農園便り

2019年11月20日

コーヒーの香りの表現について

雑誌「珈琲と文化」2019年秋号に拙稿が掲載されたので転載します。

 

コーヒーの香りは複雑で魅力的。袋を開けると素晴らしい香りがする。グラインダーで粉砕するとさらに香りは高まり、お湯を注ぐとまた新たな香りが立ち上がる。それを口に入れるとまた違った印象が浮かび上がる。誠に不思議な飲み物である。

ところで、昨年、コーヒーに関する日本のテレビ番組で、「Flavor(香り)」と誤訳しているのを見かけた。これはよくある誤解。英語のFlavorは味。香りではない。確かに、古英語では香りを意味したこともあるので英和辞典に香りという訳が載ってはいるが、現代では口に入れた際の感覚を指す。ただし、Taste(味)とは違う。Tasteは甘味 · 酸味 · 塩味 · 苦味 · うま味などの味を意味する。一方、FlavorはTaste(味)に、Aroma(香り)やMouthfeel(口当たり)を統合した感覚を表す。日本語の風味に近い。

身の回りの日用品にはFragranceやFlavorという単語がよく使われる。一般に、香水、石鹸、シャンプーなど口に入れない商品の香りはFragrance。一方、食品、歯磨きなど口に入れる物にはFlavorを使う。つまり、Flavorは口に入れた感覚。味と口から鼻に抜ける香り(レトロネーザルアロマ)が組み合わさったものである。逆に、口に入れない商品に対してはFlavorという単語は使わない。

ところが、日本でフレーバー・ソープなるものを見つけた。香り付き石鹸と言いたいのだろうが、これでは味付き石鹸だ。ハワイに持ち帰り、お土産に配ったら「日本人は石鹸を食べるのか?」と、とてもうけた。そこで、一応念のため食べてみた。封を開けるとイチゴミルクの良い香り。期待は高まる。口に入れたら、なんと本当にイチゴの味がした。最近は日本の石鹸は食べられるようになっているのかと感心して、調子に乗ってどんどん食べたら、気分が悪くなった。これには泡を食った。ブクブクブクー。やっぱり、石鹸を食べてはいけない。

 

Specialty Coffee Association(SCA)のカッピングの評価項目は10項目。最初の3項目は、1)Fragrance/Aroma(香り)、 2)Flavor(風味)、3)Aftertaste(後味)。

Flavorは前述のとおり味と香りと口当たりを統合したもの。そして、Aftertasteは、コーヒーを飲み込んで、香りや口当たりが消えていった後に残る味、余韻を意味する。

第一番目の香り。SCAはFragranceとAromaという2種類の香りを定義している。Fragranceがお湯を入れる前の挽いた粉の香り、Aromaはお湯を入れた後の香り。Dry Fragrance(乾いた香り)とWet Aroma(湿った香り)ともいう。カッピングでは、まず最初に、FragranceとAromaと2種類の香りを官能する。カッピングは通常35分位かけるなかで、FragranceとAromaに15分位を費やすのでかなりの時間だ。

まずは挽いた豆のDry Fragranceを官能する。その際、生豆の中の酵素(Enzymatic)に由来する香りを中心に探していく。Flavor wheel (SCA作成の香味一覧表)の中の、花(ローズティー、コーヒーの花、ハチミツ)、果物(レモン、アプリコット、リンゴ)、ハーブ(ジャガイモ、ハーブ、キュウリ)などを参考に自分の感想を記す。もちろん、香りは個々人の経験と感性によるので、この表に限らず、人によってまちまちとなる。

次にお湯を注いで、Wet Aromaを官能する。焙煎で糖分が焦がされて生成される物質に由来する香り(Sugar Browning)などを探す。キャラメル(バター、キャラメル、ローストピーナッツ)、ナッツ(アーモンド、ヘーゼルナッツ、ウォールナッツ)、チョコ(バニラ、トースト、ダークチョコ)などが代表。その他、長くなるので説明は省くが、Dry DistillationやAromatic Taintsを感じればそれも記す。

ところが、日常の英語ではFragranceとAromaの区別は曖昧。なぜ、SCAはその2単語をそう定義したかに興味がわき、ハワイのQ Grader(コーヒー鑑定士)仲間で議論してみた。こんな意見が出た。

まず、アル・パチーノ主演の映画「Scent of a Woman」のScentは人間や動物の体臭。一方、FragranceとAromaは花やフルーツや香料など植物によく使う。その際、FragranceとAromaに差はあまりない。セラピーもAroma TherapyともFragrance Therapyともいう。香水はFragranceをよく使うが、Aromaも可。色々例を挙げても、両者に違いはあまりない。

しかし、よくよく調べると、Fragranceは鼻から入る香りの一方向だが、Aromaは鼻から入る香りと口から鼻に抜ける香り(レトロネーザルアロマ)の2方向をカバーする。そう考えると、確かにAromaは料理に多く使う。生きた牛の臭いはScentだが、ステーキにするとAroma。Fragrantな香辛料をお湯に入れてかき回すと、素敵なAromaのスープができる。だから、SCAはお湯を入れる前のコーヒーがDry Fragranceで入れた後がWet Aromaと定義したのだろう。確かにFragranceは乾いた感じで、Aromaは湿った感じがする。

香水をつけた女性からは素敵なFragranceがするが、少し汗ばんだ体からはAromaが立ち上るという説も出た。なんだか話が色っぽくなってきた。

コーヒー畑から汗だくで帰って、妻に「どう、僕のAromaは?」と問うてみた。「うわっStinky!ゴホゴホゴホ。早くシャワー浴びて。」と答えが返ってきた。

 

さて、ここまで書いて、「香り」にはFragrance、Aroma、Scent、Stinkの4種類の英単語が登場した。その他、ざっと思いつくだけでも、Smell, Incense, Perfume, Odor, Stench, Reek, Rankなど多くの単語がる。それらは、それぞれ微妙に意味が異なる。一方、日本語だと「におい」と「かおり」の2語しか思いつかない。

「かおり」と訓読みする漢字を調べたら、香、芳、薫、馨、馥、芬、馝、飶、苾など、たくさんある。中国では別の単語なのに、日本ではすべて「かおり」と一括り。

日本には日本人は味覚に鋭敏だと信じる人が多い。食品総合研究所によると、日本語には味覚・食感表現が多いそうだ。英語の食感用語は77語に対し、フランス語は227語、日本語は何と445語にも上る。日本人が味覚に鋭い証拠としてネット等で引用される。それならば、嗅覚用語の少なさは、日本人が嗅覚に鈍感ということを意味するのだろうか。

米国人のQ Grader仲間とコーヒーを飲んだら苦かった。私がBitter(苦い)と言うと全員が賛成。しかも渋かった。渋いという英単語が思い浮かばないので、ピーナッツの皮のような味と言ったところ、”OK, Bitter”との返事。さらにえぐかった。火の通っていないナスと説明したところ、またもや”OK, Bitter”。なんでもBitterかよ。随分と大雑把なBitterだなあと思った。

ところが、彼らの嗅覚は鋭いし、表現が豊かだ。私にはチンプンカンプンだが、彼ら同士ではお互いに納得しあっている。私はお手上げだ。

医学的には、嗅覚は個人差がさほど大きくないそうだ(加齢とともに衰えるものの)。また、人種・民族間でも嗅覚に差はないらしい。我々日本人も香りを同じように知覚しているが、それを表現する用語が少ないのは、香りを積極的に言葉で表現する文化が希薄なのかもしれない。

日本の香り文化にお香がある。子供の頃、親に付き合わされたが、香りよりも雲母板に興味を引かれ、雲母板で火遊びをして叱られた。お香はそれきりで、何も知らないので香道を語る資格はないが、子供ながらに、お香の世界では、なぜ香りを「聞く」のだろうかと不思議だった。「嗅ぐ」は不粋とされる。「香」は、動物的な嗅覚ではなく、精神性を持って心で「聞く」のだそうだが、日本文化には嗅覚は卑しいという認識があるのか。

昨年、インド風の瞑想を学んだ。花と果物をお供えして、香を焚きながら瞑想をする。瞑想中に、花と果物の爽やかな香りにお香の香りが重なり、とてもリラックスした気分になる。また、香りを感じていると、意識がそこに留まり、雑念に飛び移って暴れるのを防げる感じがする。その時、そもそもお香とは、仏教と同様にインド伝来の文化だと気が付いた。インドはハーブや香辛料の国だ。

そういえば、日本にはハーブや香辛料が少ない。また、香り重視の嗜好品が少ない。欧州の嗜好品の紅茶やコーヒーは香りを楽しむ。中国茶もしかり。一方、日本の緑茶は香りも良いが、むしろ、旨味が特徴だ。

アルコールにしても、ワインは香りが命。だから丸みを帯びた筒状のグラスに少しだけ注ぎ、グラスをグルグルと回転させて、香りを楽しんでから、口に含む。一方、日本酒は器に、なみなみと注ぎ、さも嬉しそうに、オートットトトッーと唇を尖らせて口から迎えに行くのが、我々オッサンの礼儀作法だ。これでは香りを鑑賞する間もない。日本酒は香りよりも旨味の文化。酒と肴が互いの旨味を引き立て合うのが醍醐味だ。

日本人のウィスキーの飲み方もスコットランド人とは違う。彼らは”Don’t drink whisky without water”という。ただし、 ”Don’t drink water without whisky” とジョークが続く。ウィスキーも香りが命。一滴でもよいから水で割って香りを揮発させて飲む。ただし氷は香りが立たないのでダメ。なのに、日本では水割りに氷は入れるは、オンザロックで飲むはで、香りには無頓着。(涼しいスコットランドでは氷は必要ないが、蒸し暑い日本では氷を入れるのは理にはかなっている。)

SCAのFlavor wheelにキュウリがある。確かに、Greeny(青っぽく)、Grassy(草っぽい)なコーヒーの香りは存在する。私などは新鮮な感じがして好きだ。しかし、これをキュウリと表現する感覚は、たぶん日本人にはあまりない。日本ではキュウリはそのみずみずしさや食感を楽しむ。しかし、欧米人はその香りを愛でる。だから、サンドイッチにあんなに薄切りにしたキュウリを挟んだり、キュウリ入りのカクテルを飲んだりする。

コーヒーの審査員をしていると、紅茶、コーヒー、ワイン、ウィスキーではなく、若い頃からお酒とお茶とキュウリの浅漬けポリポリで味覚を形成した私は、香りを言葉で表現する訓練が欠けていると感じる。(いや、単にガサツな食生活の私が日本文化のせいにして申し訳ない。)

住宅から畳のい草臭やヒノキの香りは消え、通りのうなぎ屋はレトルトになり、スーパーには消臭グッズが並ぶ。日本は無臭化しているのだろうか。

最近はワイン業界をまねて、我々もコーヒーを様々な食品の香味で表現する。例えば、「このコーヒーはアプリコット、ローズティー、ブラックカラント、、、」など。しかし、一般の日本人からすれば、気取っていて、嫌味にさえ見える。別に、格好つけている訳ではない。そういう文化のそういう飲み物なのだ。大目に見てね。

 

 

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2019/11/20   yamagishicoffee