コナコーヒー農園便り 2015年4月号
収穫はすべて終わり、4月からは新シーズン。先シーズンの収穫は8月から3月まで及んだ。同じ木を3~4週間ごとに収穫し、合計で畑を11周した。その真ん中の10月から11月にかけての2周がピークだった。通常は一つの枝に緑の未熟の実と赤の完熟の実が混在しているなかで、赤だけを摘む。ピーク時には、枝によっては、赤く熟した実が鈴なりになり、その枝をバラバラと一気に摘むことができる。とても楽しい。日系人の町コナではそのような状態をSakari(盛り)と呼ぶ。
通常の年は標高の低いサウスコナが最初にSakariになり、徐々にノースコナに移り、さらに標高の高い畑に移っていく。それにつれて、ピッカー(コーヒー摘みをする労働者)も南から北へ移動していく。コーヒーベルトの北端にあるうちの畑はいつも一番遅く、サウスコナよりも2ヶ月も遅くなることもある。ところが、昨年はサウスコナもノースコナもうちの畑も10月中旬に同時にSakariとなった。しかも、2年連続で雨が多かったために、どこも豊作。10月は町全体でピッカーが足りなくなった。
9月まで収穫の手伝いに来てくれていたフィリピン人家族も彼らの畑が忙しくて、うちには来られそうにない。すると、とあるメキシコ人がやってきて、彼のチームを雇ってくれと頼んできた。これは渡りに船。フィリピン人家族には10月は自分の畑に専念してくださいとお断りして、メキシコ人チームを雇うことにした。
ところが、約束の日の朝、メキシコ人チームは来なかった。連絡も取れない。たわわに赤く実ったコーヒー畑の真ん中に、我々2人はポツンと取り残された。とにかく摘まねば。この日から私と妻の苦難の日々が始まった。
2人だけでひたすら摘む。夜明けから日暮れまで12時間摘み続ける。昼食は10分。しかも、家まで駆け足。アニメのシーンで、遅刻しそうな人がパンをくわえて疾走するのは定番だが、これまで、実際にそんな光景を見たことない。まさか、自分がやる羽目になるとは。夜は作り置きしたカレーを毎日食べ、その後、風呂に入ること3回。9時には倒れるように寝る。しかし、体じゅうが痛くて夜中に何度も目が覚める。
新しい畑はまだ植えて2年なのに大豊作。48列あるが、一日に2列しか進まない。その上、既存の畑が手付かずで残っている。知っている全てのピッカーのグループに電話したが、どこも忙しい。知り合いの農園主に電話しても、どこもピッカーが足りないと悲鳴を上げている。もう、お手上げだ。このままでは、実が過熟し発酵してしまう。我々の疲労も限界。もう、体重も3キロ減った。力がでない。
すると、友人の農家が、見るに見かねて3日間だけピッカー達を貸してくれた。大いに助かった。いっきに作業が進んだ。しかし、3日目に途中でさらわれた。ちょっと目を離したうちに、他の農園から法外な労賃で引き抜かれ、連れて行かれてしまった。仁義なき戦いだ。大農園ではSakariの時期に摘み遅れて実を腐らせると、数百万円・数千万円の単位で損が出る。みな必死だ。
急遽、カナダに住む妻の両親を呼び寄せた。時差ぼけの中、気の毒だが、着いた翌日から手伝ってもらった。しかし、ちょっと目を離しているうちに、どこからともなく人が現れ、「君たちはどこのチームの人間だ?うちの畑で働かないか?」と、両親まで、さらわれそうになった。末期的だ。アロハの精神はどこへいったのだ?
もう打つ手がない。すがる思いで、あの人に応援を頼んだ。モーリス木村さん。新しい畑を買う前に、コーヒー畑の拡大は止めなさいと、何度も私を諭した村の長老。あれだけ忠告を受けていながら、いまさら助けを求めるのは情けないが、そんな余裕はない。
その模様は来月号で。