雑誌「珈琲と文化」に拙稿「コーヒーの収穫と唄声」が掲載されました
日本の銀行に勤めていた若い頃、上司がカラオケ好きで、金曜日ともなると朝の5時までお供した。私は歌が下手なので正直つらかった。当時はカラオケボックスなどない。他のグループの人の同席。他人の下手な歌を我慢して聴く上、褒めちぎって盛り上げねばならぬ。迷惑な話だ。
我慢して聞いている分には恥をかかずに済むので、隅で目立たぬようにしていると、「君も歌いなさい」と順番が回ってくる。万事休す。だが、こっちもサラリーマンの端くれ、固辞して座を白けさせる訳にはいかない。勇気を出して歌うことになる。恥ずかしさに酒が進む。さらに、2回3回と順番が回ってくる。「も~勘弁してください」と断りつつも、酒の勢いを借りてマイクを握ると、不思議なもので、だんだん気持ちがよくなる。仕舞には、ネクタイを頭に巻いて大騒ぎ。朝まで調子外れに歌いまくり、他人様に大迷惑を掛ける側に回る羽目になる。あれはよくない。
「流れくる 若き唄声 コナ休暇」コナの図書館でこの句を見つけた。かつて(1932~1969年)コナの小中高校では、コーヒーの収穫に合わせて、9~11月を夏休みとしていた。ハワイでもコナ地区だけ。これをコナ休暇と呼び、子供は5歳になると、大人に混じってコーヒー畑で働いた。この句は、家族総出の厳しい農作業を少しでも楽しくするために歌を歌った光景を詠んでいる。聞こえてくるのは、2世・3世の子供たちが歌う日本の童謡だろう。
確かに、現在80歳以上の日系3世は、日本の古い歌や民謡、童謡、演歌をよく知っている。両親・祖父母から畑で習ったそうだ。日系人のパーティーでは、興がのると、ウクレレが登場し、畑で覚えた日本の歌を老人たちが懐かしそうに歌う。中にはパパイアやココナッツの登場するハワイ風にアレンジした、へんてこな替え歌もある。若い世代は「何これ?」と首を傾げるが、歌っている当人たちは大笑いで、昔話で盛り上がる。さらには90歳の長老から「もっと、テンポ速く歌わんとコーヒー速くもげんぞ」と日本語で野次が飛んだりする(日系人はコーヒーを「摘む」ではなく、「もぐ」と言う)。
今や農業は機械化が進んだ。米国本土の農業は大規模化し、効率的に工業的な生産がなされる。日本の稲作も、田植えや稲刈りの風景は昔とは様変わり。機械化で農作業は格段に楽になった。ハワイ州のコーヒーにしても、マウイ島、オアフ島、カウアイ島のコーヒー農園は機械で収穫を行う。
しかし、コナのコーヒー収穫方法は100年前と変わらない。運搬がロバからトラックに変わったくらいで、収穫は相変わらず人の手でひとつひとつ摘み取る。山の斜面には収獲用の重機は入らない。そもそも、良質のコーヒーを生産するには手摘みでないと無理。
一説によると世界では3,000万人もの人がコーヒーを摘んでいるらしい。こんなにも多くの人数が生産に携わっている商品が他にあるだろうか。恐ろしく前近代的で労働集約的だが、良質なものを作るにはそうせざるを得ない。そういう作物なのだ。
現代のコナの日系人は4世・5世が中心。日系人は社会進出を果たし、生活をコーヒーに頼らずとも良くなった。先祖の苦労話を聞いて育った彼らには、もはやコーヒーは貧困の象徴。また、児童福祉の観点から9~11月のコナ休暇は半世紀も前に廃止された。日系人の家族総出の作業は消え、日本語の唄声もコーヒー農園からは消えていった。
日系人に代わって、現代の収穫はフィリピンやメキシコや中南米出身の労働者が行う。普段、米国本土で働いている彼らは、冬の収穫時期になるとコナに出稼ぎに来る。
彼らの中には、哲学者風に真面目な顔で摘んでいる人もいれば、陽気に仲間を笑わせながら摘んでいる人もいる。フィリピン人の摘む畑では、コーヒーの樹の向こうからタガログ語のラジオ放送で「いとしのエリー」が聞こえてくる。どうやら、「Honey, my love, so sweet♪」と、歌詞がエリーからハニーに変えられている。
メキシコ人の畑からは、スペイン語の歌声。畑のこっちから若者が1小節歌うと、向こうからそれを受けて、誰かが、また1小節続ける。そして、ゲラゲラ笑い、陽気に収穫作業が進行する。私にはチンプンカンプンだが、スペイン語の分かる妻によると、あの娘が可愛いとか、いやいや、あっちの娘の方が可愛い、など知り合いの女性たちの噂話を替え歌にしているらしい。
しばらくすると、宗教の時間が始まる。神父の説教がラジオから響く。皆、しわぶきひとつせずに黙々と聞き入りながら摘み続ける。神父の声と鳥の鳴き声以外は静寂が畑を包む。一時間もすると、また賑やかな音楽。「あの子は僕の心を奪っていったー♪」さすがラテン系だ。
数年前の大晦日のNHK紅白での美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は圧巻だったが、労働者の歌は日本に残っているのだろうか。日本人は何百年もの間、田植えや稲刈りの合間に歌ってきた。炭鉱や金山にも歌があった。民謡の起源だろう。
室町時代の屏風絵には田植えの横で田楽を踊っているものがある。(「月次風俗図屏風」 東京国立博物館)。コーヒー摘みだって、昔の田植えだって、歌でもなけりゃ、辛くてやってらんねぇーだろう。そもそも、田楽とは田植えに合わせて歌い踊るものが起源らしい。豆腐やこんにゃくの味噌焼きのことかと思っていた。
現代の水田では、田植え機やコンバインで、一人でドドドドドーとエンジン音を聞いているうちに作業は終了。皆で歌う暇などない。自動車工場のラインで歌に合わせて「エーンヤコーラ」と自動車を組み立てているとは思えない。丸の内のオフィスで業務中に「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」と植木等のように歌ったら、たとえ上司がその通りと納得していても、一応、叱られるだろう。
効率化が進むにつれ、労働の場から歌は消えていった。歌を失った我々は、代わりに仕事帰りにカラオケに通うこととなった。カラオケこそ田植え歌の嫡流、保守本流だ。だから、サラリーマンは手ぬぐいの代わりにネクタイを頭に巻いて歌うのだ。