コーヒー畑の作業ではメガネが必需。虫、木くず、カビ、埃などが目に飛び込んでくる。枯れた枝は先がとがって、しなやかさを失っている。木の中に頭を突っ込んで収穫する時、たわんで戻ってきた枯れ枝が、まともにパチンと顔に当るとみみず腫れになる。痛い。妻も私も収穫期は顔が傷だらで、映画のヤクザみたい。目に当ると大ごとなので、目の保護は絶対に必要。
妻の眼は緑がかった薄茶色。サングラスをかけた方がよく物が見えるらしい。私はサングラスだと暗くてよく見えない。そもそも怪しいオジサンみたいで似合わない。その代り、もっぱら老眼鏡。小さな虫食いの穴を瞬時に選り分けて摘むので老眼鏡は手放せない。
私は本来は視力0.01のど近眼。リタイア直後、タイガーウッズのレーシック手術をした眼科医に行ったら、近視が強すぎて無理と断られた。その代わり、日本では認可されていない角膜の内側にコンタクトレンズを埋め込む手術を受けた。手術の際、焦点を遠近どちらに合わせるかを問われた。100ヤード先からカップを直接狙えるくらい遠くへ合わせてくれと頼んだ。それだと読書に老眼鏡が必要だと説明されたが、読書よりゴルフだ。迷わず遠くへ合わせた。コーヒー摘みのことまでは考えていなかった。
ところで、以前、妻の両親が来るので、いつも義母が座るソファーを確かめたら、横のランプが暗い。これでは本も読めまいと思い、明るい電球に取り換えた。ところが到着した夜、義母はランプが眩しくて本が読めないと、さっさと暗い電球に取り換えてしまった。本当かと思い、私は座って本を開いたが、やっぱり暗くて読めない。彼女はあんなに暗くても読めるし、私好みの明るさでは眩しいようだ。彼女は眼が青い。
ヨーロッパ人は北方の薄暗い森の中で目の色は薄く進化した。突然明るいアメリカへ進出したものだから、さぞかし眩しかろう。アメリカではサングラスは必需品だが、日の本の国で生まれた私はあまり必要性を感じない。バイデン大統領のサングラス姿は似合うが、菅総理が国会にサングラスで登院したらSNSで大炎上するだろう。
白人系アメリカ人はハワイでも、暗い感じの家を作る。せっかくハワイなんだから、私は陽の光と爽やかな風を生かした家を建てた。昼間は言うに及ばず、夜も日本なみに明るい照明を使った。おかげで、イギリス人の友人に、この家は昼も夜も室内でサングラスが必要だと言われた。
NHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」で北欧風の暗めの照明が心が落ち着くと推奨していたが、私には暗すぎて、歩くたびに家具に腕や脛をぶつけて危ない。
先月号でケニアへ行った話を書いた。ケニア人は夜目が利く。夜中に星を見に出かけた。周囲に町や家の灯りはなく、月もなかったので、満天の星空。星が落ちてくるようだった。ところが、雲が出始めた。あれよあれよという間に天を覆い、漆黒の闇。人生で後にも先にも漆黒の闇の経験はあれだけ。手元も見えない。手をつないでもらって帰った(ケニアでは男どうしでも手をつなぐ)。歩きながら、「穴だ。気を付けろ」と言われた途端にボコンと穴に片足が落ちた。本当に何も見えない。しかし、彼らには確かに見えている。彼らの目は私より濃いので、光への感度は目の色のせいだけではなさそうだ。
最近、老眼が進行した。埋め込んだコンタクトでは近くも遠くも度が合わない。テレビはぼやけるし、本は虫メガネ。暗いと益々ダメ。不便極まりないので、メガネを新調したい。アメリカのメガネレンズはプラスチック製。安全だが傷つきやすく、農作業に向かない。早くコロナが収まって、日本にガラス製メガネを作りに行きたいものだ。