夏から続いたコーヒー摘みもようやく終わり、剪定も済んだ。疲労困憊。毎年、蓄積した疲労が癒えるまでしばらくかかる。コーヒーを摘んだ日は、日没後プールで歩いたり、温冷水浴をしたり、疲労回復に努めた。また、定期的な鍼灸治療も欠かせない。
若い頃から肩こりは横綱級で、20代の頃から鍼灸は欠かせない年寄り臭い若者だった。そんな20代後半。ケニアでコーヒーの木を初めて見た。企業派遣で米国へMBA留学中。1年目と2年目の間は4ヵ月間の夏休み。同級生らは就職希望の企業で研修生として働くが、私は他社では働けない。やることもないので、かつて青年海外協力隊でケニアに派遣された友人にケニアを案内してもらった。アフリカ・欧州3ヵ月のバックパック旅行から帰ったら、旅行で使ったよりも多くのお金(4ヵ月分の給与)が銀行口座に振り込まれていた。バブル期とはいえ本当に申し訳ない。時効だから許してほしい。
友人の派遣地はケニア山の麓の村。電気も水道もなかった。庭先にはコーヒーの木。我々は腰の前の籠に摘んだ実を入れるが、彼らは背中に背負って肩越しに放り込む。村人はキリマンジャロコーヒーのブランドで遠く日本まで輸出すると威張っていた。キリマンジャロは隣国タンザニアの山。産地偽装だと問うと、キリマンジャロと称した方が売れると日本のバイヤーが決めたこと。ハクナマタタ(問題ない)と言い張る。おおらかなものだ。コーヒーは儲からないし、農薬で健康を害すると、こぼしていたが、今ではケニアコーヒーは立派なブランドになった。村への道路も舗装されて便利になった。代わりに治安が悪化して、あんなにのんびりした村に殺人が起きるそうだ。困ったものだ。
元協力隊員の友人は初対面の人ともすぐに仲良くなる達人。おかげで楽しい冒険旅行をさせてもらった。ナイロビからビクトリア湖への夜行列車でルオー族のボクシング元ケニアチャンピオンと仲良くなり、ビクトリア湖に浮かぶ島の家の建築を手伝う代わりに泊めてもらった。人里離れた土とブロックと藁と土間の家。地面に寝袋を敷いて寝るから、夜中に虫が這って参った。しかし、毎日キャッサバやメイズのギゼリやウガリばかり食べていたので、コメと魚(Wali na Samaki)で歓待されて嬉しかった。
ちなみに、ルオー族はオバマ大統領の父親の部族。前述のコーヒーの村のキクユ族よりも肌が黒く手足が長い。スポーツ選手が多いらしい。「オ」で始まる苗字が多い。
宿泊のお礼に一家の男たちと町へ出て、バーでビールをおごった。私は顔が赤くなるので大うけ。珍しいらしい。お酒に弱いからと弁解すると、彼らはいかに自分らが強い男かを自慢した。そりゃボクサーだから強かろう。だが、そうではなく、腕を見せる。肘と手首との間に、4つくらい点、点、点、点と火傷の痕跡。なんでも、ルオー族の男は、成人儀式に腕の数か所に枯れ草を乗せて燃やすらしい。我慢できれば、一人前の男として認められる。ルオー族が他の民族よりも強い証拠との自負があるようだ。
あんまり皆して腕を自慢するから、つい私も遠山の金さん気分で「おうおうおう、黙って聞いてりゃ寝ぼけたことを」と、Tシャツをめくりあげて背中を見せた。背骨を挟んで左右に上から下までお灸の痕。しかも、数なら彼らの腕の痕の3倍はある。一同「アイ~~~!!」という叫声。普段は爺臭くて人様にお見せできないが、この時は効果てきめん。さっきまで私の赤い顔をからかったのとは打って変わって尊敬の眼差し。
その後は、バーの前を村人が通るたびに、「アニキ、あいつにも見せてやってくれ」と頼まれる度にTシャツをたくし上げては、通行人の甲高い「アイ~~~!!」の賞賛をほしいままにした。お灸のおかげで、私はオバマ大統領の出身部族の連中から、男の中の男と尊敬を集めたのであった。