ニューヨークには大富豪が多い。時折、面白いうわさ話が漏れてくる。例えば、NYの社交界では常連の大富豪の奥様。派手好きで、パーティーでは同じ靴・衣服は二度と着ないので、年間の衣装代は4億円を超える。雑誌にセレブのパーティーの写真が出ても、夫はいつもカメラに背を向けている。彼は生まれながらの金持ちなので目立つことは嫌い。ところが、彼女は違う。ドンドン、カメラに向かってポーズをとるので雑誌の常連だ。衣装代がかさむ訳だ。
彼女はとてもやり手。なにせ、前妻を押しのけ、涙ぐましいほどの努力と才覚でその地位を獲得したのだから、大いにセレブとして振る舞う権利がある。パーティー以外でも富豪同士の社交は重要で、高級レストランでの肩の凝る食生活をこなしている。
そんな彼女にも秘密がある。週に一度は、お抱え運転手を連れ出し、マクドナルドのドライブスルーでビックマックを買い、マックの駐車場で人に見られぬよう黒ガラスの後部座席でうずくまりながら、むしゃぶりつくのだ。やっぱり、デイビッド・ブーレーの繊細なフランス料理よりもビックマックだ。ムートン・ロスチャイルドの赤ワインよりもコカ・コーラだ。すごい勢いでむしゃぶりつくものだから、後部座席は食べ屑だらけになる。夫に気付かれぬようにするのが彼女の悩みの種。
誰にでも慣れ親しんだ味はある。ビッグマックはまさに米国人のソールフードだろう。私は30歳を目前に、日本人のオッサンの味覚が確立してから、はじめて米国に来た。留学先の寮に入り、日々3度の食事は映画「ハリーポッター」の食堂によく似た学食。雰囲気は素晴らしいが、味に驚愕した。口に合わない。どれも、ハンバーグの味付けか、スパゲティーのトマトソース味か、ピザのチーズ味の3パターン。あとは塩胡椒の強弱で変化を付ける程度。すぐに飽きたし、日々の食事が辛かった。
コーヒーの不味さにも驚いた。スターバックスが流行する前の米国はコーヒーといえばロバスタ種。缶コーヒーの原料用のロバスタ種を平気で飲む珍しい国だ。
ビジネススクールの教材に、「人里離れた田舎道を延々と運転すると心細いが、そんな時にマクドナルドのサインが見えた時ほど嬉しいことはない。しかも、全国どこでも品質が一定で裏切られることはない」とあった。標準化で成功した例だ。
実際にアメリカ大陸を車で旅行すると、どんな田舎町に行こうが、その町の郷土料理はハンバーグとフレンチフライとコーラとロバスタ種のコーヒー。その4つを提供するマクドナルドは米国人の味覚のスイートスポットを射ている。
ところで、ホテル・レストラン業界の方から伺ったところによると、米国はどの町でもマクドナルドが王道だが、レストランを展開する際には、シアトルとハワイだけは他の町とは違うアプローチが必要だという。そこは日系人を含むアジアからの移民が多い歴史を持つので、異なる味覚を持っている。住民にアジア系が多いし、食材を提供する近郊農家にもアジア系が多い。だから、他の都市と異なった味覚を住民が持つのだろう。
そういえば、ロバスタ種を平気で飲む米国に、欧州人はロバスタ種は飲まず、アラビカ種を飲むのだと啓蒙し、アラビカ・コーヒーを紹介したスターバックスはシアトルが発祥の地。また、ハワイにはアラビカ種の本流ティピカ種を生産するコナがある。
今ではアラビカ種は市民権を確立した。都市部ではスペシャリティー・コーヒーという市場まで生まれた。それがシアトルとハワイという、米国の食文化の特異点が源流となっているのは単なる偶然だろうか。