農園便り

雑誌「珈琲と文化」1月号の原稿(NYの冬の想い出)

雑誌「珈琲と文化」2020年1月号の原稿です。NYの冬の想い出について書きました。

 

大胆に剪定を行い生産量を絞ったので、今シーズンの収穫は我々夫婦と友人の3人で順調に進んでいる。ところが、数年前の収穫時期は収量が多すぎて難儀した。その年はメキシコ人のグループと一緒に10月上旬からほとんど休まずに働き続けてた。疲労困憊。ついに、感謝祭の前々日、100ポンドの袋を運んでいる最中に、完全にエネルギーが切れた。甘いものが欲しい。地面に四つん這いになりながら、最後の力を振り絞って出た言葉が「カルピス飲みて~」。それきり体が動かなくなった。

仕方がない。感謝祭と前日の2日間は収穫を中断して休息することにした。初日、カルピス片手に休息に努めていると、メキシコ人から電話。どうしても翌日の感謝祭にコーヒーを摘みたいという。メキシコ人には感謝祭の習慣がない。どのコーヒー農園も休むので、収穫のピーク時に唯一、メキシコ人ピッカーが余っている日だ。結局、その年の感謝祭の日もコーヒーを摘むことになった。しかも大勢が来た。確かに、感謝祭は収穫の遅れを取り戻す良い機会である。感謝感謝。

米国では11月の第4木曜日が感謝祭(Thanksgiving Day)。人種・宗教の区別なく、米国民の誰もが祝う祝日。収穫祭の側面もあるが、様々な人やもの、あるいは神に感謝を捧げる日。一般の家庭では七面鳥をたらふく食べてゴロゴロする。中には、恵まれない人を招いて饗応する立派な家庭もある。感謝を捧げる(Thanksgiving)のがその精神だ。

思い起こせば20数年前、邦銀のNY駐在員時代、感謝祭の日に私は妻を連れて休日出勤した。妻はロースクールの学生だったので、会議室で勉強。オフィスには誰もいない。仕事に集中できる。服装も自由だから、我々は留学時代に買ってもうボロボロになったYale大学のスウェットシャツという気軽な恰好。仕事がはかどり7時頃に気分良く退社した。帰宅途中に42丁目のTudor City Hotelの入口に感謝祭ディナーの広告を見かけたので入ってみた。レストランは豪華なディナーを囲む家族連れで大賑わい。皆、着飾っている。特別な日だ。我々だけがボロボロのシャツ。いかにも場違いだが、着替えて出直すのも面倒なのでそのまま着席した。

コースメニューに加えてワインも注文。次々と出る料理を堪能しいると、隣の席に一人のおじさん。こちらを見て微笑んでいる。「こっち見てニヤニヤしないでよー。嫌~な感じ」とか、「感謝祭に一人で寂しいの?仲間に入れてやろうか」など、日本語が通じないのを良いことに憎まれ口を言いながら食べ続けた。すると、おじさんはウェーターに我々のワインの値段を聞いている。「もー。服がボロボロだったら、フランスワインを注文しちゃいけないのかよー、おっちゃん!」と、またも妻と悪口で盛り上がった。

デザートまで平らげ、もー満足満足。勘定を払おうとすると、店長が直々に出てきて、厳かに「お支払いは結構です」。「えっ???」。よくよく尋ねると、隣のおっちゃん、じゃなくて、隣の紳士が支払っていったという。気が付けば、謎の紳士はいなくなっている。ボロを着たアジアからの苦学生が、感謝祭に暗いNew Havenの田舎町から華の都New Yorkへ来て、精一杯の贅沢な食事に、はしゃいでいると映ったのだろうか。酔っ払って、彼の悪口で盛り上がっていただけなのに。

お礼をしたいと願ったが、「誰かは口止めされています。これは感謝祭の伝統なので、どうかお受け下さい」と、紳士的に諭された。罰当たりな我々を紳士たちは気品に満ちて饗応してくれた。

感謝祭の伝統。これが感動せずにいられようか。その後しばらく、日本人駐在員仲間に、諸君もアメリカの感謝祭の伝統の精神を学ばねばならないと談じて回った。

翌年、また感謝祭の日が来た。感謝祭の伝統を説いて回った私だが、根が卑しい。毎年の伝統にするなら、御馳走する側より、ご馳走してもらう側が良い。また、謎の紳士にご馳走してもらえますようにと願い、前年と同じ服を着て、同じように休日出勤をして、同じ時間にTudor City Hotelへ向かった。もう我家の「伝統」だ。しかし、レストランは潰れていた。その一画は暗く、「電灯」は消えていた。

 

例の大忙しだった収穫シーズンも、新年を迎えてようやく峠を越えた。既に、翌シーズンの白い花が咲き、ジャスミンのような花の香りと蜜蜂の羽音に囲まれて、残ったコーヒーを摘んだ。

コーヒー摘みは単純作業。繰り返し続けると、色々なことが頭の中を通り過ぎていく。もっと美味しいコーヒーを育てる方法とか、金利や株価の行方とか。また、過去の様々な思い出が頭に浮かんだりする。でも、NY時代の血尿を流しながらストレスと闘う日々の思い出は辛いことばかりで、そこにはまり込むとため息ばかりがでる。気を取り直して、コーヒーを摘んでいて幸せだと自分に言い聞かせる。

もっと、頭を空っぽにして無心にコーヒーを摘みたいものだ。瞑想のように、呼吸に意識を向けながら摘んだりするが、いつの間にか、妄想にふけっている。まるで煩悩の塊だ。

畑にラジオを持ち込み、ホノルルの日本語放送KZOOラジオを聴きながらだと、とても楽に摘める。心の奥底に溜まった煩悩と格闘しなくて済む。また、家でじっとしながらラジオを聴くとすぐ飽きるが、コーヒーを摘みながらだと、不思議と朝から晩まで聴き続けることができる。しかも、4か月間毎日。

その日もKZOOラジオを聴きながら摘んでいたら、”Take the A train”(A列車で行こう)が流れて来た。ジャズど素人の私でもこの軽快なメロディーは知っている。NYのマンハッタンのWest sideを縦断する地下鉄のA train(A線)を曲にしたものだ。この曲がかかった瞬間、私の頭の中は、またもやNY時代にフラッシュバックした。

当時、妻は弁護士になり、私は外資系資産運用会社へ転職していた。オフィスも邦銀時代のミッドタウンからダウンタウンへ変わった。ダウンタウンへの通勤には、グランドセントラル駅からイーストサイドの地下鉄4・5・6番Trainを使っていたので、ウェストサイドのA trainは普段はあまり縁がなかった。

ただし、冬のオペラの季節にはA trainに乗ることがあった。仕事帰りに、ウェストサイドにあるリンカーンセンター(West 64丁目)でメトロポリタンオペラを観るために、ダウンタウンからA trainに乗った。電車はウェストサイドを北上し、コロンバスサークル(59丁目)を過ぎた。そろそろ降りようしたところ、次々と駅を通過。リンカーンセンターも素通り。次に停まった駅はハーレムの125丁目。週末の昼間のハーレム散策は楽しいが、夜に背広姿でハーレムなんかに用事はない。アポロシアターではなくリンカーンセンターに行きたいのだ。

しかし、なるほどと思った。”Hurry, hurry, hurry~♪“の歌詞のTake the A trainは、ジャズの本場ハーレムに急ぐなら、快速のA trainに乗ると速いという内容の曲である。確かに途中駅を全部すっ飛ばして速かった。そういう曲だったのかと得心できただけに、回り道だったけれど、少し得をした感じがした。

ハーレムから慌てて引き返した。既にオペラは開演直前。地下鉄を降りて会場へ急ぐと、開演を知らせるボーンという音が鳴っている。妻と慌てて走った。妻は小学生時代に短距離走で千葉県2位。足は速い。リンカーンセンターのドアをすり抜け、赤絨毯の美しい階段を一気に駆け上がると、目の前でホールのドアがまさに閉まろうとしている。”Wait!”と叫びながら駆け寄ると、前を走っていた妻の体が宙に飛んだ。ヘッドスライディングでドアに飛び込んだ。実はドアの直前は急に下り坂になる。ハイヒールで全力疾走していた彼女は下り坂を踏み外してしまった。漫画のキャラクターのように、走っている途中で足を宙にクルクル回転させながら転倒する人を初めて見た。

こんな思い出にふけっていると、突然、妻の「ギャー」という叫び声がした。我に返ると、そこはコナのコーヒー畑。ラジオから流れるTake the A trainの曲は既に終盤に来ている。コーヒーを摘んでいた彼女はいきなり蜜蜂に襲われ刺されたらしい。

「Take the A trainなんか聴いてるから、蜂(Bee)が怒ったんだよ」というと、彼女は涙目で「なんで?」。「蜂だけにB Trainじゃないと」。。。

2021/03/14   yamagishicoffee
山岸コーヒー農園は小規模ながら品質追求のコーヒー栽培をしています。
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