農園便り

2020年12月2日

美味しいコーヒーとは その2

先月号で、美味しいとは、口に入れて好ましいと脳が感じる個人的な経験と述べたが、コーヒー愛好家の間の苦味派と酸味派の論争は実に興味深い。一方、喫茶店や焙煎士など日本のコーヒー業界では、苦味も酸味も個人の嗜好の問題であり、どちらが正しくてどちらが間違っているということはないとする意見が大勢を占めている。

この態度は理にかなっている。自由市場経済では消費者は常に正しい。マーケッティングの基本は消費者に寄り添う事。世間に苦味派と酸味派が拮抗している以上は、両者を立て、それぞれ個人の好みの問題と整理するのが上策。

素晴らしいコーヒーとは、政府、学者、有識者、SCA、コーヒー鑑定士、有機認証団体、テレビ番組、雑誌のコーヒー特集、芸能人、著名人などの特定の団体、権威、人物が決めるものではなく、消費者がそれを好むか否かで決まる。苦味も酸味も客が好きなら、どちらも正しい。私が消費者に向かって、山岸農園のコーヒーを美味しいと感じなければ、お前は間違っていると諭しても売り上げは伸びない。それが資本主義のルールだ。

これが経済体制が違えば、事情は異なるかもしれない。仮に毛沢東主席が「山岸農園は農園主が収穫する。プランテーションとは違う。農民階級の味方。しかもプランテーションのコーヒーより旨い。アイヤー!コーヒーをアウフヘーベン(止揚)しているのことあるよ」と呟けば、紅衛兵らが毛主席語録を頭上に掲げ、「山岸珈琲(シャンアンカーフェイ)」と連呼しながら街中を行進し、農民を搾取するプランテーション農園のコーヒーを飲む人々を吊し上げ、農村へ下放するような事が起きるかもしれない。しかし、我々が生きる自由市場経済では絶対に起きない。

消費者は常に正しい。しかし、生産者の私に向かって、お前のコーヒーは酸味や甘味が出しゃばりすぎで、ガツンとした苦味がないと批判されても困る(深煎りで苦味が出るのは良いが、ミディアムでも苦いのはダメ)。だったら、私が、わざと一般のコーヒー農園同様に、つまり、コーヒーに適さない土地に品種改良したコーヒーを無理やり植えて、いい加減に育てて、木が弱っても気にせず、農薬をいっぱい使って木を痛めつけて、乱暴に収穫して、適当に精製すれば、あの世間に溢れかえる苦いコーヒーができますが、あなたは嬉しいですか、としかお答えできない。

ある年、畑の一部がカイガラムシの被害にあった。農務省のマニュアルに従い、植物油と石鹸水と混ぜて水に希釈して噴霧した。カイガラムシはかなり死んだが、葉や実が茶色に焼けた。弱った木のコーヒーはきれいに成熟しなかった。比重が軽く甘味が足りない。まろやかな甘い酸味の源であるリンゴ酸が充分に生成されない。逆に、苦味が出た。雑味もある。そのエリアのコーヒーは使い物にならなかった。病害虫の対処には苦労する。

栽培にそんな手間ひまかけずとも、苦い粗悪品でも、砂糖やミルクを入れて飲めば良いということで世界のコーヒー市場は長いことやってきた。生産国は質より量やコストを重視してきた。消費者も砂糖やミルクを入れて飲みやすいように工夫してきた。飲みやすい焙煎の仕方、飲みやすい抽出の仕方に職人たちは情熱を傾けた。そういった飲み方の工夫は多様なコーヒー文化を育んだ。苦味を積極的に楽しむ人々も現れた。それも立派な文化だ。しかし、スペシャリティーコーヒーの登場で、農家が注意深く栽培収穫すれば、コーヒー自体の酸味や甘味が美味しいことを提示する農家が増えて来た。

確かに美味しいコーヒーとは消費者が決める問題だ。でも、今度、酸味のきれいなコーヒーに出会ったら、大切に育てているんだなと思いを馳せていただきたい。その連想が脳を気持ち良くさせるかも。ねっ、おいしいでしょ。        

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2020/12/02   yamagishicoffee