農園便り

コナコーヒー農園便り 2013年8月号

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ヘッジファンドビジネスをしていた私は06年12月に44歳でリタイアした。家内がリタイアしたのは、その1年後なので、私は1年間、ひとりでリタイア生活を満喫した。

退職の日、会社の帰りにNYのブックオフでキャンディーズのCDを買った。翌日、それをガンガンかけながら車でNYからフロリダのオーランドへ向かった。冬のNYから南下すると、徐々に暖かくなる。ワシントンDCを過ぎるとコートを脱ぎ、2日目、ジョージアでセーターを脱ぎ、3日後にフロリダに着くころには長袖がTシャツに代わった。極寒のNYでストレスだらけだった身も心も徐々に温まっていった。

ハンデが0になるまでゴルフをする。当面の目標だった。オーランドにアパートを借り、ゲーリー・プレーヤーなど多くのプロを育てた有名コーチのフィル・リトソンに付き、練習の日々が始まった。多くのプロが冬にオーランドで練習をする。一緒に練習した。毎日1,000球はボールを打った。うれしくて止まらない。なにせリタイアしたばかり。

ゴルフなんてプロと同じように練習すれば、数ヶ月でハンデが0になると思っていた。ところが向こうは20歳代、こちらは40半ば。すぐに手首と10本の指が腱鞘炎になった。ゴルフどころかグーが握れない。我が家で、夕食後の皿洗い担当をジャンケンで決める時に、パーしか出せないと連敗するので、きわめて不都合。

そこで考えたのが基礎体力の向上。ミッシェル・ウィーらのトレーナーのダグ・パラを雇いストレッチ、筋力強化に励んだ。ウィー選手くらい柔軟になれば、怪我も防げるし、飛距離も伸びると目論んだ。ところが今度は股関節が動かなくなった。医者の診断では、股関節の靭帯と筋肉の損傷。要はストレッチとウェートトレーニングのやり過ぎ。処方された消炎剤を飲んだところ、今度は血圧が異常に上がり、これも服用を断念。若い韓国の女子プロに囲まれた夢のような生活は危機に瀕した。遂に、NYで働く家内から、「いい加減にしなさい」とダメだしを喰らい、半年でアパートを解約しNYへ逆戻りとなった。

米国にはMid Life Crisis(中年の危機)という言葉がある。中年が、気力、体力の衰えを感じ、若さを失う焦燥感から無謀なことをする症状で、例えば、突然、無謀な転職をする、思わぬ恋に落ちる、ポルシェを買って乗り回すなどが典型例。NYに戻った私を、かつての同僚はこの典型だと笑って歓迎した。一番笑ったのは、私と同時にリタイアした1歳年上のボス。しかし、彼はその直後、それこそ本当に年甲斐もなく出た自転車レースで大転倒。肋骨を6本折って入院しモルヒネ漬け。その彼も今では、コロンビア大学の教授に納まり、テレビ等でヘッジファンド関連のコメンテーターとして活躍している。

私は、そんなこんなで、もっとリラックスした雰囲気でゴルフのできるハワイ島に流れ着いた。偶然、コーヒー栽培という新たな情熱の対象を見つけた。コーヒーの収穫は緑と赤の実が混在している枝から、赤だけを摘む。緑が混じると味が悪くなる。赤い実は皮が柔らかく、見なくても手の感触で分かる。指と指で挟み、ねじるとポロリと取れる。視覚と触覚を頼りに赤だけをポロポロ摘む。しかも、できる限り速く。

コナでは若い中南米の季節労働者がコーヒーを摘む。彼らは一日に500ポンドも摘む。私は200ポンドが限界。さすがにプロはすごい。感心した。同じくらい速く摘めるようになりたいと憧れた。毎日10時間、コーヒー摘みに励んだ。ところが、向こうは20歳代、こっちは40半ば。またもや、指が腱鞘炎になった。フロリダで痛めた指は、酷使するとぶり返す。グーができない。無理してグーにすると中指だけが曲がらずに伸びたままで、アメリカでは非常に都合の悪い状態となる。

 

2013/08/01   yamagishicoffee
山岸コーヒー農園は小規模ながら品質追求のコーヒー栽培をしています。
コナ・ルビーはクリーンな味わいのコーヒーです。
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