今日は年に一度の大福寺のバザー。大福時は有名な手島レストランの隣で、昔の日本人移民や子孫の日系人達のお寺。日系人コーヒー農家のコミュニティの中心だ。子供たちを集めて和太鼓のチームが組織され、コナで様々なイベントが行われるたびに子供たちの和太鼓の演奏が披露されたるする。
バザーでの収益金はお寺の維持費に充てられる。自分が使わなくなった物をバザーに寄付し、売り上げはお寺の収益となる。
バザーは既に80歳を過ぎた日系3世たちが今でも中心になって行われる。今日は朝から雨だったにもかかわらず大盛況。若い4世、5世らに交じって、3世たちも交通整理やらで濡れながら奉仕している。
私にとってのお目当ては食べ物。日系人たちが作った食べ物を即売する。これらは人気があるのでバザーの開始と同時に買わないとすぐ売り切れになる。バザー開始前から雨の中長蛇の列。
マンゴーの酢漬け、スターフルーツの酢漬け、大根の酢漬け、白菜の酢漬け、オレンジの皮の酢漬け等々。昔の日系移民は庭で採れるものはなんでも酢漬けにしたらしい。
また、ジャムも豊富。ジャムというよりゼリーといった感じ。パッションフルーツ、グアバ、ほおずきなどの様々なフルーツのジャムが並ぶ。
饅頭、スパムむすび、太巻きなども飛ぶように売れる。
食べ物売り場はバザー開始前から並んだ人々が一斉に殺到するので大混雑。会計の列も4列もある。私の列は日系人のお婆ちゃん二人が計算と現金授受を担当する列で、列の進み具合が遅い。隣の列では私の友達の日本人2人がテキパキと計算をこなしているので、どんどん進んでいく。
そもそもバザーは寄付が目的。けちけちしてはいけない。1週間はもつ食料を買い込んだ。
さて、我々の番になった。一人のお婆ちゃんがひとつひとつの品物の値段を読み上げ、隣りのお婆ちゃんが電卓に打ち込む。ニコニコしながら一生懸命に合計金額を計算してくれている。
金額が出た。えっ!!?どう考えても高すぎる。間違っている。いくら大量に買ったとはいえそんなには買っていない。
元銀行員の私としては計算間違えを放置するのはとてもつらい。第一、目の前に並んでいるこれらの食べ物を一瞥しただけでこの金額が間違えであることは常識的に分かるだろう。それくらい金額が違う。
ここで日系人お婆ちゃんの間違えを糾弾して世の中の価格体系の秩序を維持するのが社会正義である。資本主義の根幹だ。
しかし、ずぶぬれになりながら奉仕活動をしている先輩農家の顔が浮かんでくる。社会正義も大切だが先輩農家との付き合いも大事だ。
そうだ!そもそもこれは寄付として買っているものだ。第一、このお婆ちゃん達もボランティアだ。タダ働きどころではなく、自腹を切って、朝早くから色々な料理を取りそろえ持ち込んでいるのだ。ここで間違えた金額など、彼女らが持ち出しで払っている金額に比べたら僅かなものだ。
いやいや、ここで人情論に流されている場合ではない。資本主義の根幹の話だ。いや待て。寄付行為が発達しているのがアメリカ資本主義の特徴だ。寄付行為がなければアメリカの資本主義は成り立たない。殺風景な世の中になるだけだ。
ああー、お婆ちゃんがニコニコしながら、私がお金を出すのを待っている。どうしようどうしよう。
様々な思考が脳裏をかすめるなか、慌てて財布から追加のお札を取り出し、ここは快く文句を言わずに支払うことにした。全然潔くないか。。。。。
ブツクサブツクサ。