1年分のコーヒーの出荷が終わり時間に余裕ができたので、北極へオーロラを見に行った。極寒の中、わざわざハワイから持参した自分のコーヒーで体を温めて悦に入った。
以前、ある方から「風邪の時は白湯が体が温まって一番。コーヒーは体が温まらないので、風邪の時はコーヒーよりも白湯。」というお話を伺った。北極ではコーヒーで体が温まったが、日本では違うのだろうか。とても示唆に富んでいるので色々と考えてみた。
まず、インターネットで検索した。確かにコーヒーは体を冷やすと書いてある。漢方理論では南方原産の植物は体を冷やす効果がある。暑い南方では、人類は長い歴史の中で、体を冷やす食物を選んで栽培するようになった。コーヒーも熱帯・亜熱帯地方で栽培される。したがって、体を冷やす効果があるというのが、ネットにあまたある記述に共通した説明だ。また、コーヒーには利尿効果があり、尿と一緒に熱が対外に放出されるので、体温が下がるとの説明もある。まさに、このような説明一色で、コーヒーは体を冷やすというのは、日本のネット界の常識だ。
一方、英語で検索すると、世界中の科学者が書いた研究論文が出てくる。それらに概ね共通していることは、コーヒーにはカフェインが含まれていて、カフェインは体のメタボリズム(代謝)を活性化するので、体を温めるというもの。また、コーヒーは恒常的にカフェインを摂取している人には水と同じ程度の利尿効果しかないとされている。日本語と英語では結果がまったく逆だ。
さて、東洋医学と近代科学のどちらを信じるかは、深淵な問題であるが、私には本件に関しては近代科学的知見に納得感がある。では、なぜ、日本では、南方原産のコーヒーは体を冷やすの漢方理論が、かくも一般的に受け入れらたのかを考えてみた。
鍵となるのはクリーンカップ。本来コーヒーは生産地において、正しい品種を正しく育て、正しく収穫し、正しく乾燥・精選すれば、とても美味しくなる。苦味や渋みなどの雑味がなく、クリーンでとても飲みやすい。ところが、日本で流通するコーヒーはクリーンなものは少ない。特に昔はひどかった。クリームや砂糖なしではとても飲めない。
私は若い頃、粋がってブラックで眉間に皺を寄せ、すすりながら、ちびちびと飲んでいた。なにもあんなに不味い物を、しかめっ面をしながら無理して飲まなくても良かったと思うが、コーヒーとはそういうものと思っていた。周りを見回しても、そういう飲み方が一般的だった。これでは、たとえ淹れたての熱いコーヒーでも体は温まらない。日本では人々のそのような「あまり体が温まらないなあ」という実体験が重なって、コーヒーは体を冷やすとの漢方理論が受け入れやすい下地があったのではないかと邪推する。
クリーンなコーヒーはマグカップに入れて、ごくごくと飲める。たとえ、研究者のいうところのカフェインの代謝効果を抜きにしても、温かいコーヒーをマグカップで飲めば、湯飲みで白湯を飲むのと同じだけの熱量を体内に取り込むので、それだけ体は温まる。仮に利尿効果があったとしても、摂取時と放出時の熱量の差は体内に残り体を温める。
さて、ここまで筆を進めておきながら、少し困ったことになった。実はうちのコーヒーは冷めてからも美味しいのだ。冷めるとコーヒーの甘みや酸味がより鮮明に感じる。粗悪なコーヒーではこうはいかない。私も自分のコーヒーをマグカップで時間をかけて、冷めてからの甘みを楽しんでいる。そうなると、カフェイン効果はあるにせよ、コーヒーはそれほど体を温めないかもしれない。東洋医学に恐れ入りました。