農園便り

2016年10月7日

珈琲と文化・秋号の原稿を転載します(Qグレーダーの試験)

6月にホノルルへ行き、Coffee Quality Instituteが主催する3日間の研修と、それに続く3日間に渡る22の試験を受けて、妻と揃ってLicensed Q Graderの資格を取った。

コーヒーのカッピング(官能評価)の技術を測るもので、合格するとSCAA(Specialty Coffee Association of America)の評価基準・手順に従って、コーヒーに点数をつける資格を持つ。

 SCAAのカッピング基準はコーヒーの香味の多くの要素を客観的に評価することにより、コーヒーに関する共通の言語を発展させ、スペシャリティーコーヒーの普及に貢献した。また、カッピングは短時間に多くのコーヒーを評価でき、流通段階に携わる人々には便利な手法だ。

 流通業者ではない私には興味深い経験となった。私はコーヒーを飲む際に生産者あるいは消費者としての観点から嗜む。カッピング形式では飲まないし、評価基準も違う。

私の好きなコーヒーは雑味のないコーヒー。マグカップ一杯を30分程かけてゆっくり飲んでも、苦みや渋みやえぐみを感じないクリーンな余韻の残るコーヒー。口に残った雑味を消すために何かを口にせずにはいられない、あるいは歯を磨きたくなるようなコーヒーは感心しない。

しかし、この感覚はカッピングでは上手く感知できない。複数のコーヒーを次々と口に吸いこんで数秒で吐き出すことを繰り返すカッピングでは、一杯のコーヒーが時間をかけて口の中に雑味を累積して醸し出す不快な余韻を捕らえられない。たとえ私がカッピングをして、華やかな酸味と甘みが気に入り高い点数を付けても、それを、翌朝30分かけて飲むと、口の中に渋みが溜まってガッカリすることが多い。私が好きなコーヒーはカッピングで高得点のコーヒーとは違う。

私の評価法は全くの自己流だが、あながち的外れとは思えない。第一に世間にはコーヒーを飲めない人が多い。また、多くの人がコーヒーに砂糖やミルクを入れる。それは口の中に溜まっていく雑味が嫌だからだ。決してSCAAの評価項目、例えば、この酸味が気に入らないから、あるいはこのコクが気に入らないから砂糖を入れるという訳ではない。それほど、苦みや渋みやえぐみは人々をコーヒーから遠ざける重要な項目だ。

第二にそれが農家の努力を反映していると考えるからだ。時間をかけて飲んでも雑味を感じず良い余韻が続くコーヒーを作るためには、健康に完熟した実だけをきれいに摘まなければならない。そして、それは消費国の人が想像するよりもはるかに難しい。気が遠くなるほど難しい。私は自分でコーヒーを摘むが、農園主が自ら摘む農園はほとんど存在しない。低賃金の季節労働者が収穫の担い手だ。そして、季節労働者を雇って、きれいに収穫することは難しい。最高のコーヒーを作りたいと願う農園主はいても、最高のコーヒーを作りたいと思いながらコーヒーを摘む季節労働者はいない。だから、私好みの良い余韻が残るコーヒーに出会うことは稀だ。たとえ、COE(Cup of Excellence)1位のコーヒーでも感心しないものは多い。

私は農園での風景を想像しながら飲む。「これは収穫の仕方があまいな」とか「乾燥時に発酵しているな」とか、具体的な作業風景が浮かんでくる。そして、良い余韻が長時間残る雑味のないコーヒーに出会うと、この農園のピッカー達もなかなかやるなと彼らの努力に共感する。そんな飲み方をするのは私と妻ぐらいで、当然、世間は違う。ましてやQ GraderたちはSCAAの基準に則って評価する。私とは見方が違うので話がすれ違う。したがって、流通業者に普及したQ Graderの資格を取ることは私には意義のある体験だった。

 

今回の試験の受講者は7人。少人数で雰囲気の良いチームだった。加えて、前の週サンフランシスコで不合格だった人が追試を受けに来た。ハワイ州で試験が行われるのは初めてなので、ハワイでこの資格を持つ者はまだ僅かだ。オーストラリアやニュージーランドからも参加者があった。それらの国では受験までに1年以上のウェイティングリストがあるらしい。今回、ハワイでの開催を機に、休暇を兼ねて飛んできたそうだ。日本での試験は大人数だと聞く。英語に抵抗がなければ、少人数のハワイで受験したほうが断然有利だ。

ど素人の私にとって6日間のコースはとても集中力を要するストレスフルで苦しい体験だった。一度つまづくと、ストレスから雪だるま式に転げ落ちていく感じがした。そんななか、教官のJodi Wieserさんはとても親切で、我々がリラックスできるよう工夫してくれた。チーム内の協力的な雰囲気作りもしてくれた。解答用紙を提出したときに、合格だと明るく”All right!”言いながら解答用紙に大きくPass!と書いてくれる。ところが、不合格だとpuppy eyes(子犬の目)で悲しそうに見つめられる。あの優しい無垢なpuppy eyesが出たらアウトだと皆が恐れた。

 テストの詳細については私のホームページに記したので、本稿ではカッピングの実習試験に関して記す。カッピングは通常は中南米の水洗式マイルド、アジア、アフリカ、非水洗式(ナチュラル)の4セッションが行われる。しかし、今回は生産地ハワイでの開催だったので、授業ではハワイも加え、5セッションが行われた。試験では、受験者の希望も勘案し、中南米を除き、アジア、アフリカ、ナチュラル、ハワイの4セッションが行われた。

 最初の3日間はカッピングの実習を通じ、SCAAのカッピング・プロトコールを理解し、カッピングフォームを正しく記入できるよう学ぶ。各セッションごとにカッピングの後に、教官と生徒たちの間で、それぞれのコーヒーに関しての評価、意見を交換する。これを通じて、自分のスコアーが教官や他の生徒とのブレがなくなるようにする。つまり、SCAAの評価基準に自分の評価基準をすり合わせていくトレーニングである。

 私は実務としてのカッピング経験がないので、カッピング実習試験が最も不安だった。実際に初日の中南米水洗式マイルドの練習セッションで、大いなるショックを受け前途多難と感じた。教官が81.5点をつけたコーヒーに私は75.5と低い点を付けた。いくら何でも差が大きすぎる。私にはそのコーヒーを口に入れた瞬間、かすかだが発酵臭を感じた。

コーヒーの収穫は最長でも3週間以内に畑を一周して戻ってこないと実は過熟する。通常、コーヒーの産地は収穫期には雨が降らない。ところが、コナは収穫時期の乾期にも雨が数日降り続けることがある。収獲中に雨が続くとコーヒーの実は早く過熟するので、3週間のペースよりもペースを上げる必要がある。しかし、どうしても雨だとペースが落ちる。第一、中南米からの出稼ぎ労働者たちは雨の中では摘まない。それが彼らのしきたりだ。ましてやアメリカ人が摘むわけがない(そもそもアメリカ人は収穫作業をしない)。日本のJA全中(全国農業組合中央会)のHPを見ても、雨が降ったら農家の仕事はお休みと書いてある。

しかし、山岸農園では雨でも歯を食いしばって摘む。もし休んでペースが落ちると過熟した実が発酵を始めてワイン醸造所のような臭いがしてくる。それだけは避けたい。最悪の場合カビが生える。カビ臭のするカップは強烈で最悪だ。そうならないように、ずぶ濡れになって体が芯まで冷え切って震えが止まらなくなっても、寒さで指がかじかんでうまく動かなくなっても、コーヒーを摘み続けるのだ。発酵しないよう戦い続けているのだ。だから、コーヒーを飲んだ際に発酵臭が僅かでもすると、私は許せない。それをワイニーなどと呼び、ポジティブに評価することはできない。おそらく、ガタガタ震えながらコーヒーを摘んだ経験のない人は、否定的には感じないかもしれない。むしろフルーティーに感じる人も多いだろう。

そもそも、発酵した過熟豆は水に浮くので、ウェットミルできちんとフローターを取り除けば、ほとんどを除去できる。しかし、山岸農園ではウェットミルが最後の頼みの綱となるのは嫌なので、収穫の段階から過熟豆が混入しないように努力している。ましてや、コーヒーカップの中までそれが届くということは、収穫をすり抜け、ウェットミルもすり抜けてきたということだ。やはり、私には受け入れがたい。生産上の瑕疵を、ワイニーとかフルーティーとかの言葉で飾って物珍しさを逆手にとる米国式マーケティング戦略には加担できない。

私が75.5点を付けたコーヒーも私が雨の中で泣きながら摘んでいる時の臭いがした。(実際には雨の時はあまり臭いを感じない。雨の止んだ後に感じる)。この類のコーヒーは、日本のスペシャリティーコーヒーの店でもよく出てくる曲者だ。COEも取っているフルーティーでワイニーな逸品ですと店主が喜んで出してくるあの曲者だ。

 その日、私は教官に噛み付いた。山岸農園がこんなコーヒーを作ったら、私はコーヒー作りを辞めるとまで主張した。しかし、教官はこれは好ましいコーヒーで発酵臭はしないと主張し、議論は全くかみ合わなかった。初日から私はクラスの問題児となった。

SCAAによると収穫時や収穫後の精製の過程で発酵して酢酸が生成されても、酢酸はごく微量であれば、好ましい酸味を与えるといわれる。私は過度に気にしすぎなのかもしれない。あるいは、私が発酵臭と感じ、教官が好ましいとしている香りは、実際は発酵臭でも何でもない他の物かもしれない。ただ、私はその臭いが少しでもすると雨を思い出して不快になる。

その日は暗澹たる気分でホテルに帰ったが、かえって、これで吹っ切れた。この一週間に限っては、生産者としてのこだわり、良心、美学を捨てる覚悟ができた。そもそも、それが目的でこのコースに参加しているのだ。あのコーヒーをフルーティーでワイニーと呼ぶ覚悟ができた瞬間だった。

 その覚悟ができると、2日目以降は、徐々に教官の評価にすり寄ることができるようになった。自分のカッピングの点数が世間とかけ離れない配点具合を習得できた。

 そうしてみると、スペシャリティーコーヒーの基準となる80点というのは、今まで思っていたハードルとは違った。これまで、あちらこちらのコーヒーショップに行っては「こんなコーヒー出しやがって」と勝手に憤慨していたが、ああいうのもスペシャルティーで、そういう見方もあるんですね。ごめんなさい。

例の発酵臭の感覚はナチュラルのコーヒーにもよくある。よって、ナチュラルのセッションは苦労した。そもそも、山岸コーヒーはとてもシンプルなコーヒーだ。きれいに育てて、きれいに収穫する。悪いことを排除して作る。だから、どちらかというと引き算だ。あくを丁寧に取り続ける日本料理のようなものだ。昆布だしの美学だ。一方、ナチュラルは、あくにあくを重ねていくフランス料理のようなものだ。私にとっては、そういうコーヒーは情報量が多すぎるし、ボラティリティーが高すぎて、脳がとても混乱する。SCAAはそれをComplex(複雑)といって、ポジティブに評価するが、私はどうしても頭が混乱する。

しかし、逆に世間にはこういうコーヒーが好きな人は多い。彼らには山岸コーヒーは刺激がなく退屈なコーヒーと感じるかもしれない。自分で言うのもなんだが、山岸コーヒーはけれん味のないコーヒーだ。そう、けれん味がないのだ。ティピカ種をコナという最高のテロワールで育て、きれいに手摘みし、水洗して、天日(日陰)で干したコーヒーだ。コーヒーとはかくあるべし、コーヒー本来の香味だ。しかし、アメリカ人はけれん味が大好きだ。珍しいもの、ファンキーなものが好まれ高得点を取る。ファンキーな人の集まるコーヒー業界ではなおさらだ。

 

初日からSCAA方式に戸惑ったが、どうにかカッピングの点数をSCAAの基準に近づけることができた。しかし、終わってみると、やはりSCAAの基準に納得がいかない点も残った。

前述のとおり、山岸農園のコーヒーはクリーンさと甘さが信条だ。30分間良い余韻が残るほど雑味の少ないコーヒーだ。それを目標に一年間の苦労がある。クリーンさは、いかに健康に育て、きれいに収穫し精製するかが勝負。特にきれいに摘むことは最も重要。だから、山岸農園では、我々農園主が中心になって摘む。季節労働者に収穫作業を丸投げしたりはしない。クリーンカップは農家とピッカーの通信簿だ。ところが、SCAA基準だと、クリーンカップの項目はカビ臭などコーヒー以外の物に由来する香味があった場合に減点する項目で、大抵のスペシャリティーコーヒーは10点満点となる。

甘味に関しても、丁寧に育ててコーヒーの木のストレスを減らして、実がゆっくりと成熟するような工夫を重ねて、さらに完熟した実だけを丁寧に摘み取ることが秘訣だ。これも農家の一年間の努力の結晶だ。一方、SCAA基準だと濃度0.5%の砂糖水よりも甘ければよい。これもほとんどのスペシャリティーコーヒーが10点満点だ。

よって、農園がコーヒーの生産過程で一番難しい収穫のところで努力して、傑出したクリーンで甘いコーヒーを作ったところで、それが評価される仕組みになっていない。そういうコーヒーに両項目とも15点くらいの点数を付けたいところだが、それはかなわない。現状の評価方法だと、生産者にきれいな収穫をさせる動機が働かないと危惧する。だから、いつまでたっても収穫は季節労働者を信じられないほどの低賃金で雇うプランテーション時代からの収穫軽視の慣行が続く。日当たり、風通し、剪定、施肥など畑の設計や運営上の工夫、あるいは、セミナチュラル、天日干し、日陰干しなど乾燥・精製での工夫を語る農園主は多いが、それらよりも比較にならないくらい重要な工程、つまり、きれいに摘むための工夫を語る農園主は少ない。自分で摘まないから分からないのだ。ただ季節労働者に完熟豆だけを摘めと命令するくらいしか思いつかないのだろう。

最後になるが、SCAA基準に対する最大の不満を申し上げる。その基準たるや何が目的か不明だし不愉快でさえある。つまり、SCAAはカッピングテーブルの高さを42インチから46インチと定めている。今回の試験会場のテーブルはその上限の46インチだった。これだと奥の2列目のカップの臭いを嗅ごうにも、私には届かない。背伸びのし過ぎでふくらはぎが痛い。子供用の踏み台を持ってきてもらったが、すぐに他のアジア系女性の専用となってしまった。

SCAAのこういうアメリカ的な上から目線の態度はぜひ改めてもらいたいものだ。えっ?私の目の位置が低すぎるって?んん~。。。。

 

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2016/10/07   yamagishicoffee