農園便り

2017年12月

子供が学べて母親も大喜びのクリスマスプレゼント

灌漑パイプの水やり時間をコントロールするコンピューターが壊れたので、新しいものを買いに行った。するとお店は混んでいる。

何事かと尋ねると、列をなしている男たちは子供へのクリスマスプレゼントにパイプなどの灌漑施設のパーツを買いに来たという。各自、長いリストを用意していて、太さの違うパイプ、T字や直角に曲がるための接続部分、ドリッパーなどの色々なパーツを買いそろえている。

クリスマスにプレゼントされた子供たちは、それを組み立てて、母親の家庭菜園用に使うらしい。店主によると、今週はこういう客が多いそうだ。

子供が学べて母親も大喜びのクリスマスプレゼント。さすが農業の村Kailua Kona。

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2017/12/23   yamagishicoffee

コナは久々の大雨

コーヒーの収穫はほぼ9割ほど終わった。10月以降、3日間しか休めなかった。もう、体がボロボロ。重いコーヒーを運びすぎて腰痛でうまく歩けない。

そこで、この週末はなんと3日間も連続で休んだ。とても贅沢な気分。Star Warsも初日に見に行ったし。

しかし、残りの収穫と年明けの剪定に向けて作業は残っており、まだまだ忙しい。昨日から作業を再開した。

ところが、今日は朝から久々のまとまった雨。こんな豪雨では仕方がない。やるべき事がたくさん残っているのに、家の中でぐだぐだ。なんだか、ずる休みしたみたいで、ちょっと罪悪感の混じった、このぐだぐだ感がたまらない。あ~仕方がない、仕方がない。ぐだぐだぐだぐだ。

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2017/12/20   yamagishicoffee

失恋はコーヒーで癒す

今年のコーヒー収穫のピークもようやく終盤。近所の農園ではもう収穫が終わって剪定作業に入っている所が多い。うちの農園はコーヒーの実がゆっくり育つために、例年、収穫が近所よりも1カ月以上長く続く。今シーズンも1月までは続きそうだ。

ところで、いつも、収穫を手伝ってくれるメキシコ人グループの中のA君。このところ、何かに取り憑かれたように、コーヒーを摘んでいる。毎日、夜明け前からやってきて、うちの門の前で待機している。まるで競馬の出走ゲートにいる馬の様だ。そして、スピーカーを畑に持ち込み大音響でラテン音楽を聴きながらコーヒーを摘む。

あまりの大音響に私は少し離れて作業をするようにしている。遠くから聴くと、低音のチューバが小気味よくリズムをきざんで、とても軽快に感じる。私も陽気なリズムに乗って収穫できるので楽しい。ラテン音楽が癖になりそうだ。

先日、うちの妻が面白いことに気が付いた。スペイン語のできる妻によると、A君は切ない恋の歌や失恋の歌ばかりをかけている。たまに、ハッピーな歌がかかると、収穫の手を止め、その曲をスキップ。そしてまた悲しげな歌がかかる。身長180センチ以上で体重は優に100キロを超えるマッチョな巨漢の割に、センチメンタルな趣味の持ち主だというのが、妻の分析だ。私には陽気なラテン音楽としか聞こえないが、悲しい曲なのか。チューバのリズムに乗って「君は僕の吐く息、吸う息、君が僕の命の全てだ」。スペイン語って不思議な表現をする。

そこのところをグループの他のメンバーに尋ねてみた。すると、「そうなんだよ。俺たちも、悲しい曲ばかりで困っているんだよ。実はA君、最近、恋人にフラれて、それ以来、こんな感じ。そんな悲しい曲ばっかり聴いていると、良くないよと、皆で忠告しているんだけど、止めないんだよ」、という事情らしい。

コーヒー畑にも色々なドラマがあるんだなぁ。傷ついた心をコーヒーにぶつけていたんだ。てっきり、快活な音楽に陽気な人々と思っていたのに。

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2017/12/10   yamagishicoffee

感謝祭の伝統

米国では11月23日が感謝祭(Thanksgiving Day)だった。人種・宗教の区別なく、米国民の誰もが祝う祝日。収穫祭の側面もあるが、様々な人やもの、あるいは神に感謝を捧げる日。一般の家庭では七面鳥をたらふく食べてゴロゴロする。中には、恵まれない人を招いて饗応する立派な家庭もある。感謝を捧げる(Thanksgiving)のがその精神だ。

この時期はコーヒー摘みのピーク。今年は10月上旬からほとんど休まずに働き続けて疲労困憊。ついに、感謝祭の前々日、100ポンドの袋を運んでいる最中に、完全にエネルギーが切れた。甘いものが欲しい。地面に四つん這いになりながら、最後の力を振り絞って出た言葉が「カルピス飲みて~」。それきり体が動かなくなった。

仕方がない。感謝祭と前日の2日間は収穫を中断して休息することにした。初日、カルピス片手に休息に努めていると、収穫を手伝ってくれているメキシコ人から電話。どうしても翌日の感謝祭にコーヒーを摘みたいという。メキシコ人には感謝祭の習慣がない。どのコーヒー農園も休むので、収穫のピーク時に唯一、収穫をするメキシコ人達が余っている日だ。彼らと一緒に、今年も感謝祭の日にコーヒーを摘むことになった。確かに、感謝祭は収穫の遅れを取り戻す良い機会である。感謝感謝。

20数年前、まだ邦銀のNY駐在員時代、感謝祭の日に私は妻を連れて休日出勤した。妻はロースクールの学生だったので、会議室で勉強。オフィスには誰もいない。仕事に集中できる。服装も自由。我々は留学時代に買ってもうボロボロになったYale大学のスウェットシャツ。気軽な恰好。仕事がはかどり気分良く退社。帰宅途中にTudor Hotelの入口に感謝祭ディナーの広告を見かけたので入ってみた。レストランは豪華なディナーを囲む家族連れで大賑わい。皆、着飾っている。特別な日だ。我々だけがボロボロのシャツ。いかにも場違だが、着替えて出直すのも面倒なのでそのまま着席した。

コースメニューに加えてワインも注文。次々と出る料理を堪能しいると、隣の席に一人のおじさん。こちらを見て微笑んでいる。「こっち見てニヤニヤしないでよー。嫌~な感じ」とか、「感謝祭に一人で寂しいの?仲間に入れてやろうか」など、日本語が通じないのを良いことに憎まれ口を言いながら食べ続けた。すると、おじさんはウェーターに我々のワインの値段を聞いている。「もー。服がボロボロだったら、フランスワインを注文しちゃいけないのかよー、おっちゃん!」と、またも妻と悪口で盛り上がった。

デザートまで平らげ、もー満足満足。勘定を払おうとすると、店長が直々に出てきて、厳かに「お支払いは結構です」。「えっ???」。よくよく尋ねると、隣のおっちゃん、じゃなくて、隣の紳士が支払っていったという。気が付けば、彼はいなくなっている。ボロを着たアジアからの苦学生が、感謝祭に暗いNew Havenの田舎町から華の都New Yorkへ来て、精一杯の贅沢な食事に、はしゃいでいると映ったのだろう。酔っ払って、彼の悪口で盛り上がっていただけなのに。その紳士にお礼がしたいと願ったが、「誰かは口止めされています。これは感謝祭の伝統なので、どうかお受け下さい」と、紳士的に諭された。罰当たりな我々を紳士たちは気品に満ちて饗応してくれた。

感謝祭の伝統。これが感動せずにいられようか。その後しばらく、日本人駐在員仲間に、諸君もアメリカの感謝祭の伝統の精神を学ばねばならないと談じて回った。

翌年、また感謝祭の日が来た。感謝祭の伝統を説いて回った私だが、根が卑しい。我家の伝統にするなら、ご馳走してもらう側が良い。前年と同じ服を着て、同じように休日出勤をして、同じ時間にTudor Hotelへ向かった。もう伝統だ。しかし、レストランは潰れていた。その一画は暗く、電灯は消えていた。

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2017/12/01   yamagishicoffee