農園便り

2019年1月3日

コーヒー畑とニワトリ

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ビアトリクス・ポターの物語「あひるのジマイマのお話」。ジマイマは卵を産んでも飼い主に取られてしまう。義姉のレベッカからは「私は卵を抱える忍耐力はないね。あんたもないよ」と言われながらも、自分で卵を孵したいと願うあひるのジマイマ。

ピーターラビットが代表作のポター。英国の湖水地方の農場に住み、周りの動物たちの絵本の物語をいくつも残している。ハワイ島コナも湖水地方なみに田舎。うちの畑にもさまざまな動物がいる。鶏、七面鳥、フクロウ、野豚、ネズミ、マングースなど。近所で犬を飼っていないのはうちだけなので、動物が集まるのだろう。東京育ちの私にとっては、そういった動物に囲まれた農園生活は発見が多い。

うちの畑の鶏には2つのグループがある。一つは野生の家族。もう一つは道を挟んで隣の家が放し飼いしている鶏のグループ。

野生の鶏家族はすばしっこい。すぐに逃げる。痩せて足が速く、20m以内に近づくのは不可能。ロッキーでも捕まえられない。唯一近づけるのは雌がコーヒーの木の下でひとりで卵を抱えている場合。3週間も、ほとんど食べずに卵の上にじっと座り続ける。雨が降っても座っている。そばを通ると、こっちを見ながら警戒するが逃げたりはしない。

やがて、卵が孵る。12~3羽はいる。すぐに巣を離れ、ヒヨコを引き連れながら畑の中を行進する。しかし、畑にはマングースがいるし、空には鷹。毎週、行進するヒヨコの数が減っていき、大人になるのは1羽か2羽。野生の鶏の生活は楽ではない。

一方、お隣さんの鶏はたっぷりと餌を貰っているらしく、丸々と太っている。太りすぎで走れない。昼間はうちの畑に入ってきて、コーヒーの木の根元を掘り返して虫を食べる。コーヒーを摘んでいると、よちよちと足元に集まってくる。餌を与えるわけでもないのに、人を見ると、食べ物を貰えると思うらしい。

一日中纏わりつかれる。気にはならないが、がっかりすることが一つ。夕方、暗くなり始める前、もうひと頑張りとコーヒーを摘んでいると、「お疲れ様」とか「お先に」とかの挨拶もなく、「コココー」とか言いながら道を渡って隣の家に帰っていく。世代間の違いだろうか、一緒に残業して頑張ろうとかいう気持ちはないらしい。

ある日、コーヒーを摘んでいると、足元で、2羽が立て続けに「ココココココッ、コケー!ココココココッ、コケー!」とけたたましく鳴いた。よく見ると、コーヒーの木の下に2か所、卵が10数個ずつある。知らなかったが、この定番の鳴き声は雌鶏が卵を産んだ時の叫び声で万国共通だそうだ。

お隣の飼い主には内緒で、こんなところで姉妹で仲良く産んで、あひるのジマイマみたいに自分で卵を孵したいのか。それは、お疲れ様と思い、バナナの皮をやると、すぐに巣から立ち上がり食べにくる。卵を抱えた野生の雌鶏とは大違い。

よく見ると、頻繁に出歩く。ジマイマと同じで忍耐力がない。そんなに出歩いて卵は大丈夫かと心配していると、夕方、私がまだ摘んでいるのに、「コココー」と言いながら隣の家に帰って行った。おいおい、卵があっても帰るのか?夜はほったらかしかよ。

やっぱり卵は孵らなかった。知らなかったが、野生と違って、家禽は外で卵を孵せないんだ。安全快適で食糧豊富な家があるから、わざわざ外で敵に怯えながら3週間も飲まず食わずで卵を抱えたりしないんだ。「あひるのジマイマ」は当時の子供の読者もそれを知っていることを前提に書かれた物語なのかも。’Jemima Puddle-duck said that it was because of her nerves; but she had always been a bad sitter. ’(ジマイマは神経質になっていたからというけれど、実は卵を抱えるのが下手なんです)

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2019/01/03   yamagishicoffee