしている間に、他国の企業がさっさと実行して利益を上げてしまう。
国際競争力の観点以外にも、個々人にかかる日々のストレスも社会的に重要だ。株主利益重視、即解雇というと世知辛く聞こえるが、会社は給料をもらう場所と割り切って、家庭やコミュニティーなど会社以外の場所に生きがいを求め、会社の求める仕事が自分の価値観・倫理観と合わなければ、さっさと転職する、あるいは、自分が役に立たなければ、クビにしてもらい、次へ進むという雇用形態と、日本のように、正社員か否かは新卒時一発勝負で、たとえ正社員になっても、会社が人生・人生が会社で、やがて窓際族とか社畜とか云われても会社にしがみ付く生き方の、どちらが気持ち的に楽だろうか。利益と組織防衛の二兎を追う不透明で複雑すぎる人事評価基準に悶々とし、上司の命令に、自分の理想や倫理観に合わなくても目をつむり、先輩から居酒屋で「大人になれ」と諭され、だんだんそんな仕事にも後ろめたさが消えていく。社員も結構辛いし、会社も儲からない。解雇がないから素晴らしいとの意見もあるが、この日本独特の雇用形態は国民を幸せにしているのだろうか。その腹いせに踏みにじられて、非正規雇用者は幸せなのだろうか。
終身雇用制は日本の文化に根差した雇用形態との主張があるが、戦後の人手不足期に企業が労働者を囲い込むためにできた仕組みだ。歴史は浅い。西欧諸国に追い付け追い越せの時代は機能したが、今の日本は他国よりも安く生産する時代ではない。新たな成長分野へ進出するには、労働が流動的でなければならない。今までの雇用制度は成長の足かせだ。職場におけるインセンティブは一国の経済をも左右するほど重要な要因である。
 
さて、コーヒーの話である。私が思う美味しいコーヒーとは、コーヒーの木を健康に育て、健康に完熟した実だけを丁寧に摘んだコーヒーだ。これに関しては、2023年6月の日本コーヒー文化学会総会で述べた。その講演はYouTubeにあるので、興味のある方はご覧いただきたい。
コーヒー畑でもインセンティブの与え方に応じてピッカーは摘み方を変える。ピッカーに時間給で払うと、ピクニック気分でおしゃべりしながらのんびりで埒が明かなくなることがある。摘んだ重さで払うと、乱暴に速く摘んで、欠陥実や未熟の実が混入しがちだ。収穫のきれいさに応じて報酬を払うか、きれいに摘むことを雇用の条件としない限り、きれいに摘んでもらうことは望めない。しかし、丁寧に摘むと収穫作業のスピードが落ちるのでピッカーには不利。それを補うために多めに賃金を支払わなければならない。
今や世界的な人手不足。コーヒー農園の最大の課題はピッカーの確保である。なまじ、きれいな収穫を要求すれば、そんなうるさいことを要求しない隣の農園にピッカーは流れる。かつてはコーヒー生産国経済が低成長で、山間部の貧しいピッカーに無理難題を押し付けることが可能だったかもしれないが、今はコーヒー生産各国は経済成長著しい。よほど気を使って報酬を支払わなければ、今後はきれいに摘んでくれなくなる。美味しさを求めるなら、きれいに摘んだピッカーには多くの賃金を払う商習慣が必要だ。
ピッカーにきれいに摘んでもらうのは難しいので、最近は酵母菌発酵やインフューズドコーヒーなど、手っ取り早く簡単に独特の風味を付ける農園が増えている。悪いことではないが、消費国がその類のコーヒーを過度にもてはやせば、農園主がきれいに摘んだコーヒーを生産するインセンティブが低下する。本来の美味しいコーヒーが減りかねない。
ピッカーにきれいに摘んでもらうには、消費国の理解と支援が必要だ。消費国が農園主に対して、きれいに摘むことを要求しその対価を支払わないと実現できない。きれいな収穫は農園主の責任でもあるが、消費者の責任でもある。ピッカーは今後ますます不足し、農園どおしの取り合いになる。農園主がいくら頑張っても、乱暴な収穫の隣の農園のコーヒーに消費者が同じ値段を払ったらそれまでだ。
きれいに収穫したコーヒーが美味しいのは輸入業者や小売業者は常識として知っている。ほとんどの業界のプロはその味も知っている。しかし、スペシャルティーコーヒーを顧客に紹介する段になると、品種、産地、テロワール、標高、乾燥方法などの説明ばかりで、肝心の収穫の話はない。だから、スペシャルティーコーヒーのファンでさえ、美味しいコーヒーの味は知っていても、それが丁寧な収穫から来ることを理解していない。消費者の頭の中で、きれいに摘んだクリーンな味わいと丁寧な収穫がリンクしていない。そのコーヒーが美味しいのはテロワールなどの自然の神秘ではなく、人が手で摘んでいるからだ。
願わくば、小売業者は消費者に対して、美味しいコーヒーとはきれいな収穫が前提であることを、ピッカーのおかげであることを明確に説明してほしい。さすれば、消費者からきれいに摘むことを求める声が上がる。そして、小売業者、輸入業者は、産地・農園主にきれいに摘むことを要求し、その対価を払うようになってほしい。それが農園主やピッカーにきれいに摘むインセンティブを与える。
インセンティブは日本の失われた三十年の原因になるほど重要な要因である。コーヒー畑でも、きれいに摘むインセンティブがなければ、世界的なピッカー不足ゆえ、ピッカーはきれいに摘んでくれなくなる。すると美味しいコーヒーは飲めなくなる。
2024年6月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2024年4月号 原稿

 
 
おめでとう、新社会人諸君。君たちの前には多くの可能性が広がっている。私の半生を振り返れば、仕事が辛くとも、不安におびえても、理不尽と思うことがあっても、目標に向かって努力していた頃が楽しかった。諸君は今、そのスタート地点にいる。羨ましい限りだ。
私は大学卒業後、金融機関に就職した。今はどうかは知らないが、当時は日本的な新卒一括採用・年功序列・終身雇用制度が盤石で、最初の十数年は平社員だが、同期との差もなく社内資格(階級)が上がる仕組みだった。
上司に言われた。「三十五歳までに多くを学んで自分の仕事のスタイルを確立しろ。三十五歳を過ぎたら、自分の持ち味は変えられない。そのスタイルで勝負しろ。」そしてNY支店にいた私は三十五歳で、申し訳なくも転職して終身雇用制度を飛び出た。
日本は正社員が保護され、非正規雇用者には冷たい。米国は逆。ブルーカラーや事務員の雇用は保護されるが、ホワイトカラーはExempt(適応外)といわれ保護の対象外だ。成果が良ければ給料は上がるし、悪ければ解雇。勤務時間に制限はなく残業代は出ない。
私の転職先は当時アメリカ最大の投資銀行メリルリンチのNY本社だった。メリルにも階級があったが、成果主義だから階級と年収は一致しない。当時は下からAssociate、 Senior Associate、 Assistant Vice President(AVP)、 Vice President(VP)、Director(課長・部長)、 Managing Director(部長・常務)、 Executive Vice President(専務)、 President(社長)、 Chairman(会長)と出世の道は険しい。
メリルに新卒で入社するとAssociateから始め、二年くらい下働きをしてSenior Associate。何割かはこの辺りで一旦辞めてMBAに行く。MBAで好成績を収めれば、どこかの投資銀行にAVPで滑り込める。二~四年でVPになり、単独で取引先と交渉するようになる。ここまでで半数以上が脱落するし、この時点で既に三十歳前後。そこからは実力と努力と運次第。成果が上がれば出世するし、業績が悪ければ解雇される。なかには四十歳代前半でExecutive VPになる人もいる。彼らエリートはやがて次期社長か、引き抜かれて他社の社長に収まる。
米国の会社はスペシャリスト集団だ。自分の専門分野を磨いて転職をしながら出世していく。自分で選んだ部署・ボスの元で自分の選んだ仕事をする。嫌なら転職するし、向かなきゃ解雇される。一方、日本の銀行では数年ごとに配置転換される。私の場合は十三年間で事務、ディーリング、融資、営業など多数の分野を経験させられた。様々な分野を広く浅く経験するジェネラリストとしての訓練を積む。転勤を繰り返し、新たな仕事を早く習得して、そつなくこなす能力が問われる。
日本のサラリーマンが米国で転職しようとして、「自分は一流大学を出て一流企業に勤めてます。命じられれば何でもこなせます」とアピールしても無駄だ。その時、ボスが求めている技能・アイデアを持つ人が雇われる。
私の場合は、メリルの重役との世間話で、今後はこういうスタイルの投資に需要が増えると思うと言ったら、ちょうど社内にそれを始めようとしている人がいるから彼と一緒にやらないかと誘われて転職することになった。
かくして彼(ボス)と私の社内ベンチャーは始まった。新事業なので、私は何でも屋。本業の資産運用の他に事務も経理も法務も営業もやった。幸運にも事業は軌道に乗り、私はManaging Directorに昇進した。人材を雇う予算ができて、公認会計士や弁護士を含め二十人以上の人材を集め、私は資産運用に専念できるようになった。日本のジェネラリストはジョブ型の米国では通用しないと云われるが、私の場合はジェネラリストであることが幸いした。日本にいれば平凡なサラリーマンなのに、米国企業では珍しかった。
メリルには野心家が集まる。マッシュルームのように次々と新規事業が芽を出すが、事業として軌道に乗るのは僅か。次々と解雇される。世界中から才能が集まる中、才能に乏しい私は、がむしゃらに働くだけが取り柄。残業すればするほど、時給に換算した給料は下がる。回りからはCheap Asian Labor(アジア人低賃金労働者)とからかわれた。
運よく事業は成功し出世もしたが、がむしゃらに働き続けたら四十二歳で癌になった。死んでは元も子もない。深く反省し、四十四歳でリタイアした。
のんびり暮らせるハワイへ移住した。たまたま買った家にコーヒー畑が付いていたことからコーヒー栽培を始めた。そして、私はYamagishi Coffeeの会長を称している。妻が社長。ただし社員は我々夫婦のみ。妻はコーヒー摘みが好きで、コーヒーを摘んでいると幸せだそうだ。だから私より妻の方がコーヒー摘みが断然上手い。速いし、きれいに摘む。実力は彼女の方が上なのに、なぜか私が会長だ。でも、彼女には社長兼CPOというカッコいいタイトルを授けている。Chief Picking Officer。
暫くして気が付いた。私にとって美味しいコーヒーとは、コーヒーの木を健康に育て、健康に完熟した実だけを丁寧に摘んだコーヒーだ。これは2023年6月の日本コーヒー文化学会総会の講演で述べた。YouTubeにあるので、興味のある方はご覧いただきたい。このことを発見して、コーヒー栽培、コーヒー摘みに、がむしゃらにのめり込んだ。
収獲の最盛期には地元の人を含め、メキシコ人などのピッカーを雇う。妻はスペイン語ができるので、彼らの会話をこっそり聞いては解説してくれるから面白い。新顔のピッカーが、少し離れて摘んでいる私のことを「あそこにいるチーノ(中国人、スペイン語では東アジア人全般を指すらしい)は誰だ?」と古顔のピッカーに尋ねた。古顔が「あれがパトローネ(農園主)だ」と説明すると、ビックリ顔。少し間をおいて「この農園は賃金をちゃんと払ってくれるのか?」と心配そうに相談していた。農園主がコーヒーを摘む農園はほとんどない。あっても、自分で摘まなければならないほど金に困った農園主は賃金の支払いにも滞るというのが、彼らの思考経路らしい。
確かに農園は赤字だが、賃金の支払いに滞ったことはない。自分が中心になって摘む以外に美味しいコーヒーを作る方法が見つからないので、自ら摘んでいるだけだ。
メキシコ人達と一緒に摘むと妻が一番速い。さすがCPO。「うあー、あのムチャチャ(お嬢さん)速い!」と、大男たちが「Vamos! Vamos!(頑張ろう)」と声をかけあう。しばらく大男らの尊敬を集めた彼女だが、やがてセニョーラ(農園主の奥様)だと判って、またビックリ。だが、彼女はスペイン語で「私は元は弁護士(Abogada)です」と自己紹介したつもりが、Avocado(食物のアボカド)と発音してしまい、アボカドちゃんになってしまった。
ピッカーには、きれいに摘むようお願いしている。摘める量が減るうえに、他の農園ではそんな面倒なことは要求されないので、嫌がられるが、その分賃金を多めに払う。それでも、我々は彼らより朝早くから摘み始め、夕方遅くまで摘む。しかも、速くきれいに摘む。圧倒的な実力を見せれば、彼らもついてきてくれる。
私はハワイでも相変わらずCheap Asian Labor。がむしゃらスタイルだ。だが、そんなことを十年以上続けたら、腰痛がひどくなった。周りの農園主や医者からは収穫は人に任せろと言われるが、それで美味しいコーヒーを作る自信はないし、美味しくなければ楽しくない。諦めて自家消費分だけに大幅に規模を縮小した。人生二度目のリタイアだ。
自分のスタイルは変えられない。もっとスマートにやってみたいものだが、結局、二度目のキャリアも同じように体が悲鳴を上げて諦める結果になった。
新社会人諸君、君たちはどういうスタイルで生きるのか。君たちの未来が羨ましい。
2024年4月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2024年1月号 原稿

 
2001年の同時多発テロ以降、アメリカは不法移民への規制を強化した。トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作って、中南米からの不法移民を防いだ。
移民排斥の安全保障以外の理由のひとつは、移民が入るとアメリカ人が職を失うからだ。例えば、私が永住権の申請をした際に、私と妻のどちらが申請すべきかで移民法弁護士に相談した。NY州弁護士の妻が米国で職を得ると、アメリカ人弁護士の誰かがその職を得る機会を失う。しかし、日本の金融市場に詳しい私の代わりになるアメリカ人はいないので、私が職を得ても誰も職を失わず、アメリカに仕事が一人分増える。英語が下手な私よりもネイティブな妻の方がアメリカ社会の御迷惑にならないと思うが、結局、私が申請することになった。
米国内に一千万人以上いると推定される不法滞在者の多くが中南米人である。中南米移民を排斥しても、その効果は限定的と私には見える。なにせアメリカ経済は空前の人手不足だ。加えて、彼らはアメリカ人がやりたがらない仕事をしている。不法移民による不法就労なしではアメリカ経済が立ち行かない。特に農業。米国農務省によると、全米の農場で働く労働者のうち米国籍は約三割、約二割が十カ月間有効の農業用就労visa(H-2A visa)による就労者、そして、約五割が不法移民が占める 。政府が把握するだけで五割だ。
もちろん、農園主が不法移民を雇うことは違法だ。雇用者が人を雇う際には、被雇用者がアメリカで仕事ができる法的地位(アメリカ国籍、永住権や就労ビザの保有者)にあることを確認する義務がある。そして、被雇用者の氏名、住所、社会保障番号をIRS(税務当局)に報告する義務がある。社会保障番号とは日本のマイナンバーに相当するもの。IRSへの報告を怠れば、雇用者が罰せられる。
では、どうやって、この制度をかいくぐり、農場に多くの不法滞在者が存在するのか。それは、農作業をIndependent Contractor、つまり独立した業者らに、委託するからだ。
この業者は移民の元締のような人々。不法移民に住居と食事を提供し、業者が契約した農園に日々バスで送迎する。季節によりイチゴ、スイカ、リンゴと農園を渡り歩く。農園主は業者に料金を一括して払うだけ。個別の労働者が合法か違法かは分からない。知りたくもない。不法移民を違法に雇うリスクはその業者が負う。
コナにも収穫作業を請け負う独立業者は何人もいる。彼らのところに九~十二月にかけて、本土から中南米系の労働者が流れてくる。母国でコーヒーを摘んでも金にならないが、コナで摘めば、一日に二~三万円、人によってはもっと稼げる。
請負業者は収穫を請け負い、収穫量に応じて収穫手数料を農園主から一括して受け取り、不法労働者へは現金で賃金を支払う。その業者の行為は違法なのでリスクがある。アメリカ国籍がないと危険。アメリカ人はアメリカから追放されないが、そうでないと、罰金ではすまず、国外追放となる可能性がある。
子供の頃、親と一緒にアメリカに不法入国し、アメリカ教育を受けて、成人した人は多い。オバマ政権の救済処置で一定の条件を満たせば国籍取得への道が開かれたが、トランプ政権で救済処置は廃止された。アメリカ育ちの彼らは、アメリカ人と変わらない。ただ、スペイン語が堪能で、アメリカ国籍がないだけだ。農園主と中南米労働者の間に入り、上手く取り持ちながら物事を進める。農園主には頼みの人物だ。アメリカ人の妻を持ち、生まれた子供はアメリカ人である。
それが仮に、車のスピード違反で捕まったとする。彼らはアメリカの運転免許書を持たないので、不法滞在がバレる。あるいは、コロナで入院したとする。通常の病気なら問題ないがコロナの場合は保健局にバレる。気の利いた人ならば、村が頼りにするこの人物の、ちょっとした事件を見逃すかもしれない。しかし、杓子定規に処理すると、移民強制退去のレールに乗る。ひとたびレールに乗ると、誰も止められない。
家族が懇願しようが、農園主たちが請願しようが、たとえ州知事や州選出の連邦議員を動員しようが止められない。それほど重要な人物ならば、正式なルートで永住権を取得してから再入国しろと国土安全保障省から言われるのがおちだ。そして、永住権取得は気が遠くなるほどの労力と時間がかかる。ましてや国外追放歴の難題も抱える。
 
我家の裏の斜面にCalifornia Pepperの大木があったが、この木は根が浅く、嵐で倒れることで悪名高い。危ないから伐採しようと、業者に費用の見積もりを尋ねたら二千ドルもした。ちょうどその頃、ある人物と知り合ったので、値段を尋ねたら五十ドルでやってくれた。
彼はコーヒーの収穫も請け負う。中米のある国の山間部出身。見た目はインディオ風。ストリートスマートで頼りになる人物だ。どんな問題でも解決策を思い付き実行する能力には舌を巻く。小学生の頃から畑仕事で家族を養い、ほとんど学校には行かなかったらしい。コーヒー以外の作物も詳しく、九歳で始めたタバコ栽培は儲かったと、タバコの儲け方を教えてくれた。どんな状況でも生き抜く能力には感心する。
彼は小学校を卒業せず、親元を離れ、アメリカへ不法に入国した。職を転々とし、コナにたどり着いた。コナで随分と年上のハワイアンと結婚した。しかも、その妻は薬物使用で州の刑務所に服役中だ。連邦政府の刑務所は厳しいが、ハワイ州の刑務所は、服役中は刑務所と家を行ったり来たり。次の約束の日時までに刑務所に戻れば良い。服役中の妻とその両親を支える形だ。彼は不法移民なので、彼の名前ではビジネスできない。妻の父親名義の会社がビジネスをするが、実体は彼の差配だ。彼が取ってきた請負作業に、彼の指図で服役中の妻もその父親も働いた。
なんだか不釣り合いな夫婦だが、経済的には利害はぴったり。まあ、他人の夫婦関係を詮索するのは良い趣味ではないが気になる。ところで、アメリカ人と結婚すると一定期間後に永住権を取れる。やがて彼は永住権を取得した。すると、自分の名前でビジネスを始め、同時に離婚して母国出身の若い女性と再婚した。いったい、あの結婚は何だったんだろう。
ある時、私は彼を大いにしくじった。彼に収穫を委託する際、もしグループに不法移民がいれば、そのリスクは彼が取ることは理解していた。しかし、私自身が米国籍ではなく永住権である。もし話がこじれて、その非が私に及んだら、罰金で済むならまだしも、私が国外追放になったら困る。だから、うちの畑には不法移民を入れるなと頼んだ。「君だってアメリカ国籍がないから、そんなリスクは取らない方がいいだろ」と親切にアドバイスまでした。
この一言で彼は烈火のごとく怒りだした。「オレは子供の頃に親元を離れ不法に国境を渡った。人には言えないような辛い目に散々あった。やっとこの仕事を手に入れた。だからオレは同胞を助けたい。仕事とチャンスを与えたい。それなのに、お前はオレの同胞を差別するのか。お前がそんな人種差別的な考えの持ち主とは思わなかった。人種差別主義者とは関わりたくない。お前のところの仕事は金輪際お断りだ!」。
余りの剣幕に、何事かと妻が家の中から出て来たくらいだ。リタイアして以来、人様に頭を下げる機会は減ったが、この時ばかりは「申し訳ございませんでしたー!私は決してあなた方を差別してはおりませーん!」と、ただただ、ひたすらに、平謝りに謝った。事情も分からずキョトンとする妻に「おい、何ボケっとしてんだ、おまえも謝れ」と、一緒に頭を下げさせた。しかし、それ以来、彼はうちの仕事はしてくれなくなった。
なるほど移民なしでは経済は回らないのだ。
2023年12月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2023年10月号 原稿

ラハイナ・ヌーンという天文用語がある。ラハイナとはハワイ語で「残酷な太陽」という意味。ヌーンは正午。太陽が真上を通過する時、直立した人や物の影が消える天文現象を指す。北回帰線より南のハワイでは、太陽は夏は北の空、冬は南の空を移動する。そして、年に二回、真昼に太陽が真上を通過する現象が起きる。
ハワイ島コナの私のコーヒー畑からは、海を挟んで隣のマウイ島が見える。マウイ島にはラハイナという古都があった。古い町並みが魅力の観光地だった。そのラハイナの町が八月八日の火事で焼失した。二千二百軒以上の建物が燃え、多数の死者と行方不明者を出す大惨事となった。本当にお気の毒だ。
私の家はコーヒーが育つほど湿気があるので、溶岩でも流れてこない限り、火事のリスクは低い。実際に今年は、フアラライ山とマウナロア山の山麓に細長く広がるコナコーヒー生産地帯では、年初からうんざりするほど雨が降った。逆に、コナ以外の地域では雨が少なく、隣町のワイコロアに住む人の話では草木が乾燥して危険な状態らしい。なんでも昔は、コナからワイコロアにかけては森で、割と雨が降ったそうだ。ところが、西欧文明の流入後、牛を飼うために森林が伐採されて牧草地となった。すると雨量が激減し、コナ以北は乾燥地帯に変わり、牧草地を焼く火事が頻発するようになった。人災だ。
 
さて、八月上旬に今年最初の収穫を行った。毎年、シーズン最初の収穫は熟度が揃わない。お茶は初摘みが高級品だが、コーヒーの初摘みはいただけない。それでも、2周目以降の実の成熟のリズムを揃えるために、最初のラウンドは少量でもとりあえず摘む。
収穫重視の私は自分で摘み、皮むきと乾燥は友人の農園のウェットミルに委託する。だが、シーズン最初と最後の収穫はウェットミルへ持ち込むほどの量がないので、自分の小さな皮むき機で皮をむいて、家の前のドライブウェーで乾燥させる。
通常、コナは朝は晴れても、気温が上がると西の海からの湿った空気がフアラライ山麓を上昇するので、山麓のコーヒー畑地帯は昼前には曇り午後に雨が降る。ドライブウェーには屋根がないので、雨が降ったら取り込まなければならない。干しては取り込み、また干すことを繰り返す。手間と時間がかかる。十日間ぐらいはかかる。ところが今回は何と三日間で乾いてしまった。新記録。
この週はハワイ諸島の西を通過中のハリケーンが空気と湿気を吸い込み、コーヒー畑は雲一つないピーカン。強烈な日光に加えて強風。とにかく暑い。なんと我が家の気温が二十八度。異常だ。コーヒーの木は高温で光合成が阻害される。葉はしおれてぐったり。畑仕事をすると私もぐったり。もちろん車で十分の海岸沿いは三十度を超えるが、元来この家は涼しい。日本の夏は御免こうむりたい。
日陰干しを宣伝するコーヒーがあるくらいだから、急激な乾燥は褒められた干し方ではない。その三日間は直射日光全開に加えて強風と乾燥。干しながら、しゃがんで虫食いなどの欠陥豆を取り除いていたら、急激な乾燥のためか、時折、パチッと音をたててパーチメント(コーヒー豆の外殻)がハゼた。よく見ると、パーチメントにヒビが入っている。ハゼる(爆ぜる)といえば、コーヒーを焙煎すると、パチッ、パチッと豆がハゼる。ハゼは二回来る。一ハゼ、二ハゼなどと呼ぶが、あれは間違えであったか。こんなところで一ハゼが来るとは知らなかった。
ふと気付くと、海と空が白くどんよりと霞んでいる。普段は我家から見下ろすと、碧い海と空との間のクッキリとした水平線が美しいが、水平線が識別できない。これだけ空気が乾燥していれば水平線はハッキリ見えるはずなのに変だ。たぶん火事だ。しかも相当大きい。そしてラハイナの惨事を知った。
 
話は変わるが、ハワイ州、特にハワイ島コナは空前の人手不足に喘いでいる。コロナで観光業がストップした際に、職を失った若者らは米本土へ引っ越した。加えて、多くの中高年者がリタイアした。株高・不動産高のおかげでコロナに怯えて働く必要がない。
シリコンバレー企業へ通勤せずとも、自宅や別荘からリモートで働けるので、ハワイ島の魅力が増した。昔はハワイの不動産を高値買いするのは日本人だったが、今や本土の富裕層だ。買い物好きの日本人にはホノルルだが、リモートワークならコナ。金利上昇で米本土の不動産価格の上昇は止まったが、コナの不動産の高騰は衰えず、コナの一軒家の売買価格の中間値は$1.2m(一億七千万円超)を超えた。ついこの前まで信号機が一つもなかった田舎町で、正気の沙汰とは思えない。
これではレストランやホテルなどの観光業が人手を確保するために米本土から人を雇おうにもコナへ戻ってこない。不動産価格や家賃が高すぎて住む家がない。おかげで、コナ・コハラの海岸に並ぶホテル・リゾートはそれぞれが百人単位で求人をしており、お互いどうしで人材を引き抜き合っている。
人手不足で閉店する店舗・レストランが続出。有名レストランでも、いかにも作り置きして温めて出すメニューに絞ったり、アラカルトを失くしコースメニューのみにするなどの対応で凌いでいる。
住宅価格高騰、住宅不足に加え、リゾート開発の建設ラッシュで建築業の労賃が呆れるほど高騰している。建設コスト(主に人件費)は十年前の倍だ。
我家のラナイのタイルを張り替える必要があるので、近所のタイル張り業者と話したら、「高級リゾートの二~三十億円級の豪邸の仕事が二年後まで何軒も入っている。それと同じだけ払うなら二年後にやってあげてもいい」と突き放された。「値上げしても仕事はいくらでも入る」と嬉しそう。
アメリカにはハンディーマン(なんでも屋さん)という商売がある。家の簡単な修繕などを請け負う。四年前にバスルームのタイルを張り替えてくれたハンディーマンに連絡したら3年先まで予約済み。代わりの人に尋ねたら、四年前の十倍以上の値段を提示された。以前は時給二十ドルぐらいで仕事を請け負ってくれたが、今や時給百ドルは当たり前。日当ではない。時給で一万五千円だ。人手不足、人件費高騰は危機的だ。
被災したラハイナの町の復興はどのように進むのだろうか。こうも人件費が高騰しては、おそらく、たとえ火災保険を全額受け取ったとしても、建設費用の半分にもならない。私なら保険金を受け取ったうえで、土地を売る。そこで、マウイ郡は悪質な地上げ屋が入ってこないように、ラハイナ周辺の不動産取引を当面は禁止した。
将来は、公金を投入して、ラハイナの再開発をするのだろうか。町ひとつを再建する大プロジェクトを行えば、ますます建設現場のスタッフの確保は困難となる。ハワイ島からも動員されるのだろうか。そうなればハワイ島はますます人手不足。
十数年来、コーヒー農園の労働者が建設業へ流れて、ピッカーの確保が年々難しくなっている。ピッカーへの労賃は農園によって違うが、摘んだ重さで払う場合、十五年前は一ポンドあたり40セント程度だったが、現在は一ドル程度が標準的。一日八時間で240ポンドを摘めるとすると、時給換算で12ドルから30ドルへ上昇したことになる。ハワイ州の最低賃金は今年は12ドルで、来年は14ドル、2028年までに18ドルへ引き上げられる予定なので、それよりはコーヒー摘みの方が高いが、建設現場にはとても敵わない。コナコーヒーが高くなる訳だ。
人繰りが農園主の最大の課題だが、こうも人手が不足しては、ますます移民が頼りだ。コナコーヒーに限らず、米国農業は移民に依存している。連邦農務省によると、全米の農場で働く労働者のうち米国籍は約三割、約二割が農業用就労ビザ、そして約五割が不法移民で占められる。政府が把握しているだけでも半分は不法移民。それなしでは米国の農業は回らない。次回は不法移民の話。
2023年9月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2023年7月号 原稿

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2025/01/16   yamagishicoffee

雑誌「珈琲と文化」2023年4月号 原稿

今般、星田編集長からのお誘いで、いなほ書房から「美味しいコーヒーを飲むために―栽培編―」を上梓した。十五年間コーヒー栽培をかじった程度で物申して恐縮だ。なにせ、十五回しか栽培経験がない。十五回といえば、年間のゴルフのラウンド数レベルで覚束ない。それでも勇気を奮って、コーヒー業界のプロや愛好家の皆様を対象に書いた。また、一般の方でも理解しやすいように平易に書いたつもりだ。
これまで、証券アナリストジャーナルに投資に関する論文や本誌のエッセーやらを書いたことはあるが、本の執筆は初めて。現役時代、ニューヨークでヘッジファンド業界にいた日本人は数人しかおらず、私は米国のヘッジファンド業界に最も詳しい日本人の一人だった。本を書けとの誘いはあったが、仕事が忙くて、そんな時間はなかった。本などというものは仕事の暇な人が書くものと思っていた。実際、ヘッジファンド関連の本は実務家から見ると的外れな記述が多かった。そして今、腰痛のためコーヒー栽培を縮小したので暇だ。いよいよ本を書いた。それも専門の金融ではなく、的外れなコーヒーに関して。
コーヒーに関する本は、コーヒーの販売業者や焙煎士やバリスタが書いたものが多い。焙煎や抽出の蘊蓄がならび、私にはチンプンカンプン。なにせ、私はコーヒーの焙煎・抽出はド素人である。よって、本書はこれまでのコーヒー本とは趣を異にする。自宅でコーヒーを楽しむ愛好家の役に立つ焙煎や抽出のコツなどは一切登場しない。
本書の主題は、美味しいコーヒーとはコーヒーの木を健康に育て、健康に完熟した実だけを丁寧に摘んだものというもの。コーヒーを健康に育てる農園主の姿勢も大切だが、それ以上に、丁寧に健康な完熟実だけを摘むピッカーの働きが重要ということだ。
我々が一杯のコーヒーを飲むまでには、何段階もの工程を経る。畑の開墾、苗木づくり、植え付け、剪定、水やり、施肥、土づくり、雑草処理、病害虫対策、収穫、精製、乾燥、保管、皮割り、サイズ・等級分け、欠陥豆の除去、袋詰め。そして、輸出手続き、輸送、通関。やっと生豆問屋から小売り業者の手に届き、皆さんの大好きな焙煎と抽出に至る。
川上から川下まで何十もの工程があるなかで、そのどれもが美味しいコーヒーに関わる。どの工程もいい加減に処理すると味が落ちる。確かに、どれも大切だが、とりわけ重要なのは収穫である。健康な完熟実を丁寧に摘み取ることに尽きる。これを怠ると、他の工程でどれだけ頑張っても挽回できない。
ピッカーは美味しさの源泉なのに、ピッカーの労働環境は劣悪だ。一杯のコーヒーを生産する諸工程のなかで、最も重要で重労働のピッカーへの報酬が最も低い。変だ。これが企業なら、こんなお粗末なクオリティーコントロールを採用する企業は倒産する。
健康な完熟実だけを摘んだコーヒーは、フルーティーでクリーンな味わいだ。甘味さえ感じる。逆に、乱暴に摘むと、未熟実や過熟実、あるいは、虫食いや栄養・水分不足の欠陥実などが混入する。すると雑味が増えて苦くなる。飲んだ後に口の中に苦味や渋みやえぐみが残る。健康なコーヒーは後味がスーっと心地よく消えていく雑味のないクリーンなコーヒーだ。
私はコーヒーを摘まない日は、朝二時間くらいコンピューターに向かう。ニュースを読んだり、金融市場を追いかける。朝に淹れたマグカップ一杯分のコーヒーを少しづつ飲む。私にとって美味しいコーヒーとは、何時間かけて飲んでも飲み疲れないもの。えぐみや渋みや苦味が口内に溜まっていくコーヒー、歯を磨きたくなるコーヒーは美味しくない。このクリーンな味わいはきれいな収穫の結果であり、ピッカーのおかげと力説したい。
もちろん、美味しさは人それぞれ。健康な完熟実だけを摘んだクリーンな味わいのコーヒーが美味しいとは、私の勝手な定義で、こだわりの美味しさは人によって違う。しかし、実は広く受け入れられた概念だ。その証拠に、たいていのコーヒー本は焙煎や抽出に関する蘊蓄が並べられても、結局は、良い生豆を仕入れるのが大切と書いてある。また、業者の宣伝には、産地から厳選した生豆を仕入れているという類のものが多い。そうした宣伝に定番なのは、真っ赤に完熟した実だけを集めた写真だ。おまけに、産地へ行って、完熟した実だけを摘むように指導したなどの武勇伝まである。さらに、焙煎前に生豆を手で選別して欠陥豆を取り除く喫茶店のマスターまでいる。
プロの間ではきれいに摘んだ豆が美味しいことは広く知られているようだ。しかし、良い生豆を生産する方法を論じた本や論文はほとんどない。本書ではそこに焦点を当てた。良質の生豆を生産するには、コーヒーの木を健康に育て、健康に完熟した実だけを丁寧に摘むことに尽きる。美味しいコーヒーとはピッカーが作るものだ。
日本のコーヒーショップでコーヒーを頂くと、お店の人が、コーヒーの特徴を土壌や気候や標高や乾燥方法などをあげながら興奮して説明してくれる。偉い。自分の感動を伝えたいという姿勢は素晴らしい。しかし、きれいに摘まなければ、その感動的な特徴も、せっかくの土壌も気候も標高も品種も乾燥方法も台無しだ。収穫は基本中の基本。まず、きれいに摘んだコーヒーの味を語ってくれ。生豆の仕入れ段階までは、きれいに摘んだ豆を要求しながら、客に出す段になると、やれ産地だ、品種だ、標高だ、乾燥方法だの説明ばかりで、最も重要なきれいに摘んだ豆の味を顧客に伝えようとする意志が希薄だ。
しかも、首を傾げたくなる「常識」が語られる。例えば「肥沃な火山灰土壌」というコーヒー業界の常套文句。火山灰土壌といえば、戦後に改良方法が確立する以前は、日本の農民をさんざん苦しめた不良土だ。ご先祖様は、その不良性を克服するために土の上に水を張って稲作をしてきた。そんな我々の歴史をすっ飛ばして「肥沃な火山灰土壌」って、日本語として変でしょ。そんなことより、きれいに摘んだコーヒーを語ってくれ。
さて、生産者にとって、コーヒーの先物価格200Cents/lb以上が持続可能な水準らしい。長らく低迷した相場は、本書を執筆中は200セントを超えていた。しかし、たとえ200セントを超えても、充分な収入ではないことを本の中で考察した。その後、残念ながら相場は再び200セントを割り込んだ。前途多難だ。
一方、市況と並んでコーヒー農家の頭痛の種はピッカー不足。しかも、ピッカーは美味しいコーヒーの主役なのに、待遇は悪い。それに加えて、近年の世界的な人手不足。それは一時的現象ではなく、途上国の経済発展で、山間部のコーヒー生産地から都市への労働者の移動は長期的な趨勢と思われる。私はピッカーが可哀そうだから何とかしろと、人道主義の話をしているのではない。ピッカーを正当に扱わないと、コーヒーをきれいに摘んでくれなくなって、消費者が美味しいコーヒーを飲めなくなるという話をしている。美味しいコーヒーは崖っぷちだ。
ピッカーは美味しさの源泉。世界的な人手不足とコーヒーの味は関連している。願わくば、消費者にきれいに収穫したクリーンな味わいをもっと理解してもらいたい。なぜなら、消費者がきれいに摘んだコーヒーを生産者に要求しなければ、人手不足ゆえ、きれいに摘んでくれなくなる。すると、美味しいコーヒーを飲めなくなってしまう。そのことを、コーヒー業界と愛好家の皆様に考えてもらいたいと思い本書を執筆した。腰椎が潰れるまで、十五年間ひたすらコーヒーを摘み続けた偽らざる感想である。この機会を与えてくれた星田編集長に感謝。是非ご一読を。そして、いなほ書房からベストセラーを。
2023年3月 山岸秀彰

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2025/01/16   yamagishicoffee