コナコーヒー農園便り 2015年12月号 世界一のコーヒー
【山岸農園カップコメント】
クリーンカップ、
甘味(スイート)、
チョコレート、果実の甘さ、
ラズベリー、ブラックカレント、
スムース、赤りんごの酸味
かつて私はウォール街でFund of Hedge Fundsの運用をしていた。2000年、ITバブル破裂の思惑が的中。世界同時株安の中でも2桁の利益を上げた。おそらく、あの年は同様のタイプの運用では世界一だったと思う。だが、良い事は長くは続かない。翌年9月11日の同時多発テロでオフィスを失い、1年間プリンストンに移転。片道3時間の通勤は辛い。部下のアナリスト達はヘッドハンターの標的となった。多くの友が去り、グループは崩壊。運用成績も低迷した。世界一を維持するのは、とても難しい。
ところで、私のコーヒーは世界一の品質。シアトルや東京のサードウェーブ系の店を回っても、これほどのコーヒーに出会うことはない。コーヒーの生産を始めて、たった8年で世界一。どうしたことか。実はこれには裏がある。
私はクリーンカップは農家の努力の通信簿と思うので、その観点からコーヒーを評価する。コーヒーの専門家はそのような評価をしない。つまり、私は勝手に世間とは違った評価をし、自分のが一番と悦に入っている。究極の手前味噌だ。
例えば、専門家はナッツやチョコレートのフレーバー、シトラスのような甘み、フローラルな香りなどと、コーヒーの特徴を評価する。あれくらい繊細な感覚があればこそプロだと感心する。私なんぞは、ワインのセミナーで、ラズベリー、シナモン、アーモンドなどと香味の特徴を書くところを、すべてブドウと書いて提出したくらいで、お恥ずかしい限りだ。だって、本当にブドウの味がしたんだ。絶対にブドウだ。自信がある。
しかし、クリーンカップ重視は、あながち的外れでもない。コーヒーが飲めない人は渋み、えぐ味などの雑味があるから飲めないのだ。酸味が赤りんごでなく青りんごだから、これは飲めないという訳ではない。健康に育て、完熟した実だけを摘むとクリーンな香味が生まれる。農家の努力の結晶だ。だから、生産者の私はクリーンカップ至上主義を標榜する。
農園主である私と妻は、自分らが中心にコーヒーを摘む。一般に日本で流通するコーヒーで、農園主が自ら摘むコーヒーはない。コーヒー摘みは肉体的、精神的に辛いので誰もやりたくない。すべて、季節労働者か機械が摘む。これではきれいな収穫は難しい。
加えて、品種がティピカ種。ティピカ種は最高品質の品種だが、病害に弱く、生産量も少ないうえに、手間がかかる。だから、世界中、品質を犠牲にして、生産効率の高い品種を育てる。ティピカは、コナやブルーマウンテンなどに残るだけ。ティピカを丁寧に手摘みし、きれいに水洗し、天日乾燥したものはコーヒーの保守本流。コーヒー本来の味だ。
日本のコーヒー関連の本には、焙煎や抽出のこだわりの工夫が100ページ以上に渡って語られる。しかし、大抵は最後に、良質の豆を入手することがもっとも重要だとあるが、良質の豆を生産する方法の記述はない。焙煎や抽出のこだわりは研究が進んで、改良の余地は少ないだろう。しかし、コーヒー畑では、工夫の余地が山のように残っている。私がちょっと工夫しただけで世界一と自画自賛できるのはそういうことだ。畑は宝の山だ。
かつてコナの日本人移民が世界で一番、生真面目にやったからこそ、今でもコナコーヒーは他国よりも高価格で取引される。日本人的気質はコーヒーに向いているかもしれない。コブラジルでもコーヒーは日本人移民が作り上げた。我こそは、世界一のコーヒーを生産したいと思う方は、どうぞハワイ島コナへ。