1年前にトラックを購入。本物の農家になった気がして誇らしい。トヨタTacoma。四輪駆動で畑の斜面も大丈夫。夕方、その日に摘んだ実を45kgの麻袋に入れて精製所へ運ぶ。以前はNY時代からの愛車ベンツのトランクに入れて運んだ。しかし、麻袋から果汁が染み出るし、雨の日の収穫は摘んだ実も麻袋もずぶぬれ。ビショビショのままトランクに入れるのは抵抗があった。実際、乗用車に麻袋を載せる人はなく、ましてやベンツだと”Nice truck!”とからかわれた。
コナの道路には所々に「ロバに注意」の標識がある。多数の野性化したロバがいる。昔、コーヒー農家はロバを飼っていた。収穫したコーヒーを麻袋に入れ、ロバの背中に2〜3袋を載せて運んだ。トラックのない時代、ロバは重要な戦力で、随分こき使われた。牛や馬より丈夫で粗食に耐え低コスト。道端の草だけで餌はやらない。空腹と疲労で動かなくなることもしばしば。ロバは頑固。こうなると埒が明かない。餌を鼻先に差し出しながら誘導した。
また、古い本によると、コーヒー豆の劣化の要因の1つにロバの汗とある。かわいそうに、重たい荷物を運び、大汗をかく。すると、豆に匂いが付いた。山岸コーヒーは私ども夫婦の汗と涙の味がするが、ロバの汗は駄目らしい。
1日を終え、疲労困憊のロバを、今度は農家の子供たちが待ち構えた。背中に乗ってレースをして遊び、親に叱られたそうだ。私の幼稚園時代ロバといえば、「おはよう!こどもショー」で愛川欽也が着ぐるみに入っていた「ロバくん」。ロバは世代を超えて人気者。そういえば、私が中学生の頃、ラジオの深夜放送(パックインミュージック)で愛川欽也さんが「ロバくん」の着ぐるみは汗だくで大変だったと語っていた。やっぱりロバは汗っかき。
コナではロバをコナ・ナイチンゲールと呼ぶ。看護婦ではない。ナイチンゲールとは夜に鳴く鳥で、夜鳴きウグイスと訳す。ロバは大切な輸送手段だが、昔の貧しい日系人農家では一家に一頭しか飼えない。ロバはひとりで寂しいので、夜になると大声で近所のロバと鳴き合った。そこでコナ・ナイチンゲールとあだ名された。
戦時中、ハワイに多数の兵士が駐屯した。戦後、軍隊が本土に撤収する際に、多くのジープが払い下げられた。コーヒー農家は廉価でジープを購入し、生産性が飛躍的に向上した。不要となったロバは捨てられ野生化し、今に至る。色の黒いロバは夜は見づらい。道に出てきたロバと車が衝突する事故がたまに起きる。「ロバに注意」だ。
さて、コナのコーヒー産地はフアラライ山麓の標高200m〜800m。その中央、標高500m近辺にママラホア・ハイウェーが走る。ハイウェー(高速道路)とは名ばかりで、昔、ロバが通った狭い道だ。今でも、コーヒー畑はこの道の左右(山側と海側)に広がる。かつて、ロバの鳴き声が響き渡ったこの辺りは、コーヒー畑の合間に、Imin Center(移民センター)、旧日本語学校、日本式墓地、Komo Store(広島県出身河面家)やKimura Store(山口県出身木村家)など日本人町の名残の風景が続く。かつてはコーヒー農家の8割が日本人。この道は現代の日本人にも観光ルートとして面白い。
ただし、この道は走りづらい。狭く斜面を蛇行する道は視界が悪い。少しでも道を逸れると坂の下のコーヒー畑に転落する危険がある。たまに、カーブの向こうから突然、こっちの車線に対向車が現れる。たいていは日本からの観光客だ。かつての日本人町といえども、ここはアメリカ。間違えずに右車線を走って貰いたい。「ロバに注意」の標識もいいが、「日本人観光客に注意」の標識も作ってもらいたいものだ。
かく云う私も20数年前、渡米直後にNYで一番大きな高速道路(I−95)を、間違って出口から入って逆走したことがある。普通は高速道路に入ると前の車のテールランプが見えるものだが、このときはヘッドライトがたくさん。しかも、猛スピードで近づいてくるからビックリした。よく助かったと思う。