農園便り

2015年7月

デング熱 死の覚悟の値段

6月上旬にデング熱で入院した。もう、すっかり回復した。ご心配をおかけしました。

さて、デング熱で入院した際には、最初にハワイ島の病院では黄熱病の疑いありという診断を受け、ホノルルの大病院へ小型ジェット機で搬送された。もし、黄熱病であれば、ハワイでは初の症例となるらしく、病院や医師たちは興奮気味であった。

小型ジェット機でホノルルの飛行場に到着し、ジェット機から救急車に乗り換える際に、ホノルルの救急車のスタッフは、病院にメディアが詰め掛けて黄熱病患者の質問をされると困るので、ハワイ島から同行してきて、患者(私)の様態に詳しいハワイ島のスタッフに同乗してくれと頼んでいた。「えー。病院に着いたらテレビに映ちゃうの?今日はちょっと顔色が悪いから嫌だなあ」と思いながら熱でブルブル震えていると、病院に到着した。メディアはいなかったが、警察官が待機していた。さすがは、致死率6割の黄熱病。

救急車から降ろされ、隔離病室へ担ぎ込まれたあと、入院の手続きのために事務員が来て、様々な質問を受けた。輸血に必要な書類にサインをした。意識がなくなった場合に備えて、妻を代理人に指定するサインもした。次に、チャップリンと話をしたいかと聞かれた。私のつたない英語の知識ではチャップリンというと、映画のチャーリー・チャップリンしか思い浮かばない。ちょび髭、山高帽にステッキを持った人が入ってきて、慰問のパフォーマンスでもしてくれるのかと思ったら、チャップリンとは病院にいる牧師のことらしい。

その時は、よく意味も分からず、私はキリスト教徒ではないのでとお断りをした。退院後、よく考えると、あれは、高熱にうなされた致死率6割の黄熱病を疑われている患者に対して、何か言い残すことはないかと問われたのだ。あそこは、死を覚悟する劇的な場面だった。でも、本人はまったくその気はなく、チャーリー・チャップリンのことしか頭に残っていない。

 

さて、今回の入院に掛かった費用の請求が来た。総額で85,000ドル(1千万円以上)。救急車とジェット機による搬送が64,375ドル(約790万円)。入院費が16,000ドル(約200万円)。その他、薬代や医者への支払いなど諸経費が嵩んだ。アメリカは国民皆保険制度ではないので、個々人が医療保険を購入する。私の加入しているプランは夫婦で月額700ドル(約8万6千円)を支払いをしている。これでもハワイは安い。NY時代はこれが月額2,200ドル(約27万円)だった。今回の医療費総額85,000ドルのうち、私が負担するのは5,500ドル(約70万円)。差額は医療保険会社が面倒を見てくれた。オバマケアによって、医療保険加入は義務となったが、未だに未加入の人は多い。実際に医療保険に入っていなければ、おちおち病気にはなれない。医療は、かくも費用の掛かるものである。日本人は海外旅行する場合は、必ず、旅行保険を買ってください。

さて、それに比べて日本の医療制度である。日本の医療制度は、実にのん気だ。救急車は無料だから、タクシー代わり。(私は790万円も払ったのに。)その上、病院もお手軽に行ける。しかも、入院期間が長い。アメリカに比べると過剰医療だ。アメリカは命の危険がない限り、入院はさせてもらえない。癌の開腹手術だって、入院は手術の3時間前。術後は様態が安定したら数日で退院。後は自宅療養。医療保険会社がコスト削減の為に過剰医療を牽制している。つまり、医者が無駄な医療をしたら、医療保険会社が払ってくれない。日本の様に、いつまでも入院していたら、費用が嵩むばかりだ。

ちなみに、トヨタの米国人役員が鎮痛剤のオキシコドンを日本に持ち込み逮捕され、彼女は職を失った。アメリカでは意外感をもって、報道された。「エー?なんで?オキシコドン飲んだら逮捕されちゃうの?」という感じだ。手術後、アメリカでは、痛かろうがなんだろうが、命に別状がなければ、オキシコドンやハイドロコドンなどの強力な鎮痛剤を処方され、家に帰される。私だって、オキシコドンぐらい飲んだことがある。膝のじん帯移植手術後に処方された。もちろん、入院はさせてもらえず、近くのホテルに数日泊まって通院した。

 それでもって、日本の医療は自己負担額はほとんどない。ただみたいなものだ。当然、健康保険組合は赤字。国家の財政赤字に付回される。結局、ほとんど、ただ同然で入院して、実際の費用は将来の世代が負担することになる。はっきり言って制度が壊れているが、それを直そうという気運は高まらない。国民皆保険制度を採用している北欧諸国だって、国民の健康を守る義務は国家にあるが、その国家を財政的に守る義務は国民ひとりひとりにあることが常識として国民によく理解されている。金は払わないがサービスは欲しい、負担は将来の世代に先送りだなんて無責任なのは日本だけだ。ギリシャなんか、日本ほど財政事情は悪くないのに、いろいろ改革しようと議論している姿を見ていると、責任感が強いなあと感心する。

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2015/07/17   yamagishicoffee

コナコーヒー農園便り 2015年7月号

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 先月号に記したとおり、コーヒーの評価において、私はクリーンカップ至上主義だ。クリーンでないから、人はコーヒーが飲めない。雑味が多いから砂糖やクリームを入れる。私は消費国でクリーンカップの理解が浸透することを切に願う。さすれば、コーヒー業界の健全な発展に資するとともに、産地の人々の生活改善に繋がると思う。

 一説ではコーヒーは関連する従事者の数が最も多い産物らしい。農園、収穫、乾燥、精選、港、輸送、商社、問屋、焙煎、小売店、コーヒー店やレストラン、コーヒー関連商品など多くの人の手を経るが、クリーンカップの源泉は焙煎でも抽出でもない。コーヒーを健康に育て、きれいに収穫し、きれいに乾燥させることが鍵。中でも収穫が最も重要。

 多くの産地でコーヒーを摘むのは一日数ドルで雇われた季節労働者。彼らに、きれいに摘むインセンティブはない。もし、きれいに摘んでくれれば、クリーンなコーヒーができる。だが、彼らの取り分は微々たる額だ。ハワイで労働者を雇うと最低でも一人一日120ドル程度。さすがはアメリカ。人件費は高い。ところが、中米では一日3ドル程度。

 仮に、日当3ドル(約360円)の人が一日200ポンド(約90キロ)の実を摘んだとする。200ポンドの実からは約1,500杯のコーヒーが作れる。一杯当たり24銭がピッカーの懐の渡る勘定になる。喫茶店で一杯500円とすると、0.24/500=0.05%がピッカーの取り分。消費税8%の1/160だ。中には手摘み完熟などと解説が付くものもある。たった0.05%の部分がそのコーヒーの最大の特徴、セールスポイントなのだ。

 数多のコーヒー関連の従事者の中で、品質上最も重要な仕事をするピッカーの取り分が最も少ない。しかも、ピッカーの仕事が肉体的に最も過酷だ。一日200ポンドのコーヒーを毎日5ヶ月間も摘み続けることがどれほど辛い作業か理解できる日本人は少ないだろう。コーヒーを南北問題の象徴として人道的議論をする以前に、コーヒー業界として品質の向上を求めるならば、最も過酷で、かつ、品質管理上、最も重要な部分に0.05%はお粗末だ。これが企業なら潰れる。

 消費国の関係者が産地へ視察に行って、赤だけをきれいに摘むよう「指導」したという話をよく耳にする。一杯24銭しか払わないで、よくそこまで言うなと感心する。ピッカーにすれば、その程度じゃ、やってらんねーよ、というのが本音だろう。だって、私が一日120ドル(約14,400円)払っても、きれいに摘んでもらうのは難しい。

 クリーンカップは、かくも不安定な構造の上に成り立っている。だから、クリーンなコーヒーは珍しい。ほとんどの人がクリーンなコーヒーの何たるかを知らない。

 人道的観点からフェアートレードが注目される。「コーヒーを一杯飲んだら1円を産地へ送ります」。すばらしい試みだが、ピッカーの取り分が24銭から124銭に5倍に増えた話は聞かないし、第一、ピッカーにきれいに摘むインセンティブは働かない。

 指導や人道的動機も大切だが、やっぱり人を動かすのは金だ。経済的合理性だ。まず、消費国でクリーンカップの理解が進むことが重要。すると人々はクリーンなコーヒーに高い値段を払うようになる。きれいに摘むピッカーの価値が上がる。きれいに摘むピッカーの収入が増える。摘み方で収入に違いがでることを体で理解できる。すると益々コーヒーの品質が上がる。クリーンカップはコーヒーの品質向上とピッカーの生活向上の鍵だ。

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2015/07/01   yamagishicoffee