SCA アメリカ人の味覚(その1)
SCA (Specialty Coffee Association) はコーヒーのカッピングの基準を策定している。これに対して「SCA基準はコーヒーの好みの偏った人々が作ったから」との批判を伺ったことがある。なんだか奥歯にものが挟まったような言い方だ。本音は「味覚音痴のアメリカ人の言うことなんかに、いちいち付き合ってらんねえ」てな具合だろう。確かに在米30年超の私でもアメリカの食文化には驚く。
私の経験からすると、アメリカ人の味覚の興味深い特徴の一つとして、量が多いことが美味しさの条件である。同僚や友人が「あのレストランは美味しい(The food is good!)」と薦める店は、たいていは量が多い。
私がマンハッタンに住んでいた頃、近所のパンケーキ屋はいつも長蛇の列。厚手のパンケーキが6枚重ね。フレンチトーストなどは食パン一斤がまるごと皿の上に乗って出て来た。それを平らげながら知人が言うには、フランス料理や和食のように小さなものをチマチマ出されると食べた気がせず、皿から溢れんばかりにドッカンと乗った食べ物と格闘するのが美味しいらしい。私が思うに、アメリカ人がビッグマックをこよなく愛するのは、口に入らないぐらい大きいからだ。
コーヒーも、アメリカ生まれのラテアートは見た目で勝負。加えて、表面張力への挑戦。溢れんばかりの状態が「美味しいコーヒー(Good coffee)」を暗示する。
普通のコーヒーもコーヒーショップでは大きなマグカップ。しかもカップの淵までなみなみと注ぐ。おまけのサービスというよりも、店員さんは、「最後にコーヒーを美味しくするためのひと工夫」と真摯に誠意を示しているものと推測される。こぼれないようにそっとマグカップを手渡す際にニコッと見せる自慢気な笑顔にそれを見て取れる。
渡米したばかりの頃は、そんな真心も気づかずに、「おーとっとっと、溢れて指でも火傷しちまったら、いってぇ、どうしてくれるんでぇ。」と腹を立てた。今では、大人げなかったと反省している。溢れるのはコーヒーではなく誠意。量が多いことが美味しさの条件という立場にたてば、そのことに理解が及ぶ。
マクドナルドのドライブスルーでコーヒーをこぼして火傷をしたと、マクドナルドを訴えた女性の話は、アメリカの訴訟社会の例として頻繁に引用される。しかし、あれは、コーヒーを美味しくするためにカップの淵まで溢れんばかりに入れると、こぼれ易いという物語でもある。行き過ぎた誠意は誤解を生むという教訓でもある。
まあ、味覚は人・国それぞれだから良いんだけど、ビッグマック好きがビッグマックインデックスなるものにまで高じると忌々しい。これは世界各国でのビッグマックの値段を比較して、その国の物価水準を推定する経済指標。いくらアメリカ人が世界一美味しい食べ物と誇ろうとも、日本人はあんな巨大で食べにくい物には食指は伸びないから、値段は米国より安い。ただでさえ、デフレで苦労しているのに、ビッグマックインデックスだと、日本の物価は、より下振れして見える。迷惑この上ない。
そんなアメリカ人だが、スペシャリティーコーヒーがアメリカ生まれと軽んじてはいけない。SCAのカッピング基準は問題も多いが、画期的な意味がある。それは、焙煎や抽出の差を排除することによって、生豆の価値を評価しようとするもの。そこには丁寧に生産されたコーヒーに高い点数を与えようとする思想がある。農園で働く人々を評価する。それがスペシャリティーコーヒーの真価だ。決して、カップやロゴがスタイリッシュだとか、目の前で淹れるパフォーマンスがカッコイイという事ではない。(来月号に続く)