農園便り

雑誌「珈琲と文化」2020年1月号

随分前のことですが、季刊誌「珈琲と文化」の2020年1月号に菩提樹に関する拙稿が掲載されたので、以下に転載します。

 

いなほ書房の名著に「珈琲の旅」や「苦味礼賛」がある。かつて、吉祥寺の井の頭公園の入り口にあった名店「もか」の店主の標交紀氏の著である。

私の母は吉祥寺生まれの吉祥寺育ち。私は隣の田無育ちだが、生まれたのは「もか」から200mほど先の産院。結婚時に帰国してパーティーを開いたのも、「もか」のはす向かいのレストラン。それなのに、うかつにも「もか」のことは知らなかった。1990年に渡米し、2008年にハワイでコーヒー栽培を始めたので、2007年に閉店した「もか」とは、残念ながら接点がなかった。

「もか」の近くの老舗の焼き鳥屋には学生時代によく行った。早稲田の学生だから、気を失うまで飲む。飲んで「もか」の近辺でバカ騒ぎをしたかもしれない。誠に申し訳ない。

本当に、どうしようもない学生だったが、現在でも未熟なのは変わらない。そこで、一昨年、一念発起して、瞑想を学んでみた。すると、自分が抱える問題点がハッキリして、それを解決する意思決定ができた。その結果には大いに満足している。

コーヒー摘みには瞑想のようなところがある。ひたすらコーヒーを摘むという単純作業を繰り返すと、やがて頭が空っぽになる。突然、良いアイデアが浮かぶことがある。大抵はこの農園便りのテーマやオチいった、くだらん考えが多いが、稀に、パソコンでチャートを眺めるだけでは出てこない投資アイデアが浮かぶこともある。赤字続きの農園だが、そういう投資の利益を勘案すると、コーヒー栽培も悪くはない営みだ。

 

うちのコーヒー畑には菩提樹が植えてある。「あのくたらさんみゃくさんぼだい」と唱えながら菩提樹の下に座ってみた。昭和47年のテレビ放送の「レインボーマン」が変身時に唱える呪文。当時の男の子は誰もが諳んじた。大人になって、般若心経の一節と知って驚いた。サンスクリット語でanuttara samyak sambodhi。漢字では阿耨多羅三藐三菩提。最高の理想的な悟りのことだそうだ。放課後レインボーマンごっこをする時の変身の呪文が、そんな深い意味を持つ言葉とは知らなかった。

コーヒーは本来は山の森の植物。栽培するなら、一般的に日陰樹があった方が良い。コナは昼には曇るので日陰樹の必要性は低いものの、いくらかはあった方が良かろうと思い、20本近く日陰樹を植えた。そのうち4本は菩提樹。お釈迦様は菩提樹の下で最高の理想的な悟りをひらいたので、仏教にとっては聖なる樹木だ。

インドの本家の菩提樹(Bodhi Tree)はクワ科だが、日本の寺院の菩提樹はシイノキ科。菩提樹はインドの木なので温帯地域では育たない。仏教が他の地域へ広がるにつれ、種類が全く違うのに、似たような木を見つけては菩提樹と名付けてあがめたらしい。

シューベルトの歌曲「菩提樹」はドイツのLindenbaumの木のこと。シイノキ科で日本の菩提樹の親戚なので、インド本家の菩提樹とは全くの別種なのに、西洋菩提樹と訳されてしまった。シューベルトも、まさか自分の歌曲「Lindenbaum」が日本では仏教の聖なる木に訳されているとは夢にも思うまい。

ハワイの気候ではインドの菩提樹が育つ。ブッダガヤのお釈迦様の菩提樹の枝が紀元前288年に挿し木でスリランカに移植された。人が植樹したと記録にあり現存する最古の木。その木の枝が1913年にホノルルのフォスター植物園へ挿し木された。つまり本家のクローン。私の勝手な推測ではハワイ島の菩提樹はホノルルの植物園の挿し木と思われるので、ひょっとしたら、うちの菩提樹も2,500年の歳月を隔てて、お釈迦様の木のクローンかもしれないと夢想するとなんだかワクワクする。

植えて5年で、10m以上に伸びた。暑いインドでお釈迦様が悟りを開くくらいだから、涼しい日陰を作ることだろう。それほどの大樹に育つには100年はかかりそうだが、私の死後も畑が存続すれば、畑のシンボルツリーとなって、ここのコーヒーは「菩提樹珈琲」とでも名付けられるかもしれない。私としては、「あのくたらさんみゃくさんぼだい珈琲」という名前も一押し。飲めば、最高の理想的な悟りに至るかも。ところで、私は毎日飲んでいるけど、煩悩が湧くばかり。もっと飲むとしよう。喫珈去。

 

話は変わるが、3年前にドイツへ行く急用が出来た。航空会社のマイルを調べると、2万5千マイル。これはお得。ホテルも予約せずに4日後には妻とドイツへ飛んだ。

2週間の旅だが、初日に用事は終了。残りの2週間は気ままなドイツ観光となった。標氏の「珈琲の旅」のような理想のコーヒーを追い求める鬼気迫る旅は、この凡夫には無理だが、どうしてもコーヒーは気になる。毎日、数か所でコーヒーを飲んだ。

ドイツのコーヒーが美味しいのには驚いた。標氏の本はドイツのコーヒーに手厳しいが、私の印象は違った。ホテルや街角や駅の売店のコーヒーが美味しい。農夫の私は焙煎や抽出は素人だが、豆の質にはこだわりがある。列車に乗る前に駅のキオスクでコーヒーを買ったら、割と質の良いナチュラル製法だった。キオスクにしては相当な自己主張だ。こういう街角の普通のコーヒーの豆が自己主張するのは、米国や日本にはない文化。

スペシャリティーコーヒーの店のレベルも高い。店主自ら産地へ通う。また、欧州各国の商社や同業者とネットワークを持ち、マイクロロットの豆を仕入れる。焙煎・抽出・硬水の処理のこだわりもさることながら、豆の仕入れに自らの存在価値を置いている。

流石はドイツ。1683年にトルコ軍がウィーンを包囲して以来のコーヒーの歴史と文化がある。日本人がせっせとお茶の文化を育んでいた頃から、コーヒーを飲み続けているだけのことはある。国全体でコーヒーのレベルが高いと感心した。

 

さて、前述の菩提樹。実はこの旅で、ミュラー作詩、シューベルトの作曲「菩提樹」のモデルになった菩提樹がドイツの田舎町にあるというので寄ってみた。高校生の頃、合唱で歌う事となり、私には懐かしい歌である。「菩提樹」つまり「Der Lindenbaum」は、シューベルトの歌曲集「冬の旅」の第5曲。

泉にそいて 茂る菩提樹

したいゆきては うまし夢見つ

みきには彫(え)りぬ ゆかし言葉

うれし悲しに 訪(と)いしそのかげ

 

有名なこの近藤朔風の訳詞でずっと疑問に思っていた。この泉はどれ位の大きさで、それに沿って何本くらいの菩提樹が植えてあるのか。吉祥寺生まれの私は、ちょうど「もか」を通り過ぎ、井の頭公園に入ると細長い池が見えてくる、その畔に、菩提樹が一列に並んでいるといったような光景を勝手に想像していた。

ところが、なんと、その泉は1m四方ぐらいの井戸。その隣に一本の菩提樹。実はドイツ語だとそれが明白。歌の出だしはAm Brunnen vor dem Thore Da steht ein Lindenbaum(城門の前の井戸に一本の菩提樹がある)。この詩は、恋に破れた青年が町を捨て、いよいよ城門を出て菩提樹の脇を通り過ぎるとき、かつて恋人と菩提樹の幹に愛の言葉を落書きした思い出がよみがえるという内容。実に「泉に添いて茂る菩提樹」は名訳だが、泉とは井戸。しかも、「沿いて」でなく、「添いて」。私は全く勘違いをしていた。ドイツの涼しげな湖畔の菩提樹並木を歩く情景を想像していた私は、40年以上も間違ったイメージで口ずさんでいたかと思うと恥ずかしい。

高校生の頃、この歌を練習していたら、私の亡父が懐かしがって語るには、旧制二高時代にドイツ語の授業で、このミューラーの詩を訳せと当てられて、近藤朔風の訳詩をそのまま朗々と詠じたら、ドーっとウケて、クラス中の喝采を浴びたそうだ。昔の旧制高校はレベルが高い。ドイツのコーヒー並みだ。はたまた、標氏のブレンドか(人づてに聞くだけで飲んだことないけど)。

 

2020/06/23   yamagishicoffee
山岸コーヒー農園は小規模ながら品質追求のコーヒー栽培をしています。
コナ・ルビーはクリーンな味わいのコーヒーです。
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