珈琲と文化・夏号の原稿
珈琲と文化の2017年夏号に拙稿が掲載されたので転載します。
トランプ大統領が移民排斥政策を進めている。メキシコとの国境に壁を作るという。しかし、既にメキシコとの国境に壁はかなり存在する。2001年のテロ以降、警備が厳しくなり、アメリカへの密入国は困難である。
もう8年も前の事。友人のメキシコ人が親が病気になったので、メキシコへ一時帰国した。ところが、それきりなかなか戻ってこない。やがて事情が判明した。てっきりコナに合法的に滞在していたと思っていたが、実は不法移民だった。
親の病気が一段落し、昔のように国境を歩いて米国へ渡ろうとしたところ、国境には警備員がいて追い返された。昔と違う。そこで、国境突破ツアーに申し込んだ。3日間、ガイドと一緒に野宿をしながら命がけで砂漠を横断し、警備の薄いところを走り抜け、最後は鉄条網をよじ登る。だが、奥さんは当時は妊娠6ヶ月。命を賭けて砂漠を走れない。
そこで、そういう方にはお値段は張りますが、こちらのプランがございますと、業者から渡されたのが他人のパスポート。写真が似ているので、なりすまして飛行機で入国する作戦。彼女が入国したら彼が砂漠を横断する段取り。しかし、彼女は空港の入国検査でバレて捕まった。今後20年間は米国に入国しない旨の誓約書にサインし、送り返された。彼も米国行きを断念。故郷で靴屋を開業したが、治安が悪いのでハワイに戻りたいと、たまに便りが来る。
移民が来てこその米国。不法移民でさえ1,200万人もいるらしい。世界中には命がけで働かないと暮らせない国が多くあるし、こういう必死で働く移民が来るのが米国の強みだ。移民は米国の農業の屋台骨を支えている。移民がいなければ、誰が牛を解体するのか。誰がリンゴやイチゴやメロンを摘むのか。そして誰がコーヒーを摘むのだ。
テロ後の規制強化で15年も前から全米の農場で働くメキシコ人は減少している。若手の流入がなく、帰国者もいるので人数は減るし、そのまま15年分高齢化している。そこへもってきて最近の好景気。2017年5月の失業率は4.3%でほぼ完全雇用状態。つまり、非自発的失業者はほとんどいない状態。労働者数を増やさなければならない景気局面なのに、移民制限は米国の農業には打撃だ。
コナのコーヒー農園でも人手不足は深刻。移民が減っている上に、ハワイ州は空前の建設ラッシュ。ハワイの建設現場の平均時給は24ドル。中には時給30~40ドルとかの話が漏れ聞こえる。こんな高給を出されては、農園には人は来ない。昨年は人手不足で半分近くの実を木の上で腐らせた農園が続出した。
うちの農園もピッカー(収穫する人)確保に困難を極めた。さすがに不法移民は雇いたくない。ましてや、きれいな収穫がクリーンカップの秘訣というのが信条なので、他の農園とは摘み方が違う。人手不足の今日、私と一緒に私の基準で摘んでくれる人を見つけるのは至難の業だ。
ところで、2016年のノーベル経済学賞にMITのベント・ホルムストロム教授が選ばれた。私のイェール大留学時代の恩師。めでたしめでたし。当時イェール大学にはPrincipal-Agent理論の研究者が集まり、彼もその中心的人物だった。
経済主体をPrincipal(依頼人=雇い主)とAgent(代理人=雇われた者)に分けて考えると、代理人は依頼人に雇われたにもかかわらず、依頼人の利益よりも自らの利益を優先することがある。依頼人と代理人の例として、経営者と労働者(無責任なサラリーマン)、株主と経営者(株主軽視の経営)、企業と委託先(手抜きをする委託先)、政治家と官僚(官僚の横暴)、国民と政治家(国民不在の政治)など、様々なケースで代理人が依頼人の利益を犠牲にする行動をとる問題が発生する。代理人が依頼人の利益に沿って行動するような仕組みを考えるのがこの分野のテーマだ。
コーヒー農園主(依頼人)がピッカー(代理人)を雇う際にも構造的な問題がある。依頼人の私は良いコーヒーを作るのが目標。そのためにはコーヒーをきれいに摘むのが重要。一方、代理人のピッカーの多くは米本土からこの時期3か月間のみコナに渡ってくる季節労働者。たくさん摘んで稼ぐのが目的。丁寧に摘んでなんかはいられない。目標が違う。
昨年の始めに、あるピッカーのグループのリーダーが、何故うちの畑は害虫の被害がコナで一番少ないのか尋ねて来た。丁寧に摘むことが健康な畑の秘訣と説明すると、ぜひこの畑で摘みたいと言う。品質を重視する彼女の発言が気に入り彼女のグループを雇った。収穫シーズンが始まると彼女はピッカーを集めて連れて来た。
シーズンの最初は赤く熟した実が少ないので早く摘めない。そこで、時間給で払った。すると私が一日100ポンド程度摘むのに、彼女らは40ポンドぐらいしか摘まない。近所の主婦をかき集めて来たらしい。ほとんど素人の人もいる。お喋りしながらのんびり楽しくという感じだ。時間給では我々の利害は一致しない。これはいかん。
翌月は摘んだ重さで支払った。ただし、重さあたりの賃金を他の農園の5割増しにするので私と同じように丁寧に摘むよう頼んだ。5割増しが効いたのか、今度はプロのピッカーがたくさん来た。ところが、日に日に人数が減り、誰も来なくなった。他の農園では丁寧さは要求されないので、うちの農園の倍の量を摘めて、その方が得というのが理由。うちの農園の品質重視は分かるが、生活がかかっているので無理と言われた。彼女らを品質を顧みない心ないピッカーと恨むわけにはいかない。彼女らだって生きていくのに必死だ。いい加減な摘み方を許容する農園主にも責任がある。
村は空前のピッカー不足。他のグループを雇おうにも既に各農園が囲い込んでいるので今さら無理。私と妻の2人で夜明けから日暮れまで摘み続ける毎日。途方に暮れた。結局、見るに見かねた友人たちが手伝ってくれてなんとかなった。
Principal-Agent理論では、農園主はこういう問題を解決するような雇用・契約形態を考えなければならない。ホルムストロム教授の薫陶を受けた者として、一応、私だって無い知恵を絞ってはいる。
実は昨年、一昨年と永住権を持つメキシコ人のJ氏を雇っていた。彼をパートナーとして扱い、年間の利益を分配する約束をしていた。(実際には赤字続きなので、彼の貢献度に応じてボーナスを支払った。)
さらに、彼の為に5ヘクタールのノニ畑を買った。床面積200㎡で新築同様の立派な家付き。ノニとコーヒーは繁忙期が異なるので良い組み合わせ。彼には年間を通じて雇用を保障し、タダで家を提供し、その上、利益分配の約束もした。生活は保障したうえで、質の良いものを作れば彼の収入も増える仕組み。ここに彼と私の利害は一致した。恩師に褒めてもらえそうなPrincipal-Agent問題の解決方法だ。また大きな買い物をして黒字化が遠のいたが、納得のいくコーヒーを作るためには仕方がない。
ところが、昨年の収穫時期の直前にJ氏の兄が急死した。100キロを超える巨漢は目を真っ赤にはらしてメキシコへ帰って行った。しかし、それきり帰ってこない。どうやら兄の経営する先祖伝来の牧場を引き継ぐらしい。そこで、急遽、例のグループを雇って、前述のような顛末になった。ここまで尽くしたのに彼は帰ってこない。家まで買って赤字だけが増えていく。問題解決になっていない。ノーベル賞の理論じゃないのか?まさか「答えは風に吹かれている」というのが2016年のオチか?
その後、どうにか別の家族を確保した。今年の収穫は上手くいってほしいものだ。