コナコーヒー農園便り 2014年4月号
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の木の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」梶井基次郎はこの短編小説のなかで、醜(死)と対比させることで、美(生)を鮮烈に描写している。私も若い頃、夜桜見物に行って、公園の明かりの下に満開の桜を見た時に、本当にそんな怪しい気がした。
コナのコーヒーも今が花の季節。白い花が満開に咲くと、コーヒー畑全体が白く見える。まるで雪が降ったようで、これをコナスノーと呼ぶ。桜に負けず美しい。ハワイにはソメイヨシノはないので、昔の日系移民は、コーヒーの花で花見をしたそうだ。
よく人から、農作物を育てると、心が癒されるでしょうと問われる。確かにそうだ。しかし、よく考えると、農業は殺りくの繰り返し。選ばれた物だけが育てられ、選ばれなかったものは排除される。私の畑ではコーヒーの木と下草の芝生が選ばれし植物で、それ以外は雑草とみなされ皆殺しだ。哀れ雑草たちは自分を雑草とは思っていないだろうが、お構いなし。芝刈り機トラクターでガンガン刈る。刈られた雑草の死骸はやがて腐敗し栄養素に分解され、コーヒーの木の根がそれを吸い取る。そうやってコーヒーが順調に育っていくのを見ると、心が癒されるという構図だ。罪なものだ。
4年前にCBB(Coffee Berry Borer)という害虫がコナに上陸した。中南米ではブロカとも呼ばれ、コーヒーの大敵だ。世界中のコーヒー産地に存在し、地理的に隔絶されたハワイにはいなかったのだが、ついに来た。コーヒーの実に50-100個の卵を産み、実の中で成虫し、5週間で世代交代する。5週間で50倍と仮定すると、10週間で2,500倍、6ヶ月間で3億倍の計算になる。何も対策を採らずにいると畑は全滅する。近年コナコーヒーが品薄になったのはこれが原因。コナではBeauveria Bassianaというカビの胞子を散布する。これは自然界に普通に存在する白カビの一種で、昆虫類に取り付き昆虫を殺す。コナの農家は皆このカビをまいて害虫と戦っている。
私の畑はコナコーヒー農家700軒の中で、この害虫の被害率が最も少ない。その理由は、カビの散布以外にも、春から秋にかけて、5週間に1度の割合で、畑の中の全ての木の、全ての枝の、全ての実を見て虫食いの実を取り除くからだ。2エーカーの畑には1千万個以上の実があるので、根気と忍耐力を要する手作業。こんな事をするのはうちだけで、他の農家からはクレージー扱いだ。これまで何人か雇ってやらせてみたが、誰も二度と戻ってこない。私は子供の頃からクラブ活動で無意味なしごきに耐え、日本企業のサラリーマンという常軌を逸した忍耐力が求められる経験をかいくぐっているので、この作業がこなせるが、ハワイの普通の人にはなかなか難しい。
私はコナで一番まじめに害虫と戦っているわけだが、虫の側から見れば、とんでもない悪党だ。もし、この虫が進化し文明を持ったら、私は即、逮捕され、裁判で間違いなく死刑だ。実の中に卵を100個抱えた雌が50匹いたら、その実を一つ取っただけで5,000以上の命を奪っている。それを何千個も取る。いくらコーヒーを守る為とはいえ、妊婦の大量虐殺では虫の裁判官閣下や陪審員の心証はすこぶる悪い。情状酌量の余地はない。
虫に気の毒なので、「虫の進入禁止」の張り紙を畑に掲げ、虫の自己責任を喚起したが効果はない。どうやら日本語が読めないようだ。次回は英語にしてみよう。
多くの生命の死を経て、あのなんとも美しい香味を持ったコーヒーが生まれる。これは信じていいことなんだよ。