農園便り

2018年12月13日

雑誌「珈琲と文化」2018年秋号の原稿

雑誌「珈琲と文化」2018年秋号に拙稿が掲載されたので転載します。

 

数年前に妻とブラジルへ行き、コーヒー農園を視察した。コーヒーは国・地域によって、栽培や精製の仕方が違う。それは気候の違いによるところが大きい。ブラジルはコナよりも乾期と雨期の区別がはっきりして、収穫時期は短い。実の熟度が揃うので、機械収獲が可能。また、収穫期に雨が少なく非水洗式(ナチュラル)が一般的に行われる。一方、コナは収穫時期が長く、熟度が揃わない。機械収獲には向かない。収穫時期にも雨が降るので、水洗式が主流。非水洗式だとカビがはえる。先人たちが長い年月をかけて、それぞれの気候に合ったやり方を選んできたため、産地により生産方法は様々である。産地の空気を吸って、空気の温度、湿り気、風向きなどを感じて、なぜ、その産地がその生産方式をとるに至ったかを考えるのは楽しみである。その上、ブラジル旅行では伝染病に感染して貴重な体験もした。

 

ブラジルへ出発する前に肝炎と腸チフスの予防注射をした。旅行中に病気になっては困る。また、ブラジルには黄熱病、デング熱、ジカ熱、チクングニア熱など蚊が媒体で感染する病気がある。滞在中は長袖、長ズボン。半そでの場合は虫除けのスプレーをして、充分注意をしていた。

食事もサラダや生水は避けた。しかし、ブラジルといえばフルーツと肉。しかも美味。毎食、フルーツ、肉、フルーツ、肉、フルーツ、肉、肉、肉、にく~、という感じ。おなかをさすって「も~、まんぞく、まんぞく!」という生活を続けた。

こんなに食べてばかりでは体に悪い。健康に良かれと、旅の中盤にホテルの室内ジムに行った。半ズボンで運動していたら蚊に刺された。それがブラジル滞在中に刺された唯一だった。

 2週間の滞在も無事に終わり、ハワイへ帰国した。さすがに、帰りの22時間のフライトは体にこたえた。飛行機を降りたときから具合が悪く、荷物が出てくる間も立っていられない。体中が痛く、食欲がない。熱もあり、寝込んでしまった。

 病院に行こうかと思ったが、アメリカの病院では39.4度以下(華氏103度)は受け付けない。NY時代に、高熱で病院へ行った。受付で測ると39度。待合室で3時間以上も放置された。その間に、41度を越え、倒れて歯をガチガチいわしていたら、やっと中に入れてもらえた。うかつに病院に行って酷い目にあった経験がトラウマになっている。

数日間、フラフラしながら過ごした。3日目に畑に出て炎天下で草むしりをしたら、たちまち具合が悪くなった。妻に病院に連れて行ってくれと頼んだら、「大げさなんだから。単なる時差ボケ。おとなしく家で寝ていれば治るんじゃない?」と取り合ってくれない。

4日目に耐え切れなくなった。体中が痛くてだるい。40度を越える発熱に下痢。しかし、咳がでない。ベッドから起き上がれない。やっとのことで5m先のトイレに行っても戻れない。ただ事ではないと感じた。妻を説得して病院まで運転してもらった。

緊急病棟で検査した結果、高熱のうえ、白血球と血小板の減少に肝機能の低下があり、黄熱病かデング熱かチクングニア熱などのウィルス性疾患らしい。当直の若い女医は、「これはなんだ?」と電話帳2冊分ぐらいの厚さの医療マニュアルを盛んにめくりながら、CDC(アメリカ疾病管理予防センター)に電話して相談している。その結果、黄熱病が疑われるとの診断が下った。

黄熱病といえば、致死率5割以上。観光立国ハワイに上陸したら大変な騒ぎである。もちろん、ハワイ初の症例で、女医も対処の仕方など分からない。

 黄熱病と聞き、一気に具合が悪くなった。温めた毛布を7枚かけてもガタガタ震えが止まらない。ほとんど体の抵抗力がなく、輸血が必要なほど危険な状態。急遽、ホノルルの大病院へ空輸された。ハワイ島の病院では処置できない緊急の患者の為に、エアー・アンビュランス(小型ジェット機の救急車)がある。

 当日宿直のパイロットと看護師は黄熱病の予防接種を受けていないので、接種済みの非番の人が急遽呼び出された。飛行機の中は集中治療室のような設備。ワイメア空港を出発し、ホノルル空港へ着陸する際には、最優先で滑走路へ直行。その間、観光客を乗せた大型旅客機が何機も飛行場の周りを旋回・待機。通常の旅客便だとコナからホノルルは40分位だが、この小型ジェットは20分足らずで着いた。

 飛行機が停まると、すぐ横まで救急車が来た。救急車のスタッフは既にビビっている。「黄熱病の患者なんか運び込んで、メディアに質問されたら何と答えていいか困る。君はこの患者をハワイ島から見てきて詳しいだろう。君も一緒に来て説明してくれ」とハワイ島から一緒に来た看護師に頼んでいる。「えー。病院に着いたらテレビに映ちゃうの?今日はちょっと顔色が悪いから嫌だなあ」と思いながら熱でブルブル震えていると、あっという間に病院に到着した。メディアはいなかったが、警察官が待機。すわ、黄熱病かと、隔離病室が用意され、CDCの役人までが待機していた。さすがは、致死率5割の黄熱病。楽園ハワイでの感染は絶対に防がなければならない。

 隔離病室へ担ぎ込まれた。入院の手続きのために事務員が来て、様々な質問を受けた。輸血の承諾書類にサインをした。意識を失った場合には、妻を代理人に指定するサインもした。次に、チャップリンに会いたいかと聞かれた。私のつたない英語の知識では、映画のチャーリー・チャップリンしか思い浮かばない。ちょび髭、山高帽にステッキを持った人が慰問のパフォーマンスでもしてくれるのかと思ったら、チャップリン(チャペルで働く人)とは病院に常駐する牧師のことらしい。

 よく意味も分からず、私はキリスト教徒ではないのでとお断りをした。後からよく考えると、高熱にうなされた致死率5割の黄熱病の患者に対して、何か言い残すことはないですかという、ありがたいご配慮だ。あそこは、死を覚悟する劇的な場面だった。呑気に本物のチャーリー・チャップリンだったら良かったのにと混濁した意識の中で考えていた。その頃、ほんの数時間前には「おとなしく家で寝ていれば治るんじゃない?」と言い放った妻は、部屋の外で「今晩か明日には一旦熱が下がり回復したように見えるが、安心してはいけない。そこからが峠だから覚悟しろ」と伝えられたらしい。

 黄熱病もデング熱も症状が似ている。ともに治療法がない。体力をつけ、体が戦うしかない。解熱剤を飲んで点滴を打ち続けたが、体はガタガタ震えるばかり。

部屋の外に使い捨てのマスク、手袋、ガウンなどが揃っていて、部屋に入る人は着用が義務付けられた。隔離病室は黄熱病を世間から隔離する目的もあるが、私は白血球がなく抵抗力がないので、何かに感染したら命にかかわる。それを防ぐ目的もある。

もし黄熱病ならハワイ州で初の症例だと医者たちは興奮気味。珍しい患者だと、次から次へと、医者やインターンや医学部の教授や学生が見にきた。スーパースターだ。人生で今が一番人気者という状態。高熱で薄れる意識の中で、野口英世にでもなった英雄気分。何人の医者の訪問を受けたかは覚えていないが、どの医者も「君かあ、珍しい患者というのは」と言いながら同じ質問をしてくるので閉口した。

意識は朦朧としたので、実はこれまでの記述には、後に妻から聞いた事が混ざっている。3日目で熱が下がり、だいぶ頭がハッキリしてきた。熱が下がってからが勝負だと聞かされていたが、随分と楽になったので、私はもう治った気でいる。やれ「コーヒーを買ってこい」とか、「日本語放送を聞きたいからラジオを借りてこい」だとか、お気楽ムード。妻はかなり怖かったらしい。

5日目にアトランタのCDCのラボで検査結果が出た。結果は黄熱病ではなくデング熱。なーんだデング熱かと、急に人気がなくなった。デング熱は致死率1%以下。それも、子供や年配者などの体力のない場合。もう安心。白血球も血小板も回復。肝機能は一向に改善されないが、デング熱ならば大丈夫と、退院することになった。日本の病院と違って、アメリカは命にかかわる状態でない限り入院できない。

うちは農園。毎日、蚊に刺される。デング熱とはいえ、性急に帰宅して、他人にうつしたくないと不安を伝えたが、伝染病専門医はこの段階での伝染はないという。しかも、「ハワイでは、デング熱は年に2~3人くらいしか発症しないのに、今日、これからまた一人デング熱患者が搬送されて来るんだ。今度はタイからの帰国者だって」と、とても嬉しそう。興味の対象はそっちへ移っているらしい。 

 

 普通に飛行機に乗ってハワイ島に帰った。翌日にはハワイ州保健局の検査官が3人も来て、家の周りで蚊やぼうふらが湧いてないか検査していった。検査官の指示で、庭のGiant Spider Lilyを切った。葉っぱの根元に水が溜まり、蚊の発生の原因となる。検査官は近所の家々にも訪問して注意を促したようだ。だから、デング熱は近所にばれた。すぐに隣人から電話があり、「近所でデング熱にかかった奴がいるらしい。気を付けた方が良いぞ」と忠告を受けた。

 肝臓の回復には時間がかかった。2カ月程度は疲れが残った。WHO(世界保健機関)の過去の調査を見て驚いた。デング熱のウィルスに感染しても発症しない人、軽度の発症のある人、そして、デング・ショック・シンドロームといわれる重度の発症患者に分けて、肝機能の数値を示している。これによると、私が入院・退院した頃の肝機能の数値は重度のデング・ショック・シンドロームの数値を遥かに超えている。相当あぶない状況だったらしい。医者もあの数値でよく退院を許したものだ。

 デング熱には4種類あり、私がかかったのはタイプ1。めでたくタイプ1の免疫は獲得したが、違うタイプの免疫はできない。しかも、次に違うタイプにかかると、初めて発症する場合よりも重篤になるらしい。ハワイにはデング熱ウィルスを持つ蚊はいないが、万一の事を考えて、蚊に刺されないようにする必要がある。

 農作業中の蚊は避けられない。虫除けスプレーやクリームを顔に塗って、蚊に刺されないように注意。室内でも安心してはいられない。ゆっくり読書をしていたら、妻からいきなり顔にビンタをくらった。めがねが飛んで歪んだ。顔に蚊がとまっていたと彼女は主張するが。

 翌月、医療費の請求が来た。総額で85,000ドル(1千万円以上)。救急車とジェット機による搬送が64,375ドル(約790万円)。入院費が16,000ドル(約200万円)。その他、薬代や医者への支払いなど。私は医療保険に加入しているので、自己負担額は5,500ドル(約70万円)で済んだ。コーヒー農園を訪問する際は旅行保険を買うことをお勧めする。

 

実は後日談がある。

5ヵ月後のこと、ハワイ島のコーヒー栽培地域にデング熱が流行した。もともとハワイにはデング熱はない。まれに、観光客か、私のように海外渡航者が帰国後に発病するケースはあるが、今回はハワイ島の蚊がウィルスを持ち、ハワイ島で感染する人が続出した。

サウス・コナから始まり、瞬く間に264人の患者がでた。観光立国のハワイにとって由々しき事態。東京の代々木公園ならばデング熱が発生しても冬になれば蚊がいなくなるので自然に収束する。しかし、ハワイは常夏。冬でも蚊はいる。さらに、コーヒー畑地帯には蚊が多い。このまま放置すると、デング熱がハワイに土着してしまう。楽園ハワイとしては、絶対に早期に押さえ込まなければならない局面だ。地元政府はすぐに行動を起こし、様々な政策を導入した。地元のニュースでも連日報道され、普段は静かなこの田舎町は大騒ぎとなった。収束には半年以上かかった。

まず、当局はコナの住民への啓蒙活動を開始した。タウンホールミーティングが開かれた。ホノルルから、衛生局の専門家たちが来た。まるで雰囲気が違う。衣服もそうだが、雰囲気が都会っぽくて、コナの人とはまるで違う。ハワイ訛りはないし。われわれ地元の人間ときたら、田舎丸出しでのんびりしている。第一、市長が一番訛ってる。

このミーティングを待ってましたとばかり、自分の製品を宣伝する人が現れた。小さなコースターぐらいのサイズの薄っぺらい磁石を二枚持ち出し、これを頭の両端につけると、体の中からデング熱のウィルスが逃げていくと力説する女性。また、このユウカリの木から抽出したエキスを飲むとデング熱が治ると売り込みをかける男性など。同席していた医者や専門家たちは目をグルグルさせ、笑いをこらえ、いつまでも続くセールストークを眺めていたが、さすがに途中で止めた。面白いのでもっと続けてほしかった。デング熱の知識も経験もないこの小さな村で、発生後たった数日で、それだけの商売を考え付くのは、なかなか商魂たくましい。

コナコーヒー農家には1970~80年代にカリフォルニアから移住してきたヒッピーが多い。「最初にデング熱を持ち込んだ犯人は誰だ? どうしてまだ特定できないんだ」と、さかんに衛生局のスタッフを責め立てるヒッピーが現れた。これはまずい。私が槍玉にあげられたらかなわない。会場で小さくなって、おとなしく聞いていた。

犯人を捜して何の役に立つのかさっぱりわからないが、非難する相手を見つけるのに情熱を傾ける人が、あの年代のあのタイプの人には多い。コーヒー農家の集会でも、彼らが発言を始めると収拾がつかない。コーヒー畑の害虫(Coffee Berry Borer)問題では、政府の無策に対する非難の大合唱は凄まじい。私なんぞは、コナコーヒーなんて生産額が小さすぎてアメリカ経済に貢献していないので、国民の税金を投入する意義を見い出せないが、彼らは総力を挙げて州議会やワシントンを動かして補助金を獲得してくる。あの闘志ならば、なるほどベトナム戦争だって止められそう。だが、最近のキラウェア火山の噴火(8月に沈静化)に際して、「なぜ火山に爆弾を投下して火口をふさがないのか、何のための軍事力だ」と政府を批判する人が現れるに至っては理解に苦しむ。

集会で他人への非難が始まるとヒッピーの結束は強い。絶対に敵には回したくない。いかにも元フラワーチャイルド風の女性は「発病者を隔離して、かぎ掛けて出てこられないようにしろ。私が罹ったら困るんだから!」と絶叫している。本当に叫んでいる。「発症者はとても苦しいので、彼らが町に出歩くことはない」と、専門家が冷静に説明しても、金切り声は収まらない。でも、確かに私は熱でフラフラしながらも畑仕事をしたし、町へ買い物にも行った。

入院から5ヵ月も経っている。まさか自分が原因とは思わないが、こうも非難されると心配になった。思い切って、4つあるデング熱のタイプのうち、今回の流行はどれかを質問した。返ってきた答えはタイプ1。なんと、私と同じタイプだ。

これはいかん。ミーティング後、衛生局の専門家に「すまねえ、犯人はあっしかもしれねえ」と自首した。すると、「あなたは既に5ヵ月が過ぎているので、今回の流行とは無関係」と、無罪放免となった。実際に流行中のウイルスはタヒチから来た系統と判明した。私のブラジルとは違う。私の無実は科学的にも証明された。

しかし、ゴルフをしていたら、妻から「あなた、ゴルフ場のスタッフからMr.デング熱がゴルフしていると、指をさされているよ」と言われた。この5ヵ月間、デング熱で入院した武勇伝を尾ひれをつけて、あっちこっちで話しまくったので、今更、無実を主張しても、誰も信じてくれない。本当に私のせいではありません!

 

コーヒー愛好家の皆様、コーヒーの研究も良いですが、あまり熱心になりすぎて、コーヒー産地に視察に行こうなどと、お考えの方はお気を付けください。

たとえ健康のためとはいえジムで半ズボンで運動するのは止めましょう。たとえ黄熱病と診断されても希望を失わずに。デング熱かもしれません。たとえデング熱になっても、こっそり治療しましょう。そして、必ず旅行保険を買いましょう。

2018年10月 山岸秀彰

 

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2018/12/13   yamagishicoffee